潮騒が聞こえる〈BEACHBOYS1997〉

たそがれ時を過ごす場所。Costa del Biento / Sionecafe    2022年、館山の夕日劇場を見においで

安房屋

駅前回顧録8

CIMG1585憲兵隊の馬小屋が裏にあってね。。。と話すのは
安房屋の佐久間徳松さんの息子、正雄さん。大正9年生まれ。
大珍宝の吉田さんとは駅前の幼なじみ。

憲兵隊の馬小屋がうちの裏にあった。
小さい頃、憲兵に馬に乗せてもらったのを覚えてる。
そこから桟橋の近くの大和印刷の所へ移って、
それから館山神社の所の田村病院の方へ移ったと思ったけど。
憲兵隊が駐屯したのは震災直後、警察の応援に来てからだ。



CIMG1580 - コピー (2)うちの裏に井戸がある。この井戸がよく出る井戸でね、
福岡さんが汲みにくる。大珍宝さんが汲みにくる、
みんな水を汲みにきた。向こうは田を埋めたから、
井戸はあるけど飲み水になんない。大珍宝のおじいさんなんか
毎朝、一荷って水を入れる桶をかついで汲みにきてた。
夏ですか、夏になるとこの辺の通りはいっぱいになっちゃった。
今の人に説明したってわかりゃあしませんよ。
戦前、私ら子供の頃、北条の桟橋の所に喜楽っていう民宿があるでしょ。あそこまで人で埋まっちゃった。泳いでんだか、芋洗ってんだか分かんないくらい。
今より砂浜が広かったから、中村公園のとこまで砂浜だった。

駅前回顧録1

CIMG1581昭和40年代のタムタム館山誌の
インタビュー記事「駅前回顧録」の
トップを飾るのは、安房屋のおじいさん、
佐久間徳松さん。明治25年生まれ。

駅ができる前は、
この辺に店なんか一軒もなかった。
ここいらは漁師の家が何軒かあった。
その頃は魚が捕れたからね。
魚は買って食べるんじゃなく、
もらって食べるもんだった。



CIMG1580 - コピー (2)ーーーお菓子の安房屋は戦前、徳松さんが印刷屋もやっていた。ここに越してきたのは大正8年前後、駅前の住人の中では最長老。
六軒町や銀座通りは以前は田園地帯だった。丸通を作ろうというので田園を潰した。その田園の真中に弁天様があって、丸通で潰した。そいで丸通の社長になると死んじゃう。また変わると死んじゃう。とうとう社長のなり手がいなくなっちゃって、仕方なく弁天様をもう一回祀った。いま宮城の頼忠か、あそこに弁天様祀ってある。
ーーーこの弁天様、頼忠寺へ移される前は日東交通の前にある
黄色いビルの建っている所にあった。頼忠寺へ移したのが戦時中。二転三転した弁天様なのである。駅前にあったときは、毎月25日に縁日が開かれていた。それから観音様が日東交通社屋の所にあった。これも終戦後、中村公園の所に移され、戦災者記念堂と名を変えている。


ビリー工作キット昭和シリーズ
ぼくらの夏は終わらない 1997年夏の月9ドラマ「ビーチボーイズ」に酔いしれる。館山市布良でロケ。
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