潮騒が聞こえる〈BEACHBOYS1997〉

たそがれ時を過ごす場所。Costa del Biento / Sionecafe    2022年、館山の夕日劇場を見においで

1970

1970年代の房洋堂さん

1970年代は館山のお土産と言えば、駅前商店街の房洋堂さんでした。
びわ羊かん、花菜っ娘、花菜月。。。でもあの頃はお菓子だけではありませんでした。
tamtam誌の店内写真をみると、貝細工の風鈴、こいのぼり、民芸品が並んでいますが、
壁の高いところにウミガメのはく製が並んでいますね。
いくらしたんだろう? この頃は規制がなかったんだよね。
この店内の光景は懐かしいですね。
東京から来た親戚とお土産を買いに行ったことを思い出します。
あの頃に戻って、店内のめずらしいお土産品を見てみたい気がします。

房洋堂かめ房洋堂2

1970年代は大変だったね

1970年代の館山の情報誌tamtamの広告ですが、あの頃はこういうの欲しいって始まった時代だと思うけど、大変だったんだね。。。でもこういうアイデアがなかったらいまはなかったんだよねえ。
あのころのアイデアは、今の時代につながっているんですね。

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まずは今の留守番電話。
1970年代はこういう電話。
数年経ってプッシュホンに
切り替わったよね。

留守の時、必要だと考えたんだよね。
会社に留守番をバイトで
置いたりしてたんだろうねえ。
これは当時の最初の第一歩!

いくらしたんだろう?


それから、1970年代に思春期だった僕は、平凡パンチやプレイボーイのいかにもヌードモデルだと言いたげな写真にもドキドキしていた。
高峰秀子さん企画の「12歳の神話」で同年代の子の裸の写真を見てきれいだと思った。その後、リンゴを持った普通の女の子がヌードで登場した。それからはGORO、スコラで篠山紀信さんらの写真にときめいた。でも、僕らの先輩たちは思春期の刺激をもらうのもお金がかかったんだね。
ひえ~!とっても高価なフィルムですね。もちろんぼかし必須の時代の商品ですね。

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1970年代の表参道

ぼくが初めて原宿、表参道へ行ったのは中学の頃、
コープオリンピアに友人が家族と住んでいた頃だった。
うらやましかったなあ。吉田拓郎さんの歌や、ドラマで、
ここが「風の街」と歌われていた頃だった。
CIMG8669原宿駅から少し表参道を下ると
千疋屋の喫茶があった。ここで、モデル時代の
草刈正雄さんと会って写真を撮ってもらった。
そして、まだ竹下通りが
あんなに賑わっていなかった頃でした。
一番はキディランドへ行くことでした。
あの頃を思い出させる雑誌の地図ですね。
表参道沿いの団地も
まるまる残っていた時代です。
友人たちと代々木の体育館で、
アイススケートに行った頃。
あの頃、冬はアイススケートが流行ったんだ。
読売ランドのスケート場に行ったとき、
女性3人のアイドル「TOMATO」がキャンペーンでいて、滑っていたのでお話が出来たんだけど、
メンバーのセンターが、のちのサーカス<アメリカンフィーリング>にいたのでビックリ!でした。
当時、ホットバンツと言われた衣装を着た素敵な女性アイドルでした。

門前仲町1970年代

切り絵第4弾です。
僕は中学受験で東京にでましたが、門前仲町は第2の故郷です。
1970年代前半には、まだ都電が走っていて、
日本橋のデパートには都電を使っていました。


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おどろきましたね


CIMG0681ちょっと前に「1970」という話を
書きましたが、千代田区ゆかりの文学に応募して、
落選してしまった作品なんです。

でも、1970年という年にスポットを
当てたことは間違っていなかったと思いました。三島討論は間違いなく市ヶ谷事件につながるからです。



三島事件だけでなく、赤軍よど号事件や、大阪万博があった1970年は、
これから注目される年だと思います。
あと3つ、書いてあるんだけど、
けっこう面白いと思うんだけど、機会があったらまた連載するので、読んでくださいませ。
1970を読み返していただける方は、右欄のカテゴリーの「1970」をクリックすると、
第1話から読むことができます。

1970 〈17〉祖父の弓道場

1373697245_1784167竹下さんのいる施設を後にした凪とミユキは、祖父の道場に立ち寄った。
 道場に入ると、どこかで祖父が見ているような気がした。手紙を手渡す約束を果たせたことを、道場の神棚に報告した。凪は祖父の人生にに触れて、もう少し話をしたかったと思っていた。弓をひいているとき、祖父と対話をしている感覚になったことがあり、無性に弓がひきたくなった。
 凪は無言のまま、弓に弦を張り、右手に弓かけをして的前に立った。ミユキも持参した弓を持って凪の後ろで的前に立った。ふたりは祖父と竹下氏のように、並んで的を射抜いていた。凪は弓をひき絞り、祖父の声を聞いていたにちがいない。

この小さな旅は、祖父の青春に触れる旅となったが、孫の凪を可愛がっていた祖父にとって、孫の成長をこれ以上見守ることができないと悟り、大事な手紙を託した思いもあるのだろう。何気なく引き受けた凪も、祖父からの言葉のない会話を正面から受けとめていた。祖父は凪に弓道を続けるようにと話していた。この旅で祖父が何を伝えたかったのかが理解できたような気がしていた。それは祖父と凪にしか分からない絆のようなものなのだろう。

弓道は28m先の直径36㎝の動かぬ的に向かい、鍛えられた体、磨かれた技術、コントロールされた心で立ち向かう。すべてが自分の内部にある武道だと言える。日本の弓は、的中率よりも弓をひく姿勢、的に向かって乱れない心を練ることに主眼があるようだ。これは道具を改良するのではなく、人間力を向上させるという文化の型と言える。現代の先行き不安な社会生活において、ストレスを抱えての激しい運動はかえって良くない。自分の中の自分と対話ができる時間が弓道にはあるような気がする。静かな時間の中で、弓の弦音を聞いていると、それだけでも心がやすらいでいくのを感じる。現実とは一歩離れた環境がこれからの社会人の健康に帰すると考えられている。

1342262994_2799628凪は祖父の影響で小学生の頃から弓道を習い、ミユキも支部道場を紹介されて弓道を習っている。すでに、弓道の絆で結ばれている不思議な縁だ。年齢を重ねても、年齢が高い人でも続けることができる武道である。よき指導者、良きライバル、良き親友の存在が、その人の射を形作っていく。人生には良いことと悪いことが半分ずつあると言われるが、悪いことの方が多いのかもしれない。ただ、悪い時をどう捉えるかで、ピンチをチャンスに出来るのだろうし、悪いと捉えること自体がなくなるのかもしれない。

楽しいことよりも辛いことの方がきっと多いのだろう。そんな時の「平常心」、これが道であると祖父は言っていた。凪とミユキはこれからの長い人生の中で、人間力を磨く武道でどんな成長を見せるのだろうか、祖父はそれを見守っていたかったに違いない。竹下氏への手紙を凪に託したことも、伝えたかったことがあったからだ。竹下氏を訪ねるこの小さな旅で、祖父からの思いは、確かに次の世代へつながれた。

矢取りに向かおうとした凪は、ミユキの美しい射形に目を奪われた。流れる水のように無理のない所作、静かな横顔の中で鋭く的を射す眼光。かすかな風に揺れる髪の毛。美しい光景だ。この世のものとは思えない美しさだと感じて。声を失っていた。きっとふたりとも弓の良きライバルになるだろう。祖父たちに輝く瞬間があったように、凪とミユキにもそんな季節がやってきていた。

         〈完〉

1970 〈16〉祖父の手紙

竹下さんは、そっと手紙を開き、じいちゃんの手紙を読んでいた。
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『竹下さん、お元気でしょうか。
 ずいぶんと長い年月が経ってしまいました。私が過ごしたのと、同じ年月があなたにもあったんでしょうね。私の生きてきた弓道人生をあなたにも見てほしかった。それが私の生きてきたあかしだと、この年になって思うようになりました。

 あの深川の道場で初めてお会いした時、あなたの弓の才能には驚かされました。そして、永遠のライバルだと感じました。これからずっと弓道を通じて高みを目指していけると思っていました。ところが、あなたのお父上がお亡くなりになると、突然私の前から居なくなってしまいました。あの前日の夜の十二射、初めてあなたが的を三本外しました。心配事や悩みがあったのでしょうか、涙を流して弓をひいているように感じました。あのとき、あなたは弓道に別れを告げていたのかもしれませんね。私はそれを気にしていながらも、聞いてあげられなかったことを今も後悔しています。あなたと目指していた全日本の優勝も果たせないままでいます。私は竹下さんのために何ができたんだろうか。

 あなたが居なくなった道場は、夢から覚めたように何もなかった。大事な存在を失ってしまったことで目的も明日も見えなくなり、虚しい日々が待っていました。ふたりして競い合っていた時が、幸せな時間でした。孤独な道場にいたたまれなくなって館山に帰って来てしまいました。それでもあなたに会いたくて、富士見の坂のところでお会いしましたね。弓から離れてしまったあなたの無念さが伝わってきて私もつらかった。また一緒に弓をひこうと言った時、あなたは目を閉じて首を横にふりましたね。あれだけの弓をひく竹下さんが、弓を続けられないなんて悔しくてたまりませんでした。
1154829212_1158525 この年になるまで弓道を続けてきましたが、弓を続けられなくなった竹下さんの分まで頑張ろうと続けてきました。あの当時、私たちの間にはあまり会話はありませんでしたが、あなたの思いは射の様子でいつも感じ取っていました。
 いまだから話せることもあるのではないかと考える毎日です。竹下さんとお話してこれまでのことを聞いてみたい、弓を離れなければならなかった胸の内を、悔しさを、弓のライバルだった私になら話すことができるんじゃないかと思います。あの時何もしてあげられなかったけど、あなたの話を聞くことで、背負っている肩の荷を少しでも下ろしてあげられたらと考えています。私はもう、そう長くは生きられないようです。懸命に探してみましたが、まるで夢だったようにあなたはどこにもいなかった。

 もう一度会いたい。私の命があるうちに・・・』

静かな時間の中に、竹下さんのすすり泣く声だけが聞こえていた。

       〈続く〉

1970 〈15〉千葉県館山市

館山は房総半島の南端に位置し、冬でも花が咲いている温暖な地だ。

ここ館山における本格的な現代弓道は、大正13年の弓道倶楽部の結成に始まる。元関宿藩の日置流竹林派の弓道師範であった三浦平之介を指導者としたが、明治4年の廃藩置県によって職を失い館山に来ていたようだ。これに師事した若者たちの中に凪の祖父、保がいた。祖父は弓道に魅せられてこの地に道場を開くに至っていた。

武道は日本人の「ものの考え方」や「行動の仕方」が内在する運動として取り組まれている。そこには日本人の世代に引き継がれる調和があった。弓道は「礼の道」「仁の道」である。
1365812015_1901490礼に始まり礼に終わるのが
「弓の道」、射は己自身を正しく
する道であり、もし失敗しても他人を怨まない道であると教えられる。「射は己自身の中に正しきを
求めるものである。己正しければ、心「こころ清しき」。
弓を射るということは、的に矢を
的中させることを求めるのではなく誠を尽くして発せられた矢が、おのずからなる結果として的中することを求めて行射しているのである。

矢を発して当たらなければ、他を怨むようなことなく、これを己に求めてよく反省せよと教示されていて、弓道は儒教を基礎とした道徳の修養道であることが分かる。

弓道には日本人が慣れ親しんだものの考え方がや行動の仕方があり、さらに体の健康ばかりでなく、心の健康にもつながる要素を持っている。祖父の長い人生の中で、ただひとつの心残りとなっているのが、深川道場でのライバルであり親友でもある竹下純子さんだった。館山湾を見下ろす丘の上に建つ施設に、探し求めた竹下さんがいる。目の前に迫った白い建物がその施設である。施設の前で、ミユキの足が止まった。
「凪、ちょっと待って。私何だかドキドキする」
「僕もそうなんだ。少し休んで、深呼吸してから行こうか」
玄関のベンチで気持ちを落ち着かせてから、祖父からの手紙を左手に持っていることを確認して、凪は立ち上がった。それを見て、ミユキも立ち上がり、あとにつづいた。受付で部屋を確認して、廊下を奥に進んだ。
「凪、この奥に竹下さんがいるんだね」
「もうすぐ会えるね」

凪とミユキはある部屋の前に立っていた。ふたりは目を合わせて心を決めて頷いた。
「失礼します」
ノックして扉を開けると、部屋の奥で車いすに座った細身の婦人が、窓の外の海を眺めていた。何かを考えているようで、凪たちには気がついていないようだ。凪は竹下さんの背中越しに声をかけた。
1396933597_2589010「宮下純子さんですか?」
「はい」
「はじめまして、僕は石田保の孫の凪といいます」
凪の声を聞いた婦人は振り返り、優しい眼差しで凪を見つめていた。
「保さんのお孫さん」
「はい」
小さな上品な声で囁く、きれいな御婦人だった。


「おじい様はお元気ですか?」
「じつは、去年の暮れに亡くなりました」
「えっ?えっ? 保さん亡くなったんですか?」
「はい」
婦人は肩を落として、下を向いてしまった。そして、しばらくの間沈黙がつづいた。静かに目を閉じた婦人は何かをつぶやいているようだったが、凪たちに聞こえることはなかった。
様子を見ながら、婦人の背筋が伸びたのを確認してから凪は話しかけた。
「祖父はどうしてもあなたに逢いたくて、連絡を取ったのですが分からなかったようです。それが最期まで気がかりだったようです。それで、あなたに渡して欲しいと僕が手紙を預かっています」
「そうですか。私も保さんに会いたくて、ここを選びました。ここにいれば、いつか保さんに会えるかもしれないと思っていました。そう、亡くなったんですね、保さん・・・」

「はい、祖父はあなたのことを竹下さんといっていました。祖父の記憶の中では、竹下さんなんですね。竹下純子さん、じいちゃんからのこの手紙、確かにお渡しします」
「ありがとう」
手紙を手渡すとき、婦人が涙をこぼしているのに気づき、凪も目頭が熱くなった。細い指だった。手紙を大事そうに両手で包み込み、小さく頷いた婦人は、凪にゆっくりと頭を下げてから手紙の封を開いた。その手は小刻みに震えていた。

  〈続き〉
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ぼくらの夏は終わらない 1997年夏の月9ドラマ「ビーチボーイズ」に酔いしれる。館山市布良でロケ。
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