辿り着いた場所
「21番でお待ちのかた、21番」
「はい、私です」
僕は小さく手をあげて、声の主を探した。モバイルを持ったこの施設の制服を着た案内係の女性が近づいてきた。
「あ、和泉さんですね。お名前は何とお読みするのですか」
「凪〈なぎ〉と読みます」
書類に何かを書き込みながら、女性は親しげに話しかけてきた。
「良いお名前ですね」
「はい、父が夕凪の海を見て、心静かな平和が続くようにと名付けてくれたそうです」
「わあ、素晴らしい名前ですね」
名前を誉められて、父を誇らしげに思った。
この日、埼玉県に建てられた国営施設の待合室で順番を待っていた。
少し悩んだが、ひとりで決めた。あらかじめ郵送されてきた用紙に必要事項を記入したものを、案内係の女性に手渡した。
「和泉さん、家族の方の同意書はお持ちですか?」
「いいえ、私には家族はいません」
「そうですか。では、地域の役所への手続きはお済ですね?」
「あ、はい。これが証書です」
女性は眉間にしわを寄せて、書類をひと通り確認している。そして、ひとつ頷いてから、真顔になって事務的に話し始めた。
「はい、大変お疲れさまでした。では、この通路をまっすぐ進んで突き当りのホールでお待ちください。通路の左手に、電話のできる小部屋が二つありますからご利用ください」
「あ、小銭も何ももっていないんですが・・・」
と言うと、女性は少し微笑んで、
「無料ですよ」と答えた。
「ありがとうございます・・・、じゃあ・・・」
案内係の女性は優しく微笑んで、軽く頷いてくれた。
「それでは、先にお進みください」
軽く会釈をして、精一杯の笑顔を作って通路を歩き始めた。
長い通路を歩いて行くと、左側に電話室があった。公衆電話のようなものが壁にかけてあり、その形に懐かしさを感じて、ふと子供の頃を思い出してうれしくなった。携帯電話の普及によって、こういう形の電話機は姿を消した。受話器を握ると、優しい人たちが思い出されて涙が目にあふれてきた。かけ慣れた電話番号をプッシュして、涙をぬぐった。ルルルルル♪ ガチャッ。
「はい、山崎です」
受話器の向こうから、野太い男の声が聞こえてきた。山崎は、かつて潮音町の高校で硬派を名乗っていた先輩だった。
その風貌から、誰も逆らえないような空気を漂わせた猛者だったが、和泉凪の良き理解者でもあった。
「あ、山崎先輩ですか。和泉です」
「おお、凪か。いままでどうしてたんだ?心配してたぞ」
「はい・・・」
僕は小さな声で話し始めた。
「先輩、ご無沙汰してます。お元気ですか」
「ああ、高血圧で病院通いさ。でも気持ちは至って元気だよ」
「先輩、俺は今でも思い出すんです。先輩に背負われて帰った時に見た空いっぱいの星空を。今でも目を閉じると浮かんでくるんです」
「ああ、あんときか。古い話だなあ」
受話器を握り目を閉じると、まぶたの裏側には空いっぱいの星がなぜか滲んで見えていた。海辺の家へ山道を下って行く。大きな山崎の背中の上で、傷だらけの体が揺れている。体はボロボロなのに、何故か笑顔が湧き出てきた。
〈 つづく 〉
「21番でお待ちのかた、21番」
「はい、私です」
僕は小さく手をあげて、声の主を探した。モバイルを持ったこの施設の制服を着た案内係の女性が近づいてきた。
「あ、和泉さんですね。お名前は何とお読みするのですか」
「凪〈なぎ〉と読みます」
書類に何かを書き込みながら、女性は親しげに話しかけてきた。
「良いお名前ですね」
「はい、父が夕凪の海を見て、心静かな平和が続くようにと名付けてくれたそうです」
「わあ、素晴らしい名前ですね」
名前を誉められて、父を誇らしげに思った。
この日、埼玉県に建てられた国営施設の待合室で順番を待っていた。
少し悩んだが、ひとりで決めた。あらかじめ郵送されてきた用紙に必要事項を記入したものを、案内係の女性に手渡した。
「和泉さん、家族の方の同意書はお持ちですか?」
「いいえ、私には家族はいません」
「そうですか。では、地域の役所への手続きはお済ですね?」
「あ、はい。これが証書です」
女性は眉間にしわを寄せて、書類をひと通り確認している。そして、ひとつ頷いてから、真顔になって事務的に話し始めた。
「はい、大変お疲れさまでした。では、この通路をまっすぐ進んで突き当りのホールでお待ちください。通路の左手に、電話のできる小部屋が二つありますからご利用ください」
「あ、小銭も何ももっていないんですが・・・」
と言うと、女性は少し微笑んで、
「無料ですよ」と答えた。
「ありがとうございます・・・、じゃあ・・・」
案内係の女性は優しく微笑んで、軽く頷いてくれた。
「それでは、先にお進みください」
軽く会釈をして、精一杯の笑顔を作って通路を歩き始めた。
長い通路を歩いて行くと、左側に電話室があった。公衆電話のようなものが壁にかけてあり、その形に懐かしさを感じて、ふと子供の頃を思い出してうれしくなった。携帯電話の普及によって、こういう形の電話機は姿を消した。受話器を握ると、優しい人たちが思い出されて涙が目にあふれてきた。かけ慣れた電話番号をプッシュして、涙をぬぐった。ルルルルル♪ ガチャッ。
「はい、山崎です」
受話器の向こうから、野太い男の声が聞こえてきた。山崎は、かつて潮音町の高校で硬派を名乗っていた先輩だった。
その風貌から、誰も逆らえないような空気を漂わせた猛者だったが、和泉凪の良き理解者でもあった。
「あ、山崎先輩ですか。和泉です」
「おお、凪か。いままでどうしてたんだ?心配してたぞ」
「はい・・・」
僕は小さな声で話し始めた。
「先輩、ご無沙汰してます。お元気ですか」
「ああ、高血圧で病院通いさ。でも気持ちは至って元気だよ」
「先輩、俺は今でも思い出すんです。先輩に背負われて帰った時に見た空いっぱいの星空を。今でも目を閉じると浮かんでくるんです」
「ああ、あんときか。古い話だなあ」
受話器を握り目を閉じると、まぶたの裏側には空いっぱいの星がなぜか滲んで見えていた。海辺の家へ山道を下って行く。大きな山崎の背中の上で、傷だらけの体が揺れている。体はボロボロなのに、何故か笑顔が湧き出てきた。
〈 つづく 〉