「凪、何してるんだ?」
声をかけてきたのは、G中学1年の時、つまりこの春までのクラス担任だった教師の石田大二郎だった。生徒からは石チンと呼ばれていた。名前で呼びかけられたのは理由があって、凪も姓が石田なので、入学当初から名前で呼ばれていた経緯がある。仲間からは石チンと区別して石ポンと呼ばれていた。
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「あ、先生。ちょっと調べごとで・・」
「ここのフィリピン大使公邸かい? ここは以前は安田財閥の邸宅だったんだよ。ここには幼少期のオノ・ヨーコが3年間住んでいたのは知ってる?」
「あ、そうなんですか。そういえば上の校庭で昼休みにサッカーしてて、ボールを道路に蹴りだしちゃったことがあって、通行人に取ってもらおうと塀の上から見た時、ボールを取ってくれたのがジョン・レノンとオノ・ヨーコさんだったんですよ」
「ああ、雑誌でみたけど、オノさんが自分の住んでたこの建物をジョン・レノンに見せたくて、ここに来てたらしいな。オノさんは安田財閥のひとなんだなあ」

「先生は、これからどこに行かれるんですか」
「ああ、そこのアジャンタで知人と待ち合わせなんだ」
「おいしいカレーですよね。うらやましいな」
「じゃあ、時間がないから行くけど、気をつけてな」
「はい」
石田は手を振って、和洋学園の校舎のあいだの道路を通り抜けていった。フィリピン大使公邸の向かいに凪の通うG学園がある。振り向くと古い赤レンガの塀が続いている。ここにある通用門がかつての正門だったが、あの文豪夏目漱石が自ら子供たちのために入学願書を取りに来たということだ。
突然、その通用門から声をかけられた。
1213768045_71131「凪、何してんの?」
「おお、永嶋〈王、長嶋〉」
と、一本足打法の真似をして答えるのが、永嶋に対するギャグだった。
「いつものギャグ、ありがとね」

「永嶋は今日部活だったの?」
「うん、もう終わったから帰るとこ。腹減ったなあ」
「きょうは日曜だから、学食休みだよね」

「そうなんだよ。あ、またいつもの瀬戸カレーの話か。凪はホントにあれ好きだよな。学食の瀬戸さんも覚えてくれていて、おまえが食券買う前からカレーをよそって待ってるもんな。昼と放課後の1日2食は瀬戸カレーだろ」
「うん、時々朝も食べるよ」
「お前のエネルギーは瀬戸カレーか?」
「そうかもなあ」
「凪さ、もしよかったら大野屋つきあってくれない」
「あ、いいね」
凪も空腹だったので付き合うことになった。九段中学の前を通り、坂を下っていった。坂を下りたところを右折すると大野屋がある。ここは僕らの秘密基地だった。中でおいなりさんや団子を食べながら、近所のおじさんたちと大相撲を見るのが楽しみだった。放課後に瀬戸カレーを食べた後でも、ここのおいなりさんは食べられた。この日もテレビの周りには人が集まっていて祖父の友人探しはここまでとなった。この5月場所千秋楽の北の富士の優勝を、永嶋と一緒に見ることができた。時代は巨人・大鵬・玉子焼きだ。3月15日から開幕した大阪の万博にも行って、太陽の塔や月の石を見たい凪だったが、祖父の友人に手紙を渡すことが先決だと決めて、来週の日曜日も坂の探索をしようと思っていた。

日本万国博覧会について触れておこう。3月15日から9月13日までの183日間、大阪府吹田市の千里丘陵で開催された。「人類の進歩と調和」をテーマに77か国が参加した。アジアで初めて開催されたイベントで、岡本太郎氏の太陽の塔、アポロ12号が持ち帰った月の石を展示したアメリカ館やソ連館など、行列ができるほどの混雑となった。大阪万博EXPO70と呼ばれた。戦後日本が高度経済成長を経て、アメリカに次ぐ経済大国になった象徴的なイベントとなった。
   〈続く〉
   ※ 文中のアジャンタは、現在は四ツ谷に移転している