潮騒が聞こえる〈BEACHBOYS1997〉

たそがれ時を過ごす場所。Costa del Biento / Sionecafe    2022年、館山の夕日劇場を見においで

大正

駅前回顧録9

CIMG1592小原さんは明治36年生まれ、
大正10年館山駅の駅手として
国鉄に入った。

連結手、天轍手、操車掛など
駅構内の仕事をしてきた。

昭和32年、
からだを悪くして退職するまで、
勤務は館山駅。




CIMG1593一方の島田さんは明治40年生まれ、
入省したのは小原さんより
2年遅く大正12年12月、
構内係で昭和38年定年退職まで
勤務は館山駅。








駅0小原:大正12年の関東大震災で館山駅は倒壊した。震災前の駅舎は瓦屋根の平屋で入って右側が待合室、左側が切符売り場と手荷物小荷物を扱う所があった。






入った当時は駅夫って言いましたが、その後駅手って名前が変わった。「夫」っていうのがいけないっていうので、「手」にしたんだろうね。私が入った時は鉄道院だったですね。

島田:私が入った頃は「駅手」だったなあ。そして鉄道省だった。

小原:荷扱夫が半纏着てたの覚えてる。貨物列車の荷を扱う。
だいたい丸通がやるんだけど、荷扱夫、線路工夫も半纏着てたなあ。

島田:背中に機関車の動輪が書いてあった。

小原:震災で駅が潰れるのは見なかった。アケで駅の西に官舎があって
寝ていた。地震が起きても体がゴロゴロして起きて戸なんか開けられない。
静まって戸を開けて見たら潰れちゃってた。官舎は潰れなかったけど、
壁は落ちちゃった。海岸へ行くところの線路見たら地が割れちゃって、
枕木と線路がハシゴみたいになってた。
ナルセの筋向いに久太楼っていう旅館があって、そっから火事が出たけど、
駅前は火事は出なかった。大珍宝ではいつでも七輪がカンカンしてたけど
地震だって言ったら、揺れが大きかったから、七輪真っ逆さまになって
火が消えちゃった。それで火事は出なかった。


駅前回顧録8

CIMG1585憲兵隊の馬小屋が裏にあってね。。。と話すのは
安房屋の佐久間徳松さんの息子、正雄さん。大正9年生まれ。
大珍宝の吉田さんとは駅前の幼なじみ。

憲兵隊の馬小屋がうちの裏にあった。
小さい頃、憲兵に馬に乗せてもらったのを覚えてる。
そこから桟橋の近くの大和印刷の所へ移って、
それから館山神社の所の田村病院の方へ移ったと思ったけど。
憲兵隊が駐屯したのは震災直後、警察の応援に来てからだ。



CIMG1580 - コピー (2)うちの裏に井戸がある。この井戸がよく出る井戸でね、
福岡さんが汲みにくる。大珍宝さんが汲みにくる、
みんな水を汲みにきた。向こうは田を埋めたから、
井戸はあるけど飲み水になんない。大珍宝のおじいさんなんか
毎朝、一荷って水を入れる桶をかついで汲みにきてた。
夏ですか、夏になるとこの辺の通りはいっぱいになっちゃった。
今の人に説明したってわかりゃあしませんよ。
戦前、私ら子供の頃、北条の桟橋の所に喜楽っていう民宿があるでしょ。あそこまで人で埋まっちゃった。泳いでんだか、芋洗ってんだか分かんないくらい。
今より砂浜が広かったから、中村公園のとこまで砂浜だった。

大正時代の館山

CIMG0930この地図には
鉄道の線路がないので、
まだ海路全盛の大正7年より
以前の地図ですね。
クリックで大きく見えますよ。









CIMG0930 - コピーCIMG0322 - コピーさて、僕の育った館山市の
館山地区を見てみましょう。
向かって左上に長須賀の
クランク道路が見えますね。
角の秋山虎吉さんというのが、
現在の秋山酒店さん。
表示にはないけど、
紅屋さんの所を右折すると
潮止橋になります。橋を渡ると
館山地区になります。
川の手前は北条地区。
橋の館山側には伊東正さん、
地主でお米屋さんでした。
表示は鶴岡洋品店側にあるけど、伊東正さんの並びに
館山郵便局、のちに2階に電話局が同居しました。写真は下町にあった館山郵便局。
現在、下町商店街のマークを付けた建物と駐車場になっています。

1437833339_12409そして、地図の右下端が
実家のある仲町、
城山の城下です。

池田荘以前にあった
大正期の松岡旅館が
ありますね。
これはその頃の写真です。
鉄道がなく、車は少なくて、
まだ海路で日帰りは難しい
地域だったのではないかなあ。

館山モダン4

CIMG9579CIMG9580震災前の大正期の館山駅前通りです。関東大震災でほとんどが倒壊したので、震災後は経営者も変わって現代に至っていく。

大正8年、汽車開通。僕の祖父は蒸気機関車の運転手で館山への最初の運転手でした。当時は「館山駅」ではなく、「安房北条駅」です。駅は平屋建てでした。

道路の右には、吉野屋乾物店、幸田旅館別館、旅館小松屋、旅館鏡浦亭などの案内所があった。
左側には、紋屋旅館、福力、福岡などの飲食店、丸通運送があった。
これらの建物は震災ですべて倒壊した。

<写真は仲町 君塚文雄さんのものより>
ビリー工作キット昭和シリーズ
ぼくらの夏は終わらない 1997年夏の月9ドラマ「ビーチボーイズ」に酔いしれる。館山市布良でロケ。
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