潮騒が聞こえる〈BEACHBOYS1997〉

たそがれ時を過ごす場所。Costa del Biento / Sionecafe        Seaside Blue Rosesを夢見て

館山

火の見やぐら

青柳は、上真倉と下真倉にまたがった地域で、館山地区を流れる汐入川の東側に位置し、東は日枝神社、南は館山バイパスの下真倉南交差点、北は下真倉交差点とJR内房線との中間地点までで、4区45班で構成された広い地域です。
CIMG0025館山小学校では西は大賀あたりから通う同級生が遠いと感じたけど、東は青柳が結構通学には遠かったね。青柳には自衛隊官舎があって、そこから通う米村君という頭の良い子がいた。

この頃は田んぼの向こうに見えるような火の見やぐらがあったよね。
館山神社の荷もあって、上りたかったなあ。。。


CIMG0026いちばん高かったのは、市役所通りにあった頃の消防署ですね。
館山警察の並びにあって、火の見タワーは館山市内を見渡せる高さですねえ。あの頃は高いビルもなかった時代です。
昭和の頃に撤去されて、令和になって、旧南高校舎の横に引っ越しています。タワー中ほどのベランダから隊員の方たちがロープを使って降下訓練をしていましたねえ。
いまは、火の見やぐらよりも高い建物も出来て、その役目を終えたのかもしれません。














とんかつこぶた

ダウンロード館山の人気店、とんかつこぶたさん。
上野原の街道沿いにお店を構えています。
昭和生まれの僕の覚えている
こぶたさんの思い出です。





こぶたが六軒町1970年代には、六軒町にありました。
いまの牛角さんの前あたりでしょうか。












こぶたそして僕が小学生の1960年代、
こぶたさんは館山地区の
三福寺近くの
下町と新井の裏通りにありました。
小学生の時に追いかけた、紙芝居のおばさんの家の近くでした。
この頃は出前もしていて、
父親の好物でした。
ぼくはとんかつの肉を衣から出して、衣の中にご飯を詰めて食べていました。それだけしっかりした衣でしたね。

館山の川名写真館

川名写真館2僕は小さい頃から通っていたけど、
下町の川名写真館さんには
歴史があったんですね。

店内のこの風景は懐かしいですね。


CIMG0326川名写真館0

















川名さんに残る大正の記念写真。
浅沼一家が館山の別荘で。。。
川名さんによる撮影です。

この写真の学生服は
僕の先輩、東京九段の
暁星学園のものです。
彼らは3兄弟で、
兄は双子のお兄さんで
大正期の卒業、弟さんは
昭和の卒業です。
CIMG0327

いとう屋デパート火事後の再オープン

1373149618_1276009昭和30年代に子供だった僕らの憧れは、当時5階建てくらいだったいとう屋デパート屋上の乗り物だった。10円入れて数分間動く。
館山信用金庫の斜め前にありました。いつだったか火事になって解体されましたが、その後、平屋で建った店舗の写真がありました。
火事後のいとう屋3いとう屋さんは秋山セトモノ店さんの並びに「いとう屋フーズ」も出していましたね。館山小と北条小の野球を文ちゃんが企画して、北条小チームには、いとう君もいましたね。
火事後のいとう屋火事後のいとう屋2

館山の大正ロマン 海岸ホテル

CIMG0143館山の旧安房水産高校と旧館山二中 の間の高台にあった海岸ホテル。海岸ホテルは大正11年(1922年)木造で約80室の海を見下ろすホテルでした。
「また旅倶楽部」さんの記事によると、同年の関東大震災後の9月6日に戒厳令が敷かれて、軍隊が安房郡に派遣された。陸軍歩兵学校、佐倉歩兵連隊、県警がやってきて、海岸ホテルが本部となり治安維持にあたったという。

戦時中は、海軍の懇親会や来賓接待所となった。

大正15年には島崎藤村が療養中の恋人に会う為に宿泊したと言われている。昭和40年代になると、建物はかなり老朽化していて、館山にやってくる夏合宿の大学ヨット部の合宿所として利用されていたが、聞くと2階への階段の真中に大きな穴が空いていたという。大正期の館山には当時ハイカラと言われた建物が存在した。

仙台藩の廻船役所跡

館山の「また旅倶楽部」さんの記事を読んで知ったのですが、
ここは、そんな歴史があったんですねえ。
ぼくの生まれ育った館山市の仲町と上町の境の道路、
君塚パーマ屋さんの横を入っておちかんさま(いまの上仲公園)へ
向かう道がありますが、上町側の角の建物の話です。
いまは沖縄料理の店が建っています。

CIMG9990 (2)これは昭和43年のアルバムの写真です。館山小学校鼓笛隊パレードが来たので、日付は8月7日、観光まつりの七夕パレードです。
建物には「仙臺屋」、小学生の頃は壺か何かを売っている店だと思っていました。
この「仙臺」は仙台なんですねえ。館山が江戸に入る海の玄関口であることがわかりますねえ。それと同時に七夕で有名な仙台ゆかりの仙台屋さんの前を通る七夕パレードのつながりも感じます。
「また旅倶楽部」さんの記事によると、その昔、ここは仙台藩役所跡、廻船役所だったので、藩の年貢米などを輸送する船の改めや、船が難破した際に世話をするところで、かつては藩士ふたりが詰めていたそうな。東北仙台からの江戸への海路では、東京湾の入口にある館山は外海の荒波を越えてきての港だったんでしょうね。海から離れていると思うけど、その頃はもっと陸まで海だったんでしょうね。
CIMG9992 (2)昭和43年、城山の山頂には何もありませんね。昭和30年代、親に連れられて登った幼い日は、城山の山頂は芝生の広場でコンクリートの低いかきねがありましたね。
(知人の叔母さんなので、顔はNG)

潮留橋の際

CIMG0039館山地区と北条地区の境界、汐入川にかかる潮留橋は昭和生まれの僕らには懐かしい場所です。このシャッターの建物は昭和の頃は秋山書店で、館山小学校に通うぼくらの集合場所でした。
少年漫画や雑誌の発売日に、友達と待ち合わせたり、参考書を買いに。父の時代には、北条小と館山小のガキ大将たちが石の投げ合いをしたとか。。。
城山のある館山地区と街の中心地のある北条地区の境界の汐入川にはメインがこの潮留橋、三福寺の橋、館山二中のとこの橋、そして水産高校の富士見橋、海岸道路の橋は裕次郎映画の時はなかったようですね。

CIMG0134この秋山書店の川との間に館山地区の交番があったという話は
数日前の記事に書きましたね。交番は城山入口が作られて、
岩瀬商店の隣の浅井歯科医院のあったあたりに移転しましたね。
館山地区の交番が、まだ潮留橋のところにあった頃の写真がありました。
まだ、秋山書店が営業中で交番も写っています。

松田屋兄弟書房とは

222この写真は大正初期の写真なんでしょうね。館山市の写真なんだけど、さてどこでしょうね?
ヒントは手前の看板です。
「松田屋兄弟書房」
きっと、駅前にあった松田屋書店さんの前身なんでしょうね。でも、この写真は駅前ではありません。

館山駅は大正8年頃の開業で、鉄道の開通で南町にあった商店がこぞって駅前に移転してきて、駅前の商店街ができたので、それ以前は田んぼだったんでしょうねえ。そのあたりのことは、右の「館山市の歴史」のカテゴリーを探って戴ければ、分かると思います。
333それでは、この写真はどこか?ですが、ヒントは大正4年の地図にあります。
松田屋書店は地図のいまの六軒町の通り。。。いまの塾のあたりかな?
写真では左にお店があるので、この通りの先は千葉銀のある交差点から海へ向かっている方向ですね。駅前に移転する前なので大正4年くらいの写真なのかもしれませんね。PCで見ている方は地図上をクリックで少し拡大されます。

大正8年までは海岸の桟橋からの汽船による海路が主な交通の中心、駅前が賑やかな時代は鉄道が館山までやってきた時からなんですね。地図で分かる気付いたことですが、裁判所の通りはこの時はありませんね。鈴木菓子舗の前の道路が本通りだったんですね。
松田屋駅前の松田屋さんは駅前交差点の角に文具と玩具のお店、中村パン屋さんの隣に書店、日東バス停留所横にも書店、そして、農協通りに楽器店とありましたね。
ビリー工作キット昭和シリーズ
ぼくらの夏は終わらない 1997年夏の月9ドラマ「ビーチボーイズ」に酔いしれる。館山市布良でロケ。
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