これは大正10年の東京神保町の絵葉書ですね。
大正10年というと、海路が主要交通手段だった館山に鉄道がひかれて
館山駅ができて、蒸気機関車がやって来た頃ですね。
東京御茶ノ水、神田駿河台下の現在は古本屋街のあたりでしょうか。
靖国通りの道路の先は九段下方面だと思われますね。
道路の奥に左に曲がって大きく登っていく九段坂が見えています。
ということは、左側の木々が茂って見える辺りは北の丸公園、
現在、日本武道館の建っているあたりなのかもしれません。
画像奥正面の左カーブで登っていく九段坂の右にある
大きな赤い屋根の建物の右側に、もうこの頃は僕の通った中・高があります。
画像の太陽の陽射しが当たっている右側の家並みと、
日陰になった左側の家並みに注目してください。
現在も古本屋の店は、画像の左側の家並みに並んでいます。
これは店頭の本が陽射しで色あせないように配慮があったんですね。
植えられた街路樹は、さすがに帝都と呼ばれた東京の道路ですね。
おっと、路面電車の右側のお店に「ハカマ」の看板がありますね。
そう、ここは神田、学生が通う大学の多い街、「〇〇節」という
大学生が酒宴の締めで歌う歌詞のなかに
♪もんつき はかまは〇〇の育ち~
ボロはまとえど こころはにしき~♪
とあるように、この時代は硬派の大学生がハカマ姿で
闊歩していたのかもしれませんね。