潮騒が聞こえる〈BEACHBOYS1997〉

たそがれ時を過ごす場所。Costa del Biento / Sionecafe    2022年、館山の夕日劇場を見においで

飯田橋

飯田橋駅

71僕は中学受験で東京へ出て、
この飯田橋駅を
利用していました。
サッカーの松木君と
あるいていたのも
懐かしいです。

僕が利用していた頃は
こんな駅舎で、
改札からホームまでが
長い通路でした。
ホームも電車と離れるくらいにカーブしていましたね。
駅前には警察病院、そして、
昭和の終わりころには
館山の松田屋書店が通学路に出来ました。

iidabasi 新そんな飯田橋駅も、
市ヶ谷方面に移動して、
まっすぐなホームになったようです。
駅舎も昔の面影はありません。
また昭和が遠くなりましたね。







1970 〈6〉飯田橋

餃子会館を後にしたふたりは、飯田橋駅の線路沿いの道を歩き、警察病院の前までやって来た。

ふと、鰻を焼くにおいが漂ってきた。日本歯科大学の体育館の横に、老舗のうなぎ屋さんがある。凪も飯田橋から歩くとき、鰻をさばいている光景をよく目にしていた。とてもいい匂いだが、餃子を食べたばかりの二人には食欲を誘うものではなかった。ミユキの作った地図を見て、富士見の坂の位置を確認していた。
「先週は目白通り側の坂を調べたから、今日は富士見の反対側の坂に行ってみようか」
「うん、早稲田通り沿いの日本歯科大学の裏手に3か所だけど坂があるみたいね」
「じゃあ、そこから行ってみよう」

地図を頼りに歩いて行くと、飯田橋駅の外濠に近いところから日本歯科大学の裏手に向かって下って行く坂道があった。ここは江戸時代からある坂で、幽霊坂と言われている。何とも不気味な名前の坂道である。坂に面してる何軒かの家人に竹下という家があったか、竹下という弓道をする人を知らないかと尋ねて歩いたが、得られる証言はなかった。この坂を下って行くと、左手に早稲田通りから繋がった日本歯科大学の裏通りから下ってくる坂道がある。この坂も、何と同じく幽霊坂と呼ばれている。これで二つ目の幽霊坂を見つけたことになった。この坂の住人にも数軒聞いて回ったが、竹下氏の情報は得られなかった。

さらに、その坂道を左に見て少し進み、日本歯科大学の真後ろまで来ると、左手から曲がって下ってくる坂道があった。この坂もまた、幽霊坂と呼ばれていた。この三つ目の幽霊坂はは江戸時代は坂道ではなく、のちの法政大学の敷地内だった。昭和30年代に開削されて住宅地となったらしい。それならば、何故この新しい坂道まで幽霊坂と名付けられたのだろうかという疑問が残った。新しい住民たちは好き好んでこんな気味の悪い名前の坂にはしないだろう。この坂の住人達も竹下氏の情報は持っていなかった。しかし、驚いたのはこの狭い地域に三つの幽霊坂があったことだ。

1213768930_917547「ねえ、凪。いま私たちがいる所って、三つの幽霊坂に挟まれているよね。ここって、出るのかなあ」
「まさかあ、そんなとこに家を建てて住まないでしょ。それぞれの坂にきっと意味があるんだよ、きっと・・」
「きっとォ?」
「何でこんなに幽霊坂があるのか、図書館に行って調べてみるよ。民家もたくさんあるから、とりあえず、じいちゃんの親友のことを聞いてみようよ」

と、言いながらも足早にその場を離れていった。そして、ふたりは手分けをして民家を訪ねて弓道をする竹下氏の情報を聞いて回った。ふたりが中学生であったために、住民の方たちも警戒せずに親切に話してくれたようだ。ここで1件だけ情報があった。この幽霊坂からは少し離れるが、竹下という家があったということだ。十年ほど前に北千住に引っ越したという。ご近所の方が年賀状のやり取りがあると言うことで、住所も分かった。これはひとつうれしい情報を得ることができた。
    〈続く〉

キッチンカロリー


このお店には学生時代お世話になりました。中学高校を過ごした飯田橋にもありましたが、一番通ったのは、大学のあった御茶の水店ですね。お茶の水は、明治大学、順天堂大学、日本大学理工学部・歯学部、東京医科歯科大学、さらには予備校などが集まる場所です。70年代までは中央大学もありました。そんな御茶ノ水で人気の洋食屋さんが「キッチンカロリー」です。

「キッチンカロリー」は、1954年に創業したお店で、かれこれ、65年以上もここ御茶ノ水で愛されてきたお店です。カロリーを抑えるのではなく、がっつりとカロリーを摂取して元気になれるそんな洋食店です。

ぼくは大学では剣道部だったので、先輩がタバコをくわえたら、に備えてマッチ箱をいつも持っていました。それで、それがコレクションになっていました。これはキッチンカロリーのマッチです。これを見ると、また食べたくなります。
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飯田橋の餃子会館

「空手バカ一代」という漫画を読んで、
極真空手を始めた人は、ぼくの世代では多い。
東京飯田橋の駅近くのビルの一階に
かつて「餃子会館」というお店があった。
中学生だったぼくは、ここの餃子が好きで
放課後、よく食べに行きました。

時間内に100個食べると、無料となり、
1万円の賞金ももらえる。
女性は50個で5000円、
近くの日本医科大学の看護師さんが
何回も成功していて、名前を壁に張り出されていて
ぼくのヒロインでした。

ある日、カウンターのなかの店主らしい人が
ぼくが館山出身だと話すと、顔を覚えてくれました。
「極真の本部夏合宿は館山でやるんだぞ」
「安房自然村って知ってるか?」
店主は極真空手の有段者だったんですね。
池袋の極真会館で空手の修業を。。。
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そういえば。。。このお店の名前
「餃子会館」って。。。
ビリー工作キット昭和シリーズ
ぼくらの夏は終わらない 1997年夏の月9ドラマ「ビーチボーイズ」に酔いしれる。館山市布良でロケ。
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