潮騒が聞こえる〈BEACHBOYS1997〉

たそがれ時を過ごす場所。Costa del Biento / Sionecafe

館山CC

館山CC

1112平砂浦にある館山カントリークラブは昭和42年<1967年>の開業。
館山小学校の遠足は館山CC裏手の砂山だったけど、その頃は砂利道を行く車も少なかったので、あそこまで列をつくって歩けた。
そして、ゴルフ場が出来てからはクラブハウス兼ホテルの洋風のお城だった。
まだ椰子の並木が植えられて背の低い頃、ウルトラセブンのロケがあったね。アンヌ隊員や子役だった松坂慶子さん、ポインター号が走っていた。
数年前にお城のホテルは壊されて、新しいクラブハウスが出来た。
昭和生まれにとっては
見慣れた平砂浦のお城が
なくなってしまい、寂しいですね。
あの頃は石焼の館山ステーキが
名物のレストランでしたね。ホテルやプールがあって家族で行く場所ではなく、ゴルフに特化した施設になりました。

失われた景観

館山カントリー館山カントリー2平砂浦にある館山カントリークラブは、単にゴルフ場というだけではなく、館山の景観の一つとして、昭和の頃からランドマークのようになっていました。
小学生の頃、ウルトラセブンのロケでモロボシダン隊員とアンヌ隊員、そして、子役だった松坂慶子さんがロケに来ていました。砂山への道路をウルトラ警備隊のポインター号が走って行きました。


この館山カントリークラブのフラワーラインからの並木の先には、お城のようなクラブハウスが建っていました。レストランでは石がジュウジュウと音を立てる館山ステーキが人気のあるメニューでした。
数年前にお城型のクラブハウスは、どこにでもありそうな建物に建て直されて、あの異国情緒を失ってしまいました。



令和という時代、元年には台風が街の景観を変えて行き、2年にはコロナが人の行動を変えて行きました。今まで昭和から残してきた木造の歴史ある建物や、集めてきたものが取っておけないような、人々が身軽になる時代なのかもしれません。
数年後にお札が一新されますが、1万円の渋沢栄一さん。戦後の日本の預金封鎖、新札への移行を利用したのは、渋沢さんのお孫さんの渋沢大臣です。

貧乏を知らない麻生大臣は、職を失った若者に再度の10万円は考えてないと切った。国民の苦悩を切ってまでやりたい施策は何なのだろう?まさか新札の時に預金封鎖と金の価値を変えるということはしないよね。あるいは、国民の持っているお金にマイナス金利をかけることなどしないよね。もし、マイナス金利をかけられると、持っているお金が目減りすることになり、考えただけでも怖い方向性が想像できる。麻生さんは高橋洋一さんの意見を聞いた方がいいよ。いま考えてることは国民にとって絶対良い方向ではないよね。もう少し麻生さんの言う下々の民に近づいた政治を願う。安倍さんのブレーキが利かなくなった麻生財務は、高橋さんの正論と戦わせたほうがいい。この時点で二階派と言っていい<?>の菅総理は何も麻生さんには言えない立場なのかもしれない。神奈川県同県の河野太郎さんは麻生派だから頼みの切り札を失いたくはないのだろうね。麻生さんの口が益々曲がってきているのは、精神的な困難を抱えているからなのかな?
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