CIMG0028いま館山の城山の頂上には
館山城が建っているけど、
昭和30年代はなにもなかった。
ときどき大人に頂上へ
連れて行ってもらってたけど、
芝生の広場だった。
登山道も狭くて、
夏にはヘビが道を横断していた。
昭和36年には、登山道に
街灯がついた。街灯の柱には
お店の名前が書いてある。
寄付で作ったのだろうね。

CIMG9992 (2)もちろん博物館もない。
ただの景色の良い山だった。「館山」の船から見て、山の上に館が見えたということからだと聞いたことがある。
頂上は、幼稚園や小学校低学年の遠足で使われた。
この芝生で親も交えてみんなでお弁当を食べた。
昭和20年代には、孔雀園のあった場所には
木造の立派な校舎の幼稚園があった(未公開写真蔵)
城山には何もなくて、館山小学校の先輩に連れられて、
大木から下がったツルを使ったターザンごっこ。
戦時中に掘られた畳一畳分の縦穴に友達と食べ物を持ち込んで基地を作った。城山は僕らの秘密基地だった。。。

CIMG0029昭和40年になると、頂上に船を模ったという展望台が出来た。
式では建前のように上からお菓子が投げられたらしい。
この写真はその時のものですね。

僕らは、どう見ても船には見えず、イカの展望台と呼んでいた。

いまはこの展望台があった所に、
館山城の天守閣博物館が建っている。

そして、一段下の茶室がある所には、売店があったね。あそこにはすべり台があって、毎日親子でのぼって来る市民が増えて、売店の需要も増えたんじゃないかな。
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合宿の法政大学弓道部の学生さんたちは、ここまでマラソンしてたからね。
写真は昭和40年代の部員さんたちですね。
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