潮騒が聞こえる〈BEACHBOYS1997〉

たそがれ時を過ごす場所。Costa del Biento / Sionecafe

鷹の島

今日の夕日劇場は沖ノ島から

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館山の沖ノ島は、現在夏は込み合う観光地になっています。
きょうも週末を利用して、たくさんの釣り人が岸壁に並び、
沖ノ島へつながった砂浜を家族連れや恋人たちが歩いていますね。

ここは鷹の島とともに、館山湾の沖合500mにあった島でした。
城山山頂には、城山からの沖ノ島、鷹の島の景色を
沖に浮かぶ同胞の島と呼ぶ佐佐木信綱の碑があります。

関東大震災の際に、陸から島までの宮城の海底が
幅50mにわたりおよそ2mも上昇しました。
この浅瀬を利用してしばらくは宮城海苔の養殖場として
おいしい海苔がつくられていましたが、埋め立てられて、
海軍航空隊が昭和初期に開場しました。

この時に鷹の島は陸地に含まれてしまいました。
アメリカの占領軍が上陸した現在小高造船所の水上艦スリップや
戦跡のように残った水産講習所の建物、鷹の島弁天が
鷹の島の存在を語るように残っています。


鷹の島弁財天の大木

館山航空隊基地から沖ノ島へ向かう道で、
左に鷹の島弁財天、右に小高造船所。
そしてカーブを曲がって戦跡のようなコンクリの建物が
ある場所が鷹の島です。
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きょう、令和元年の房総半島直撃の台風で破壊された弁財天周辺を訪ねましたが、
歴史ある大木巡りでした。
沖ノ島と鷹の島は以前は湾内の島でしたが、
大正12年の関東大震災のときに隆起した土地を埋め立てて航空隊基地が出来て、
鷹の島は陸続きとなりました。

ちなみに、あのコンクリの建物は
明治42年に建てられた水産講習所の高の島実験場跡です。
海軍の基地造成の折、昭和5年に小湊へ移転した。
小高造船所の内部に残る水上機スリップから
カニンガム推奨率いる米陸軍第8軍第11軍団の3千5百名が
上陸用舟艇を使って上陸した場所です。
館山占領軍は三浦半島の上陸軍とともに東京制圧を目指した。

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高の島(鷹の島)弁天閣は平安時代安房守源親元の夢の中に現れた
老婆のお告げで、沖ノ島に宇賀明神、鷹の島に弁財天を祀ったという。
弁財天の桜もあと少し。。。

鷹の島のこの建物は

鷹の島水産講習所沖ノ島への途中、陸続きになった鷹の島にあるこの建物。
戦争の施設のようだけど、実は水産試験場でした。
この建物は施設の一部だけど、海水を上げて
真水にする施設だったとか。

当時の写真と、館山博物館で今開催されている地区展「館山地区」の資料から。。。

CIMG0207鷹の島水産講習所2

大正の鷹の島

城山景色2大正の関東大震災前までは、城山からの景色には館山湾に浮かぶ鷹の島<手前>と沖に霞む沖ノ島があります。佐々木信綱が「同胞の島」と碑に読んでいます。桟橋からは一日に数便の定期船が島に通っていたと聞きます。
そして大正の関東大震災が起こります。この地震でこれら島との間の土地が隆起して浅瀬になります。宮城地区の人はここを利用して宮城海苔の養殖を始めました。青山学院の水泳部の合宿所も赤山付近の小学校跡地にありました。鷹の島
さて、浅瀬を埋め立てして航空隊基地が昭和初期に開所しますが海が遠くなった青学は撤退します。埋め立てにより鷹の島陸地に組み込まれて島ではなくなりましたが、沖ノ島は砂地で繋がりました。


 

鷹の島の廃屋

gazou 9411440254161_588271308128946_50913館山の沖ノ島へ向かう時に、
鷹の島の造船所の所を回り、
直線に向かうところ、
鷹の島のゲートの右側に、
戦跡のようなコンクリートの
廃屋があります。

これは知らない人が見ると、
戦時中の見張り台のような
ドイツ的な建物のような、そんな
イメージを持っていると思います。

この建物は何だろう?
じつはここは、水産試験所の
鷹の島実験室だったようです。
左の画像にも、当時のこの建物が
写っていますね。
事務室からは離れているので
木造ではないので、何の実験に
使われていたんでしょうねえ。
画像比較では給水設備なのかなあ?

この水産試験所鷹の島実験室は
昭和の石原裕次郎主演の映画
「嵐の中を突っ走れ」で
登場しています。東海汽船で
東京から館山桟橋に着いた石原裕次郎演じる教師はバイクで安房南高校の校舎に赴任してくる。岡田真澄さんや「お母さんと一緒」の司会をしていたブーちゃん<市原さんらが出演しています。3枚目は一番古くて、まだあの建物が建つ前ですね。



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鷹の島ってどこ?

1402933739_49151沖ノ島と鷹の島は大正期には
館山湾に浮かぶ二つの島でした。
島への往来は、
定期船が出ていたようです。
画像の北条桟橋<汽船場>の
左端に見える大きな島影が
鷹の島、その奥にかすんで
見える小さな影が沖ノ島です。
汽船と鷹の島の間に
かすんで見えますね。

航空隊埋め立て埋め立てた航空隊から鷹の島 - コピー大正の関東大震災のとき、
鷹の島までの海域が隆起してきて
埋め立てることが計画されました。
画像2枚目の中央に見えるのが
鷹の島、島の右端に
現在の造船所があります。
島までの浅瀬では、宮城海苔の
養殖が行われています。
そうとう浅瀬になりましたね。
館山、南房総地区は、大きな地震
の度に隆起していて、その面積が
広がっていると聞きます。
昭和5年の航空隊開所に合わせて
埋め立てが始まりました。
ここに現在の航空隊基地が出来て、時代は激動の渦に向かいます。
どうでしょうか?
鷹の島<高の島>がどこか。。。
説明できたでしょうか。
旅館をしてた時に、観光客の方から沖ノ島は分かったけど、
「鷹の島ってどこ?」って
よく聞かれていたんですよ。



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鷹の島の建物


下の画像の木の向こうに見覚えのある建物がありますね。
鷹の島の海に面した建物が残っています。

航空隊基地もあって、このコンクリの廃屋が戦跡だと思われていますが、
この建物は、昭和の水産試験場の建物だったんですね。
石原裕次郎映画「嵐の中を突っ走れ」でも登場する施設です。

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昔の館山湾

大正の関東大震災前の館山湾には、鷹〈高〉の島と
向かってその左端に沖ノ島がありますね。
鷹の島は、現在造船所があるあたりです。
鷹の島までの海は遠浅で、宮城海苔の養殖が行われていました。

大震災の後、ここを埋め立てて航空隊基地ができました。
鷹の島、沖ノ島へは連絡船が行き交っていたようです。
この画像を見ると、昔の館山の様子が想像できますね。


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海苔養殖や遠浅が分かりますね。

航空隊埋め立て
館山湾に流れるフォエバーラブ
https://www.youtube.com/watch?v=I4iNFn7PkCw
館山駅に流れるフォエバーラブ
https://www.youtube.com/watch?v=tgFAV6kiD5E
ぼくらの夏は終わらない 1997年夏の月9ドラマ「ビーチボーイズ」に酔いしれる。館山市布良でロケ。
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