館山の渚の駅の斜め前、以前グラッチェというピザ屋さんがあった所、
大正時代に鉄道が来る前は、陸路は峠を越えなければならず、
東京方面に行くには海路で5時間かけて東京霊雁島(茅場町)まで汽船で結ばれた。
明治11年に館山桟橋が造られましたが、館山桟橋株式会社の所有物でした。
そして、その会社の建物、切符売り場がこの建物でした。

左のページは半世紀以上の歴史がある北条桟橋のたもとの
立教大学広告研究会のキャンプストアです。
当時は毎年店内に新しい砂を搬入する「砂入れ」があって、
館山の海岸のイメージのひとつでしたね。


CIMG0042