じっとその場所で見守っていた。
こぼれる涙をぬぐおうともしないで、
涙でにじむ民宿の姿を胸に刻み込んでいた。
その数日後、真琴は図書館勤務を辞めて、
そして、スナック渚前の白いベンチに、きょうも春子の姿がある。
郵便配達の途中のこうぞうが通りかかった。
こうぞう「春ちゃん、なにしてるの?」
春子 「別に・・・・」
こうぞう「別に。。って、どっかのタレントさんみたいじゃない?」
春子 「別に・・・・」
こうぞう「春ちゃん、元気だしなよ!春ちゃんが暗くしていると、
俺らまで沈んじゃうよ」
春子 「・・・」
こうぞう「じゃあ、おれ配達の途中だから・・」
こうぞうは、春子を気にしながらも、帽子をかぶりなおして
郵便物の配達に向った。
こうぞうと入れ替えで、タクシーの運転手に戻った蓑田がとおりかかった。
蓑田 「春子さん・・・」
呼びかけても返答のない、ぬけがらのような春子をみて、
心配そうに蓑田は去っていった。
春子は毎日、このベンチに座って海を見つめている。
毎日考えていることはひとつのようだ。
いつも、ひとことだが、こうつぶやいている。
春子 「春樹・・・・・・・・・・・・・・・・」
その目ははるか海の沖を見ている。
はるか中東にいる春樹のことを、春樹だけのことを春子は思っている。
それはフェリーの悲しい別れのときの約束でもあった。
民宿も渚も社長も失った春子のいきがいは、春樹だけだった。
蓑田もこうぞうも、心配して日課として1日何回か、
その理由はただひとつ、春子の様子をみるためであった。
蓑田もこうぞうも、春子のために渚だけは守りたかったが、
それもかなわなかった。
何度も何度も、春子に頭を下げた。
しかし、春子にはもうふたりのことを思いやるこころの余裕がなかった。
手紙を持ってきた。
こうぞう 「春ちゃん、はい手紙!」
こうぞう 「春ちゃん、はい手紙!」
春子 「え?手紙?」
春子の目が一瞬、活気を取り戻したように見えた。
春樹からの手紙?まさか?という気持ちのたかまりが
春子の回路を急激に回転させたようだ。
いつもの春子がそこに甦った。
こうぞう 「誰からなの?」
手紙をみて、春子はつぶやいた。
春子 「ああ、真琴から・・・」
ちょっと気落ちした春子だったが、ひさしぶりの真琴の手紙を読み始めた。
手紙
「春子さん お元気ですか?
さみしそうにしてると、こうぞう君から聞きました。
ひとりになっちゃった春子さんが、また元気になってくれるのが、
私は一番うれしい。
私は、東京でも図書館に勤務しています。
子どもたちが本を読んでいる姿をみると静かなしあわせを感じます。
潮音にいたときと同じ図書館のお仕事なのでちょっと困ったことがあります。
勤務が終わって図書館をでたとき、潮騒が聞こえないのと、
海のにおいがしてこないので、ちょっと寂しくなります。
いままであたりまえのように思えていたことが、とっても貴重に思えます。
私にはあの潮音の環境がやっぱりいちばん合ってると思います。
わたしが頑張って、またあの場所に民宿を建てるから、
それまで待っててね・・春子さん。約束だよ。
追伸 :美智恵さんと、昨日会いました。
こんど潮音海岸入口で、軽食屋さんを開くそうです。
これって、ひょっとしてわたしのためにィ??
真 琴 」
春子 「真琴、元気そうジャン。よかった~」
こうぞう「春ちゃんも早く元気になってよ」
春子 「え?別に・・・」
こうぞう「じゃあ、おれ配達の途中だから、行くね」
春子の態度に軽く鼻をひきつらせながら、帽子をかぶりなおした。
こうぞうはオートバイのエンジンをかけて、走らせた。
そして、また春子はひとりになった。
来る日も来る日も、春子は白いベンチで時を過ごした。
いつからか、春子の姿が、このベンチから見られなくなった。
町を出て行ったのだろうと、うわさが流れた。
春子の座っていたベンチの右端に文字のようなシミが残っていた。
それは毎日毎日、春子が涙をぬぐった指で書いた文字のシミだった。
そのベンチのシミは、「は・る・き」の三文字に読めた。