潮騒が聞こえる〈BEACHBOYS1997〉

たそがれ時を過ごす場所。Costa del Biento / Sionecafe

神保町

大正の神保町

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これは大正10年の東京神保町の絵葉書ですね。
大正10年というと、海路が主要交通手段だった館山に鉄道がひかれて
館山駅ができて、蒸気機関車がやって来た頃ですね。

東京御茶ノ水、神田駿河台下の現在は古本屋街のあたりでしょうか。
靖国通りの道路の先は九段下方面だと思われますね。
道路の奥に左に曲がって大きく登っていく九段坂が見えています。
ということは、左側の木々が茂って見える辺りは北の丸公園、
現在、日本武道館の建っているあたりなのかもしれません。
画像奥正面の左カーブで登っていく九段坂の右にある
大きな赤い屋根の建物の右側に、もうこの頃は僕の通った中・高があります。

画像の太陽の陽射しが当たっている右側の家並みと、
日陰になった左側の家並みに注目してください。
現在も古本屋の店は、画像の左側の家並みに並んでいます。
これは店頭の本が陽射しで色あせないように配慮があったんですね。
植えられた街路樹は、さすがに帝都と呼ばれた東京の道路ですね。

おっと、路面電車の右側のお店に「ハカマ」の看板がありますね。
そう、ここは神田、学生が通う大学の多い街、「〇〇節」という
大学生が酒宴の締めで歌う歌詞のなかに
♪もんつき はかまは〇〇の育ち~
 ボロはまとえど こころはにしき~♪

とあるように、この時代は硬派の大学生がハカマ姿で
闊歩していたのかもしれませんね。


先輩たちのラドリオ

1960年代の終わり、お茶の水一帯は学生運動の中にありました。
大学生の先輩たちは、学び舎は閉鎖され混乱の時代にいました。
ポリシーを持った学生たちは機動隊に向かって行きました。
「三島由紀夫vs東大全共闘50年目の真実」を見ると、熱い空気に触れられますね。
僕が中学受験の勉強しているときに、東大安田講堂から煙が上り、
一日中、ヘリコプターが旋回しているのを上野から見ていました。

CIMG9765画像は、神保町の書店街、
現在の書泉グランデのある前の
靖国通りですね。
機動隊に向かって学生デモ隊が
とびかかっています。
アメリカでもコロンビア大学の
学生運動を映画化した、あの
「いちご白書」がありましたが、
日本の学生運動の広がりは
さらに過激でしたね。
リーダーのひとりが以前安房の人でご紹介した鴨川在住の加藤登紀子さんの夫、藤本さんでした。
CIMG9766左上の画像で中央の柱の看板「ラドリオ」という文字。
学生たちに愛された喫茶店です。
書泉の裏通りのラドリオ喫茶店です。
まだあるんでしょうか?

もし残っていれば、
あの頃の空気を感じることができるかもしれません。
あの頃感じた珈琲の濃さは、先輩たちの
熱い季節の味だったのかもしれませんね。





<画像は小田急TIMEさんより>


神保町交差点

古き良き時代の靖国通りですね。
神保町交差点の交番もあります。
古本屋が靖国通りの南側に集中してあるのは、本が太陽に当てられないように
道路側に入口のある側だけに並んでいるんだそうです。

僕らの時代はビニ本と呼ばれたエッチ系で有名な芳賀書店がありました。
芳賀書店だけでなく、神保町の交差点から水道橋へ向かうと2軒くらいはあったね。
あれも、神保町の書店の歴史の1ページだったと思います。宇宙企画などの
VHSによって、裸のアイドルが生まれました。

CIMG8700
ぼくらの夏は終わらない 1997年夏の月9ドラマ「ビーチボーイズ」に酔いしれる。館山市布良でロケ。
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