館山の沖ノ島は、現在夏は込み合う観光地になっています。
きょうも週末を利用して、たくさんの釣り人が岸壁に並び、
沖ノ島へつながった砂浜を家族連れや恋人たちが歩いていますね。
ここは鷹の島とともに、館山湾の沖合500mにあった島でした。
城山山頂には、城山からの沖ノ島、鷹の島の景色を
沖に浮かぶ同胞の島と呼ぶ佐佐木信綱の碑があります。
関東大震災の際に、陸から島までの宮城の海底が
幅50mにわたりおよそ2mも上昇しました。
この浅瀬を利用してしばらくは宮城海苔の養殖場として
おいしい海苔がつくられていましたが、埋め立てられて、
海軍航空隊が昭和初期に開場しました。
この時に鷹の島は陸地に含まれてしまいました。
アメリカの占領軍が上陸した現在小高造船所の水上艦スリップや
戦跡のように残った水産講習所の建物、鷹の島弁天が
鷹の島の存在を語るように残っています。