日曜日の午後、凪は地下鉄東西線の九段下の駅にいた。まずは祖父の話にあった富士見にある坂の近辺で、竹下氏のことを知っている人を探してみようと思ったからだ。ミユキの作ってくれた坂道の地図を見ながら、小さな冒険が始まった。

九段下駅に近い三つの坂道は、九段下駅のある目白通りから富士見に向かって上る坂道である。富士見というのは、各地にもあるように富士山を見ることができる高台を意味しているのだろう。ミユキの地図には、坂に関するコメントが添えられていた。よくできた地図だと、その才能に感謝する凪だった。

靖国通りをのぼる坂を九段坂という。正面には靖国神社の大きな鳥居が見える。江戸時代のはじめにできた坂道で、飯田町があるので古くは飯田坂とも呼ばれていた。宝永のころ、坂に御用屋敷が九段になった長屋として建てられ、この坂も九段坂となった。当時の九段坂は今よりもずっと急な坂で石段もあり、車馬は通行ができなかったようだ。母が歌っていた「九段の母」の歌詞で、子供の頃から親しんだ坂道だ。ここはお濠とビルに囲まれていて民家は見当たらない。

1213768883_959962九段坂より目白通りを少し飯田橋方向に行くと、地下鉄の駅の横に中坂がある。1697年以降の図にはこの中坂が書き込まれているが、それ以前は武家地となっていた。中坂は九段坂と冬青木坂の中間にあることから中坂と名付けられたが、以前は飯田喜兵衛の居住することから、ここも飯田坂と呼ばれたこともあった。ここには民家が数軒並んでいる。凪は竹下という家の存在や弓道をする竹下という人を知らないかと尋ねたが、この坂では知る人はいなかった。

さらに少し飯田橋方向に行くと、ホテルグランドパレスの手前に冬青木坂〈もちのきざか〉がある。グランドパレスは金大中事件があったホテルだ。1973年8月8日、大韓民国の民主活動家および政治家で、のちに大統領となる金大中が、韓国中央情報部 (KCIA) により日本の東京都千代田区のホテルグランドパレス2212号室から拉致されて、船で連れ去られ、ソウルで軟禁状態に置かれ、5日後にソウル市内の自宅前で発見された事件である。このホテルの横を上っていく冬青木坂は、かつて坂の傍らに常盤木があり、見た目には冬青木坂と見間違える木だったことから冬青木坂となったようだ。丙午の災いで木は焼けてしまったが、この地の磯野氏の家記にはそのように記されているという。坂の途中から左手には和洋九段女子中学高校の校舎が道沿いに連なっている。この坂にも数軒の民家があるが、竹下氏の情報を得ることができなかった。

1213768027_985497冬青木坂は、凪が毎日上り続ける中学への通学路だ。祖父は凪の通う中学が富士見にあると知っていて、竹下氏への手紙を託したのだが、探して歩くことは中学二年の凪にとっては精神的な負担が大きかったようだ。でも、祖父は何故父や母ではなく自分に頼んだんだろうと凪は不思議に思っていた。冬青木坂を上り切った右の角に、素敵な洋館がある。1935年に安田財閥創始者の孫にあたる安田岩次郎の邸宅として建てられたが、1944年にフィリピンに売却されて「The  Kudan」と呼ばれて大使公邸として使用されている。門にはフィリピン大使館という金属板が取り付けられている。凪はこの建物の前で。ミユキの作った地図を開いて坂道を確認していた。
    〈続く〉