潮騒が聞こえる〈BEACHBOYS1997〉

たそがれ時を過ごす場所。Costa del Biento / Sionecafe

格闘技

やさしい強面

もう10年前になるのか、と驚いてしまいますが、
毎年夏に開催される富浦のボデイビル大会の話です。
2006年の大会のゲストはプロレスラーの
藤原組の藤原喜明組長でした。

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藤原さんはアントニオ猪木の練習パートナーでいましたが、
長州力の入場時に襲撃をかけてヒットマンとして注目を浴び、
前田日明がUWFを立ち上げたときに新日を離れました。
関節技と頭突きの鬼軍曹として君臨しました。

今も現役のプロレスラーです。
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このサンプレイ主催のボディビル大会には
極真空手とテコンドーのゲストがきて、
型や組手を披露してくれます。

ぼくのいとこの子供が極真空手をしていたので、
一緒に見に行ったときのこと。

極真会館もよく知っている藤原さんだけに、
「どこの道場に行ってるんだ?」と聞かれました。
そして、記念写真。
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藤原組長、
小学生だった空手少年もいまや大学生になり、
極真全日本やウェイト制にもエントリーして
ロシアの選手とも対戦する
前線の極真戦士になりました。

あれから10年になるんですねえ。



武人語録 2

大山道場の門下生には、天才と呼ばれた人情深い暴れん坊
ケンカ十段と言われた芦原英幸氏がいた。
詳しくは、漫画「空手バカ一代」をぜひお読みいただきたい。

芦原氏は極真空手を広めるため、単身四国に渡ることになった。
そして愛媛県八幡浜に道場を構える。
そこで入門してきたのが後に円心空手の創始者となる
二宮城光氏だ。きょうは、二宮氏の言葉を紹介したい。
二宮氏は米国コロラドに渡った武人でした。

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福昌堂「静かなる闘志」より


「吾以外皆師也」
生きていることは試されることの連続だ。
顔をそむけず、挫けず、何とか這い上がって
いかなければならないのでしょう。

コロラドの草原が、冬に草が枯れて土に戻り、
枯れた草を栄養として、土が花を咲かせるように
心を豊かにしてくれる。

武道をやる者は、周囲から存在を喜ばれる人間でいて欲しい。
もともと武人とは、自分の努力を他人への愛情に
変えられる人間のことを言う。

そして道場とは、
人間を育てる所であったはずです。

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武人語録

極真空手の創始者、大山倍達氏は寸止め空手を見て
ダンスのようだと言い放ち、実際に拳を当てる
フルコンタクト空手を世界各国に広めた偉人となった。

学生時代から極真を見てきて、尊敬する武人が
たくさんおられる。そのひとりが黒澤浩樹さんだ。
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(画像は格闘技通信より)

極真空手は拳をかためての、ど突き合いだ。
我慢大会に近いものもある。

からだと心が折れた方が負けだと思う。
そんな中で修業する黒澤さんの声に耳を傾けたい。

「ハイポジティブ」
仕事に夢中になって気がついたら3時間も経っていたという経験が
あるじゃないですか。これがハイポジティブの状態なんです。

ところがこの仕事を3時間でやるんだ、ほんとは嫌だと思って
いるけど、気合いだ!根性だ!で頑張ろうとしている。時間が
経つのも遅いし早く終わらないかとも思う。これがハイネガティブ。

試合ではハイネガティブでも勝つことが出来る。でも楽しくない。
ハイポジティブだと延長なんか何度でも来いよ。楽しくて仕方ない。
相手に対しているとき、関係者から解放されて、本当の「無の境地」
になっているんだろうと思う。それが本当の意味でのハイポジティブ
なんです。闘うものにとっては一番幸せな瞬間なんですね。
(格闘技通信より)

G.馬場さん

いまはめっきり少なくなりましたが、
コンビニの缶コーヒーのおまけとして、
小さなフィギアがついていましたね。
こんなバイクシリーズ。。。
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そして、全日プロレスシリーズ。
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なつかしい面々ですね。
ブッチャー、タイガージェットシン、スタンハンセン、
デストロイヤー
ロードウォーリヤーズ、ジャンボ鶴田、
ジャイアント馬場

そういえば、大学の時剣道部で新潟で合宿したときに
三条高校で高校生と稽古をしました。
体育館は床が板でささくれていて、高校生は
バスケットシューズを
着用でしたが、ぼくらは
素足だったので、
高校生がやけにでかく感じました。
この三条高校がジャイアント馬場さんの母校だったんですねえ。

巡業に行く途中の、市原インタでであった馬場さんです
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 でかい!

男子3日会わざれば

新日を出た前田日明はリングスという
団体をたちあげた。
そこで、前田が挨拶で話していた言葉に
「男子三日会わざれば、刮目(かつもく)して見よ」
があった。

これは、三国志演義に書かれている
「士別れて三日なれば刮目して相待すべし」が原文。
日々鍛錬するひとがいれば、三日も経つと見違えるほどの
成長がある、というものです。

でも、たった三日では見違えるほどの成長は
難しいのかもしれない。
でも、前田日明の言いたかったのは「覚悟」なのかもしれない。
覚悟が決まったひと、例えば死をも恐れない覚悟が備われば
刮目して見なければ、こちらがやられてしまう。
それほどの覚悟を持って、新団体を立ち上げたという
前田からのメッセージだったのかもしれない。
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画像の前田とともにいるのは、新日からUWFにやってきた船木。
第2期UWF時代に、骨法の掌底打ちで前田を攻め立てた若獅子
船木だったが、馬力の差がある前田の裸締めでギブアップの
船木だった。船木はパンクラスの立ち上げにむかうことになった。


前田伝説

その当時、まことしやかに囁かれていた前田伝説がある。
後になって、デマであったことが伝わってきたが
あってもおかしくない話に、ぼくらは胸ときめかせていた。

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大阪にはやんちゃなお兄ちゃんが
たくさんあふれていた。
前田も公園で空手の練習をしていて
田中氏や佐山氏(初代タイガーマスク)
と知りあっているという話も聞く。

同じ時期に、大阪には赤井英和という
多くの逸話を残した後のボクサー
がいた。このうわさはここから
はじまったようだ。



男たちの間で、大阪で誰が一番強いのかが話されていた。
前田やろ、いや赤井や、と言う中で、あのふたりが逢うと
大阪の街が壊されるという、ゴジラ対モスラみたいな。。。

しかしある日、電車のなかで前田と赤井がバッタリ逢ってしまう。
ふたりの目からは火花が散り、一触即発の状況となった。
そこに「お前ら、やめとけ!」とあいだに入ったのが
たまたま電車に乗り合わせた阪神の岡田彰布だったという伝説。

また、前田は少年時代はウルトラマンに熱中していて、
テレビで怪獣ゴモラが大阪城を破壊したのを見て
次の日、大阪城の様子を見にいったそうだ。

城が無事なのを確認して、掃除のおじさんに聞いたら
おじさんは「みんなで徹夜して修理したんだ」
と話してくれたという実話だったらしい伝説。


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藤波の革命

誰もが成長して、ひとつハードルを越えたくなる。
この日、藤波さんにもそんな思いがあったのかもしれない。
沖縄の会場で、
猪木、藤波 vs ベイダー、マサ斉藤のタッグだった。

試合終了後、たまりにたまったフラストレーションが
爆発したように猪木に張り手を見舞い、
はさみで自分の髪の毛をつかみ、切るという行動に出た。
この控室の様子はテレビでも中継されていて、
ぼくは衝撃を受けた。

藤波辰巳が猪木に対して、世代交代を訴えた瞬間だった。
ここから藤波の「飛龍革命」が始まった。

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前田と長州

1987年11月19日、東京後楽園ホール、
タッグマッチに登場していた長州は、
前田のサッカーキックを顔面に受けてしまい、
顔面は大きく腫れて出血していた。
いわゆる、前田日明の長州への顔面襲撃事件だ。

のちの前田へのインタビューで、
「輪島vs天龍(全日本プロレス)で、天龍が顔面蹴って
輪島をボコボコにしていたので、新日はかすんでいた。
長州さんなら受けてくれると思ったんだけど、
おでこを蹴りに行ったら長州さんがよけて
顔面に当たっちゃったんだ」
と言っている。
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長州の顔面はたちまち腫れて
出血していた。骨折となり、
戦線離脱を余儀なくされた。

この事件を受けて、前田は
新日本プロレスから、
メキシコ行きを告げられる。
これを断ったため、
前田はひとりだけクビとなった。

前田日明はまたひとり、新団体への旗揚げに向かうことになった。


館山湾に流れるフォエバーラブ
https://www.youtube.com/watch?v=I4iNFn7PkCw
館山駅に流れるフォエバーラブ
https://www.youtube.com/watch?v=tgFAV6kiD5E
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