日曜日の朝、家族と朝食をとり、テレビで母の好きな「兼高かおる世界の旅」と父の好きな「ミユキ野球教室」を父と一緒に見てから九段下に向かった。九段下の駅にはもうミユキが待っていた。
「待った?おまたせ」
「あれ? どこかで聞いたことある。それって私の口癖じゃん」
ふたりは笑いながら、目白通りをホテルグランドパレスに向かって歩いて行った。ホテルの前を通り過ぎると歩道橋があり、左手の店の入口の上に弓道の的が描かれている。ここが山田弓具店だ。
「凪、ここみたいだね」
「うん、ちょっとドキドキするけど、行くよ」
ミユキは黙って頷いた。店内は広くはなく、所狭しと弓や矢が並んでいた。幸いほかに客はいなかったので、凪は思い切って店主に話しかけてみた。
「すいません。あ、初めまして。館山の石田保の孫の凪といいます」
「え? 石田先生のお孫さんですか。いつも先生にはお世話になっています」

まだ祖父が亡くなったことを知らないようだ。
「実は、暮れに祖父が亡くなったんです」
「ええ?先生お亡くなりになったんですか、そうですか」
「はい、それでその時に、祖父からあることを頼まれて、人を探しているんです。祖父の弓のライバルで親友だった竹下さんというかたをご存じないでしょうか?」
「竹下さん?男性の方ですか?」
「祖父からは弓道のライバルで大親友だって聞いています」
「竹下さんですか、先生とライバルと言うと、高段者だと思いますが・・・」

「竹下さんを訪問した時に、富士見にある坂の辺りだったって聞いているんですけど」
「そうなると、私と同じ弓道会支部だと思うけど、竹下さんという人はいないなあ」
「そうですか」
凪は情報を絶たれたようで落ち込んでいた。
「でも、竹下さんって男性なの? 女性だったら心当たりがあるんだけど・・・」
「え、本当ですか?」
1322020609_926457凪はうっかりしていた。弓のライバルだということで、女性という考えはまったくなかったのだが、この時代、弓道は女性も嗜むし、竹下氏が女性であっても不思議ではないのだ。
「竹下純子さんというかたがいて、弓を始めたころに深川の道場にいたんだけど、おそらく、石田先生とはその頃知り合っていたんじゃないのかなあ。それならば、竹下さんという姓だったと思いますよ」

「でも、富士見の坂の近くに住んでいた竹下さんとの矛盾が・・・」
「その竹下さんは、親の勧めで富士見の宮下さんというかたと結婚されたんですよ。でもご病気でご主人を亡くして、そのまま富士見に住んでいらしたので、先生が訪ねたのはその頃じゃないですかねえ」
「結婚したことを祖父が知らなければ、祖父は竹下さんと呼びますよね」
「弓のライバルだったのは、深川の道場での修業時代だったのかもしれませんね」
「それで、その宮下さんのお宅って、どこにあるんですか?」
「富士見の二合半坂の下にあるんですよ」
「二合半坂って、どこにあるんですか?」
「この上のG学園と九段中学のある坂ですよ」
「あ、ありがとうございます。祖父から頼まれたものがあるので、すぐに行ってみます」

礼を述べて、ふたりはホテルグランドパレスの横にある冬青木坂を上がって行った。坂を上り切ったところにあるフィリピン大使館の角を右折すると、凪の学校の通用門の前を通り、九段中学の前を通り、G学園小学校の前を通り、シャミナーデ学園の前を下って行く急な坂道となっているが、ここを二合半坂という。名前の由来は諸説あるが、ここからは日光山は西側に見える富士山の半分の高さに見え、この坂からは日光山が半分しか見えないので五合の半分で二合半坂となったという説。坂があまりに急坂なので、一合の酒を飲んでも二合半飲んだように酔ってしまうというところから命名されたという説などがある。灯台下暗しという言葉があるが,よく知っているこの坂が探し求めたさかだったとは。

    〈続く〉