〈この話は、1970年、昭和45年の設定で書かれています〉

1970     〈1〉

 御茶ノ水駅のホームで神田川の流れを眺めていると、右下方を通過する地下鉄丸ノ内線の赤い車両が向こう岸のトンネルの中に消えて行った。赤い車両には波のような白い模様があり、それを見ているうちに、あの時の光景が繰り返し浮かんできた。
1449044662_132492 去年の暮れに凪〈なぎ〉の祖父・保〈たもつ〉が亡くなったが、その7日前に凪は呼ばれて祖父のもとにいた。
「凪、お前に頼みがあるんだが、聞いてくれるか」
「うん、何?」
「実は、私には忘れられない弓道のライバルがいるんだ。その人は竹下という人で大親友でもある。その人にこの手紙を届けてもらいたいんだ」
「いいけど、どうして・・」
「だいぶ長い間、会っていないんだ。知っていた住所に手紙を出しても戻ってきてしまう。電話もつながらないんだ」

「ええ? 何か手掛かりはないの?」
「ああ、前に訪ねたとき、凪の通う中学校のある千代田区の富士見にある坂の所に住んでいたのを覚えてるよ。あとは、若い時は的をはずすことのない上手な弓ひきだった」
「へえ、えっ? それだけ?」
「ああ、元気なうちにどうしても会いたかったんだが、見つからなかったんだ」
「じいちゃん、何とか探してみるよ。探してくるから元気でいてね」
「ああ、凪頼んだぞ」
「うん」

祖父は,父ではなく孫の凪に手紙を託したのだった。祖父は笑顔で凪を見送った。しかし、凪を待つことなく亡くなってしまったのだった。凪の手には祖父から預かった手紙が残った。凪はあの時の祖父の笑顔が、いまでも手に取るように思い出されて仕方がないのだ。丸ノ内線の赤い車両がまた神田川の上の線路を走り抜けて行った。

聖橋を下から見上げてため息をひとつ、丸ノ内線が神田川の上に現れて、東京医科歯科大学のある対岸の地下に再び消えて行くのを数本見送った。ふいに肩をトンと叩かれて振り向いた。
「待った? お待たせ」
そこには、幼なじみのミユキが立っていた。愛嬌のある、いつもと変わらない笑顔がそこにあった。凪は男子校に通っているので、ミユキと会うのは久しぶりだったが、気心知れた仲なので何でも話すことができる。知り合ったばかりの女友達と違って、変な気を使わなくていいのが幼なじみのいいところだ。それでも異性を意識するのがこの頃からなのかもしれない。

男子中高生も女子中高生も雑誌のページのみみにあるペンフレンド募集の投稿を隅々まで見て、これと決めるとドキドキしながらペンフレンドになるために顔も知らない相手に手紙を書いていた。凪もペンフレンドはどんなものかと思い、学生向けの雑誌に「ぼく、男子校に通っています」という言葉と共に住所と名前を書いて投稿してみた。驚いたことに、一週間も経たないうちに50通を超える女子校生からの手紙が届いたのだ。

「私、男子校って興味があります。ペンフレンドになってください」「女子校に通っています。いろいろお話を聞きたいです」「私、ご近所みたいです。友達になりませんか」と、凪にとってはこなしきれない手紙の数だった。手紙をくれた人みんなと話をしてみたいと思うのだが、そんな時間もない。凪はすべての手紙に返事を書き、丁寧に謝った。たしかにグズグズしていると、期待を持たれて、かえってみんなに迷惑をかけることになるのだ。それでも内緒で興味を引かれた女子校に通う人と、しばらくのあいだ文通を続けたが、あまり長続きはしなかった。やはり、お互いに繰り返す毎日があるので歯車がずれると手紙に書く内容もなくなってしまう。お互いに写真を見たいと書くと、自分より美人だったり、カッコ良かったりする友人の写真を送ってしまったりして結果的に関係が壊れることも多かったようだ。

ラジオからは、ザ・リガニーズの「海は恋してる」、フォーク・クルセイダーズの「何のために」、ソルティ―シュガーの「走れ、コータロー」など、多くのカレッジ・フォークが流れていた。フォークギターとウッドベースを持って、ブラザースフォーやPPM〈ピーター、ポール&マリー〉のコピーをする大学生ライブも見受けられるようになった。また、漫画「あしたのジョー」の矢吹ジョーのライバル、力石徹が漫画の中で死亡したが、ファンが集まり、実際に力石の追悼式が行われていた。学生運動が停滞し、過激派などによる暴力の激化をよそに見て、学生たちにはやさしさが感じられる平和な時代のはじまりなのかもしれない。

〈つづく〉