館山バイパスのパワーコメリの横から大貫街道を千倉に向かう。
小松寺の交差点の前に、ここにも大きな切り割の道があり、
坂を上りきったところに、館山市と南房総市の境界の標識がある。

そうそう思い出した。。。
1960年代に、買ってもらったばかりの自転車で小学校の友人と
自転車で千倉の祖父の家まで行こうと冒険が始まった。
あの頃はこの切り割の道路は無くて、手前の曲がりくねった道を行くんだよね。
そして、長~い明かりの無いトンネルがあったんだよね。
切り割の前のこの旧道を行くとトンネルがあった。長いトンネルを抜けると、千倉側の切り割道路の端の左すそに出てくるのだけど、トンネルには入れないようにしてあるって聞きました。

このトンネルを越えなければ千倉へは行けなかった。
小学生のぼくらは、ぬかるんだトンネルの中を自転車を押しながら遠くの出口の明かりを目指してただただ恐怖と戦いながら黙って歩いていた。
トンネルを出ると、僕の靴も友人たちの靴も泥だらけに濡れていた。
自転車のタイヤも泥にぬれていた。もう乗っていくということはあきらめて
自転車を引いて千倉の町を目指していた。僕ら3人はくたくたで祖父の家にたどり着いた。
祖父は3人の自転車を洗ってくれた。よく来たなとほめながら、のちに車で館山へ送ってくれた。
僕らの自転車は、千倉と館山をリヤカーの付いた自転車で往復しているゴロさんが翌日に届けてくれた。いまでいう宅急便の仕事だよね。あの頃はヤマトも佐川も無かったからね。
小松寺の交差点の前に、ここにも大きな切り割の道があり、
坂を上りきったところに、館山市と南房総市の境界の標識がある。

そうそう思い出した。。。
1960年代に、買ってもらったばかりの自転車で小学校の友人と
自転車で千倉の祖父の家まで行こうと冒険が始まった。
あの頃はこの切り割の道路は無くて、手前の曲がりくねった道を行くんだよね。
そして、長~い明かりの無いトンネルがあったんだよね。
切り割の前のこの旧道を行くとトンネルがあった。長いトンネルを抜けると、千倉側の切り割道路の端の左すそに出てくるのだけど、トンネルには入れないようにしてあるって聞きました。

このトンネルを越えなければ千倉へは行けなかった。
小学生のぼくらは、ぬかるんだトンネルの中を自転車を押しながら遠くの出口の明かりを目指してただただ恐怖と戦いながら黙って歩いていた。
トンネルを出ると、僕の靴も友人たちの靴も泥だらけに濡れていた。
自転車のタイヤも泥にぬれていた。もう乗っていくということはあきらめて
自転車を引いて千倉の町を目指していた。僕ら3人はくたくたで祖父の家にたどり着いた。
祖父は3人の自転車を洗ってくれた。よく来たなとほめながら、のちに車で館山へ送ってくれた。
僕らの自転車は、千倉と館山をリヤカーの付いた自転車で往復しているゴロさんが翌日に届けてくれた。いまでいう宅急便の仕事だよね。あの頃はヤマトも佐川も無かったからね。














