潮騒が聞こえる〈BEACHBOYS1997〉

たそがれ時を過ごす場所。Costa del Biento / Sionecafe    2022年、館山の夕日劇場を見においで

館山小説 潮騒が聞こえる

1話  謎の老人

Part1 .The mystery of the old man
         

英国のロンドンのハムステッドから帰国した凪〈なぎ〉は、羽田空港国際線のバスターミナルで館山行きの高速バスを待っていた。2年間のホームステイを終えて日本に帰国したところである。

 
凪はイヤホンで音楽を聴いている。彼の父親が学生時代に親しんだ英国出身のエジソンライトハウスというバンドのLove Growsという曲だ。1970年に日本でも「恋のほのお」というタイトルで、レコードが発売されている。数十年をおいて凪がこの曲を聴き、iPodにダウンロードして、お気に入りの曲としていつも持ち歩いている。ハムステッドにいるときも毎日のようにこの曲を聴くほど、元気が出る曲となっていた。ロンドンで生まれた曲なので、ハムステッドの街の空気に溶け込んで流れていく気がしていた。

1341空を見上げると、空港を飛び立っていく飛行機が視線を横切っていった。一瞬ロンドンの日々が蘇ってきた。この留学はとても楽しく、人生を変えるような刺激を受けた日々でもあった。ついさっきまで一緒にいたホストファミリーの顔が浮かんできた。ロンドンで会った人たちや楽しかったことを思い返していると、館山行きの高速バスがスーっとプラットホームに入ってきて目の前にとまった。イヤホンで曲を聴いていた凪には、その光景がスローモーションのように時が止まった瞬間に思えた。

羽田空港を経由する館山行きの高速バスは、神奈川県の横浜駅を始発としていた。高速道路で羽田空港に立ち寄り、再び高速道路に戻り、東京湾アクアラインの海底トンネルをくぐり、東京湾上の海ほたるを経由して海を引き裂くような海上のブリッジをひた走り千葉県の木更津市に上陸する。館山駅ロータリーまでのバス旅となるが、およそ1時間半の短い空間移動の旅となる。房総半島南部は鋸山などの山が多く、高速道路が開通したのはつい最近のことだ。それまでの道路は狭いトンネルが多数あり、大型バス同士がすれ違いができない状態だった。凪の祖父の時代には、汽船による海路が東京への主な手段だった。
高速道路や東京湾を横断するアクアラインが出来てからは、館山から東京、横浜への車での時間が数十分から1時間近くの短縮となった。飛行機やバスは時間移動のタイムマシンのように、人の移動距離にかかる時間を短くしてきた。移動手段が限られていた頃は、人々はその距離を歩いて移動していたので、どれだけの時間を費やしていたのだろうか。おそらく行ったことがない土地ばかりで、人の行動範囲は限られていたのだろう。空間移動は、その手段で時間を短縮できる。それは未来への短縮だ。しかし、その時点からの過去への移動は、いまだに説明のできない「タイムスリップ」という夢物語だ。
 
少し笑いながら、館山行き高速バスのステップを上がった。ドライバーに軽く会釈をしてチケットをチェックしてもらい、左右の座席に挟まれた細い通路を通り、後ろから3番目の窓側の席に座った。荷物は頭上の棚に乗せて身軽となった。大きな荷物やスーツケースは宅急便で送ってある。この席は車窓からは夕日の海が見えることを経験上知っていたので、この席に座れたのはラッキーだった。
 凪が席に落ち着き、フーっとひとつ息をついた時だった。通路を挟んで反対側に座っていたあごひげのある老人から、ふいに声をかけられた。
「どこまで行くの?」

「あっ、館山です」

「旅行ですか?」

「いえ、家に帰るところです」

凪の顔を見て、顔を右に傾けて老人が言った。
「・・・君はしばらく家には帰っていなかったね」

「ええ、2年間外国に留学していたので・・・。でも、なんでわかったんですか?」

「うん、うん」

老人は目を閉じて2度ほど頷くと、

「何があっても驚いちゃだめですよ」

そう言うと老人は立ち上がり、バスの狭い通路をまるで空気のように静かに歩いて行ったかと思うと、そのままバスを降りてしまった。凪は車窓から老人の姿を追った。老人はこちらを一度も振り返ることなく、羽田空港の雑踏のなかに消えて行ってしまった。いったい何だったんだろう、そして老人の残したあの言葉、あの老人は凪がこの席に座ることを分かっていて横の席で凪を待っていたのだろうか。凪はいきなり異空間に迷い込んだように困惑の中にいた。

バスはドアが閉められ、ターミナルから出て高速道路に向かって動き出した。あの老人は、このバスの乗客だったのだろうか。再びバスには戻って来なかった。車窓の石油プラントをはじめとしたメタリックな建物が並ぶ光景は、それだけでも非日常的だが、工場から立ち上る蒸気や煙が幻想的な光景を織りなしている。川崎のコンビナートの異様な工業地帯を背景にして、バスは川崎浮島の東京湾アクアラインの海底トンネルへ向かっていた。凪は長旅の疲れもあって、いつのまにか車窓から差し込む日差しのなかで浅い眠りに落ちていった。
 東京湾に海底トンネルができて、普通に通行できるようになるなんて、まるで未来都市だ。それまでは久里浜と金谷を結ぶ東京湾フェリーと、通勤でも使われていた川崎と木更津をむすぶフェリー〈マリンエキスプレス〉が東京湾を渡る手段だった。川崎から海ほたるまでの約9.5キロメートルは海底トンネルを走り、海上の海ほたるから木更津料金所までの約4.4キロメートルが、アクアブリッジと呼ばれる海上の高速道路となっている。

akua1凪の乗った高速バスは川崎の浮島から海底トンネルに入った。しばらくの間、車窓からは海底トンネルの壁しか見えない。その壁には1キロごとに数字が書かれていて、同じ景色の中での川崎浮島と海ほたるまでの距離が分かる。それ以外は変わらない壁模様が続いていた。
「誰かに見られている!

ふとそう思った凪は、閉じているまぶたを運命に逆らうようにそっと開いた。そして、薄目のまま通路の反対側を覗き見た。

「あっ!」
凪はゾクッとして恐怖を感じた。凪の背中に冷たい旋律がキーンと走った。そこには羽田でバスを降りたはずの、あの老人が座っている。そしてこちらをじっと凝視しているではないか。そんなばかな、あの老人は確かに羽田でバスを降りて空港の雑踏の中に消えていったはずだ。そしてバスはどこにも停車していなかったはずだ。でも、横から感じる気配は紛れもなくあの時の老人のものだ。身動きが取れない金縛りの中で、凪はじっと寝たふりをして目を閉じていた。高速で走るバスのエンジン音だけが、凪の耳には聞こえている。バスはアクアラインの海底トンネルの中を走っていた。15分程のトンネルの中が、とてつもなく長い時間に思えた。

aqua2しばらくすると辺りが明るく感じられた。バスは海底トンネルを抜けて、海ほたるを経由してアクアブリッジと呼ばれる海上の高速道路に出たようだ。ここからは海上をしばらく走る。窓からは浦賀水道を行く船舶を身近に見ることができるエリアになっている。木更津の海苔養殖の浜を横切り、やがてバスは房総半島に上陸する。木更津の料金所を徐行したところで、凪は再び目を開き、おそるおそる通路の反対側の席を覗き見た。

「あれ?」

あの老人の姿はなく、そこは無人の座席に戻っていた。凪は座席を立ち上がり、バスの中にあの老人の姿を探したが、見当たらなかった。あれは夢だったのだろうか。羽田で聞いた言葉が何を意味するのか理解できずに脳裏に残っている。英国からの長旅に疲れていた凪が、あの老人の姿を作り出してしまっていたのかもしれない。家族は元気でいるだろうかと初めて親の健康を気遣う凪がいた。それだけ老人のあの言葉が気になっていた。なぎが留学している間に家族に何かがあったのではないかと心配で落ち着かなくなった。バスは夕刻せまる館山道を南へ向かって走っていた。凪は再び転寝の中にいたが、はっと目が開き、隣の席にあの不思議な老人を探してしまう。老人の言ったあの言葉が頭の中を駆け巡っている。高ぶった状態を何とかおさめようと努力を始めた。

夕日の海〈東京湾〉に影絵のように浮かび上がる富士山の姿、やがて夕陽は富士山の背景をオレンジ色に染めて、その山影に沈んでいく。まさに日本で一番美しい夕景が、バスの車窓右側で展開されていた。凪は緊張からか眠りの中にいたので、楽しみにしていた車窓からの夕景は見ることができなかった。神奈川県の久里浜に向かう東京湾フェリーが、金谷港を出港して夕日の海を進んでいく。その姿を車窓に映して、バスは高速館山道を南下していった。


2話 Hampstead 1

Part2.Hampstead
           初めてのムーア家

凪の留学していた英国のハムステッドは、ロンドンの中心部より北郊6~7㎞の高級住宅地で、ロンドンっ子が住んでみたいと思う地域と言われる。北部には広大な公園ハムステッド・ヒースとハムステッド・ハイ・ストリートを有し、緑の多い街だ。ヒースとは荒野の意味を持つが、公園の中では一番自然が残されているのでこの名がついたのだろう。

 凪が初めてホームステイ先の家を訪ねたのは2年ほど前のことだ。地下鉄ノーザン線を使ってハムステッド駅を目指した。東京の地下鉄のようにロンドンの地下鉄も路線が網目のように張り巡らされている。ノーザン線は地表よりかなり深部を走る地下鉄の路線である。ノーザン線も途中で二手に分岐していて、ハムステッドに行くエッジウェア駅行きとは別に、ハイバーネット駅行きという電車があり、乗り間違える人も多い。ふたつのルートはユーストン駅とカムデンタウン駅で相互に乗り換えることができるのだが、さらにノーザン線はユーストン駅で南に向かって分岐している。凪も途中で迷うことになったが、彼の部屋にはアインシュタインの言葉のポスターが机の正面に貼ってある。その言葉を高校時代から座右の銘としていたので、すぐにその言葉が頭に浮かんだ。

hamif you can not understand, Ask!
分からなかったら聞け、その言葉のごとく、すぐに駅員に尋ねることで目的のハムステッド駅に着くことができた。ホームは丸いドーム型で地下鉄の車両は、線路の丸いドームをほぼぎりぎりの大きさでホームに入ってくる。ホームには駅名がHAMPSTEADと書かれているが、それよりも大きい文字で、HEATH STREETかれている。この駅がロンドンで一番大きな公園ハムステッドヒースへの入り口であり、駅からヒースまでの道路がヒースストリートと呼ばれているので、ここを目指してくる人のために書かれているようだ。



ham3この駅は地表の深部59mにホームがあり、地上へは高速リフト〈日本ではエレベーター〉を使うのが常とされているようで、凪は東京の地下鉄のようにエスカレーター、階段を使おうとしたがエスカレーターは無く階段を上った。しかし驚いたことに螺旋階段は地上まで320段を数えた。故郷の館山にある洲崎神社の石段よりもきついと感じていた。地上へ出ると、リフトで出てきた人たちはロンドン最大の公園ハムステッドヒース、或いは北のほうにあるギャラリーKENWOOD HOUSEを目指して歩いて行く。階段を上り終えたばかりの凪は、しばらく壁に寄りかかって休息をとり、息を整えてからホームステイ先に向かった。駅の改札を中心にハムステッドハイストリートとヒースストリート
がメイン通りで、商店が連なっている。凪はここでデジャブを感じていた。

ham2「あれ?この感覚は何だろう。ここって来たことがあったっけ?英国は初めて来た場所だし、そんなことはないのに・・・以前見たことがあるような感じがする」デジャブは、脳の誤作動という説や、無意識の夢で経験したことが現実に起こって,既視感として認識する説などがあるが、来る前に本で調べた画像なのかは分からないが、この通りには懐かしさを感じたようだ。

凪のホームステイ先は、ハムステッド駅のすぐ南にある脇道、路地にあるムーア家だ。フラスクウォークと呼ばれる路地で、歴史を感じさせるパブ、劇場、骨とう雑貨の店、花屋などがある伝統を感じる路地だ。この一角にある雑貨店がムーア家で、週末には子供たちが陶芸を習いにくる教室も併設している。凪はこのムーア家に2年の間、語学と英国を学ぶためにホームステイすることになった。凪を留学に駆り立てたのは大学の図書館にあった本の中の言葉だった。

Dr.ジェームス・クロフォードという人の言葉で,

If you think education is expensive,Try ignorance

もし、教育費が高いと思うなら無知でいなさいという意味ですが、凪は居ても立ってもいられなくなり、アルバイトで貯めてきた貯金、趣味で集めてきたフィギアやゲームソフトをすべて売却した現金を英国留学という自分への投資に使うことを決意した。凪の年頃には、このような一大決心の冒険が必要なのだ。
両親もこれにはすぐ賛成してくれて、渡航費用は父親が黙って負担してくれた。こうして凪の英国生活が実現することになった。ムーア家の娘ふたりは、それぞれ結婚して姉はリバプールに、妹はアメリカのシアトルに住んでいたので、ムーア家には会社を引退して陶芸を子供たちに教えるボビー〈父〉と雑貨店を営むスーザン〈母〉の二人が住んでいる。凪はすぐにムーア家に馴染むことができた。週末には近所の子供たちと一緒にボビーから陶芸を習うことにした。最初は見知らぬ日本人と敬遠されていたが、凪の人懐っこい性格から子供たちと仲良くなり、教室の子供たちを通して街に知り合いも増えていった。凪が街を歩くと、子供たちの親や知り合いの方から声をかけられるようになった。




3話 Hampstead 2

    ハイゲート墓地


 
凪がハムステッドを留学先に選んだのは、ハムステッドの街がロンドンの中でも最も綺麗で落ち着いた街だったということと、英語研修のできる語学学校があったからだ。この学校で紹介されたホームステイ先がムーア家だったことも、凪には恵まれた環境だった。
 ある日、ボビーが凪を連れていきたいところがあると誘ってくれた。そこは、ムーア家から車で20分ほどの距離にあるハイゲート墓地だった。ビクトリア時代に人口が増加したため、墓地不足を解決するために、市民が散策できるガーデンを兼用した8つのセメタリ―がロンドン市内に作られたが、ここは1839年につくられたその3番目の墓地である。ここは、1970年に起こった吸血鬼騒動で名前が知られている。1969年の12月ころから、「墓地で灰色の物体を見た」「背の高い帽子の男を見た」「白い服の女性を見た」という情報が寄せられ、バンパイアハンターを自称するショーン・マンチェスター氏が、「1970年3月13日の金曜日に吸血鬼退治をする」と宣言したことから騒ぎとなった事件があった。そのときは棺が納められた建物の扉を開けることができずに未遂に終わったが、彼はその後13年間吸血鬼を追い続けて、ついに杭で刺し殺したと著書には書いてある。オカルト好きの都市伝説としてこの墓地は名を知られている。

日本でも偉人の墓を訪ねるのは観光資源となっているが、英国ではここをアトラクションと捉えているところが面白い。ボビーは大きなモニュメントの前でこう説明してくれた。


marks「この墓はカール・マルクスの墓だよ。資本論を書いているので、凪も知っているだろう?」

「ぼくはあまり詳しくはないけど、マルクスの名前だけは知っているよ」
「では、ここはどうだい?」

ボビーは古い石造りの建物を指さしていた。建物の中は薄暗く、入場料の必要な建物だった。見るからに不気味である。ボビーに背中を押されて中へ進むと、洞窟のような小部屋が並んでいて、蓋の空いた棺のようなものが見えた。「昔、この墓地で吸血鬼狩りが行われたんだ。ひとつずつ棺を壊して、棺の中に吸血鬼が隠れていないかと調べたので、棺が壊れているんだよ」
hygate凪は不気味な空気を感じて身震いをした。ボビーはさらに続ける。

「その時は吸血鬼は見つからなかったらしいけど、ほら、そこの棺の中に、吸血鬼がいまも隠れているかもしれんよ」

凪はボビーの指さす暗い部屋の奥の棺を振り返ると、中からドラキュラが飛び出てくるような恐怖にかられ、足早にその場を離れた。ボビーは凪の後ろから吸血鬼を真似てか「オー、オー!」という声をあげながら、凪を怖がらせていた。凪は一気に建物の外まで走り出てきた。外の空気は建物の中の澱んだ空気と違って澄んでいて、安心できて気持ちがいいと感じた。ここは洞穴のような暗さで、怪しげな空気で覆われている。1970年代のオカルトブーム映画の舞台としては最適なロケーションだった。


ボビーは脅かせたことを謝り、帰りに近くのパブでボリュームたっぷりのローストビーフをご馳走してくれた。その時ボビーは有名な行進曲「威風堂々」の作曲で知られるエドワード・エルガー卿の話をしてくれた。この曲が好きだった凪には、エルガーが暮らしてきた同じ街に自分が居ることが誇らしかった。ボビーもこのハムステッドの街が自慢だったのだろう。凪にはそんな街のことを知って欲しいと誘ってくれたんだと理解して、ボビーに感謝の気持ちを伝えた。この時からボビーと凪は親子のような関係を築けたのかもしれない。

週末の陶芸教室の日にはボビーの助手として、通ってくる子供たちのお世話をするようになった。部屋の中に簡易的な陶芸の窯が用意されていて、子供たちが皿やカップの形を作ると、この円形の金属の窯のふたを開けて中に並べて入れる。数日して子供たちは陶器の出来上がりを楽しみにやってくる。ボビーは出来上がった子供たちの作品を、ひとつずつ良いところと、こうしたほうがいいよという助言を与えながら、ひとりずつ子供たちの努力と作品を誉める。凪はこのときのボビーの姿が好きで、日本にいる父親の姿と重ねてみる思いがした。



4話 Hampstead 3

水野涼とSt.james' Park

ハムステッドヒース次の週末、スクールの友人たちにパーラメント・ヒルに連れて行ってもらった。ハムステッドは高台の街で、ロンドンの中心部を高台から見る景色は絵画や写真で、いわゆる「ばえる」場所だった。ここのベンチでテイクアウェイの人気のスコーンと紅茶を頂いた。ロンドンでクリームティーと呼ばれるセットをヒルで食べられた経験は、留学の目的をひとつ果たした出来事だった。ロンドンでは、持ち帰ることをテイクアウトではなく、テイクアウェイと言うのだと学んだ。
 この街の生活にも慣れてきたころ、凪はホームシックになっていた。人間はどんな環境にも、慣れることで対応して生きていけるものなのだが、朝起きたときにいつもの家族がいなかったり、いつもの友人たちがいなかったりすると、ふと環境の違いを感じてしまうようだ。ましてや日本の食事は世界で有数の美味しさを誇るので、凪が好きだったラーメンや焼きそばが食べられないということが、寂しさを呼び起こしてしまう。家族に会いたいと、妙にその日は思っていた。この日、凪は語学スクールの友人、水野涼に誘われてロンドンの街中にいた。

st.james park水野も凪と同じく日本から語学留学に来ている大学生だ。水野は横浜出身で東京の中高を出た大学生で都会育ちの明るい男だ。水野は都会の風に吹かれたくなったのか、セントジェームスパークの近くにある涼の伯父の勤めるオフィースに届け物を頼まれて、凪を誘ったのだ。ハムステッドに慣れ親しんでいた凪にとっても良い刺激となる一日となった。涼の用事を済ませて自由になったふたりは、セントジェームズパークの中をゆっくりと歩いていた。ロンドンの街中は霧に包まれていた。水野がささやいた。

「霧のロンドンかあ、俺たちはいまロンドンにいるんだなあ」

「そうだな」

凪は水野の言葉に少し照れながら答えていた。

ekiロンドンに霧が多いのは、ふたつの海流が、ドーバー海峡でぶつかっているからだ。暖流のメキシコ湾流が北上しているが、北東からも北極海流が流れ込んでいる。メキシコ湾流が運んできた暖かく湿った空気が、冷たい北極海流に冷やされて霧となったものが、東からロンドンに流れ込んで上空を漂っていることによる。凪はロンドンに来て、この話を聞いて初めてロンドンが港町だということを知った。立ち寄ったDUKEのカフェで水野はこんな話をしてくれた。

「『グレートブリテン及び北アイルランド連合王国』っていうのがイギリスの正式な名前だってスクールで習ったじゃん」

「ああ、先週のイギリスの歴史の話だったね」

「うん、このグレートって何だか知ってる?」

「大きいとか、偉大なとかいう意味かなあ?」

「俺さあ、調べたんだけど、このグレートは『遠くの』っていう意味があるらしいよ」

「遠く・・・?どこから見て遠いんだろう?」

「知識を自慢していいかい?」

「ああ、勉強になるし教えてくれよ」

「うん。アングロサクソン人によって追い出されたケルト系ブリトン人が移住したのが、フランスのブルターニュなんだ。彼らが海を挟んだ遠方の島をグランドブルターニュと呼んでいたんだけど、これが英訳されたときにグレートブリテンとされて地名として定着したんだとさ」

「涼、すごいじゃんか。よく調べたね」

「ああ、自分がいま居る場所のことだからね」

「ぼくも調べたくなったよ」

二人のいる店のどこからともなく、曲が流れていた。

「凪は親に迷惑をかけたことはある?って言うか、親不孝なことをしたことある?」

「いまのところないと思うよ。涼はあるの?」

「うん、高校のとき悪い奴らと付き合ってて、部室でタバコを吸ってたところを担任に見つかって停学になったんだ。そのとき、母親がすごく泣いてね。それ以来、母親とはうまくいってないんだ」

「いまもそうなの?」

「うん、ああいう経験は親にずっと不信感を抱かせる息子になっちゃうんだよね」

「お母さんは留学についてはどうだったの?」

「賛成してくれたよ。でも母親には、いつまでたっても悲しい思いをさせたことを悔やんでるんだ」

「涼は留学して、将来は何になりたいの?」

「うん、ほんとはシェフになりたいんだ」

「レストランの?」

「ふふ、秋山ちえ子っていう人の『大晦日のローストビーフ』っていう話を知ってる?」

「いや、どんな話なの?」

「これは実話を秋山さんが書いているんだけどね。息子さんが勉強できなくて、高校を卒業してコックになったらしいんだ。母親はやる気を出している息子を見て少し安心するんだけど、職場でもいろいろあって、欠勤したりして息子が悩むわけよ。でも、母親は長い人生はいいことばかりではない。いつまでも手を貸してあげられるものでもないと、息子を見守ることにするんだ。息子は精神的に疲れているのが分かるので、母親は精神科の先生と相談して息子を入院させるんだよ。やがて退院した息子はマルクス、レーニンの革命に興味を持つ。そこでまた、母親を悩ませるんだよ」

「人間は公式ではくくれないって考えた方がいいのかもしれないね。でも、母親は息子がどうなっちゃうのかって心配だよね」

「うん、でもある日、『料理をすることにしたよ』って息子が言うんだよ。職場に復帰した彼は、望んで人の嫌がる仕事をしたんだ」

recipe01_dish_im01「それで?それでどうなったの?」
「毎年、大晦日になると、彼が母親のために自分で作った最高のローストビーフを届けてくれるんだ」

「ええ? 母親は喜んだろうね」

「うん。おれもね、母親には迷惑をかけっぱなしだし、いつか一流シェフになって、毎年母親にはローストビーフを届けたいなって思ってるんだ」

「涼、すごいじゃん。泣きそうだよ。ぜひ僕にもローストビーフを食べさせてくれよ」

「良いんだけどさあ、お前に何か迷惑かけたっけ?」

「まあまあ、いいじゃんか。良い話を聞いたら、急におなかすいてきたよ」

「そうだな・・」

「涼、早くシェフになってよ。メチャメチャ応援するからね」

「凪はどうなのよ」

「僕は英語を覚えて、空港で働きたいんだ。いろんな国の人と話がしたいし、日本という国の入り口で気持ちよくお迎えして、日本を楽しんでもらって、元気になって帰って行くのを見送りたいんだ。Simple is bestだろ?」

「まあね、凪らしくていいね」

ふたりは楽しい時を過ごしていた。彼らのいるセントジェームズパークは、ロンドン中央部シテイオブウェストミンスターにある23ヘクタールもある都会の公園で、公園の西側にはバッキンガム宮殿が隣接している。


bakkinngamu
「ねえ涼、さっきTHE MALLから見えたのってバッキンガム宮殿でしょ?」

「ああ、そうだな」

「衛兵交代が見てみたいんだけど、どうかな?」

「ああ、あれは、昼頃から1時間ちょっとで終わるから、きょうは終わっちゃってるね」

「ええ~、そうなの。見て見たかったなあ」

「まあ、つぎのお楽しみにとっておいたらいいじゃんか。まだまだ、ロンドンにはいるわけだし、慣れてくればガールフレンドと来てもいいんじゃない?」

「涼はスクールでも積極的だから、もてるよね。もうガールフレンドはできた?」

「おれは横浜生まれの東京育ち、ロンドン留学のシテイボーイだぜ。もてないわけないじゃん。ガールフレンドのひとりやふたり・・・。何のためのパブナイトだよ」

「涼の発展家というか、自信家というか、そういうところは僕にはないところだよ」

「人生は一度しかないんだよ、年取ってから何かやろうとしてもできないことが多くなっちゃうと思うからさ。いまできることは、とりあえずやってしまってから反省しようかなって思ってるんよ」

「なるほどねえ。やらなくて後悔するより、やって反省かあ。成功しても失敗しても、それが大事な経験となってそれからの人生に役立っていくってことかあ。俺らの世代にとって、その言葉は机の前に張っておくべき言葉だね」

「いやあ、それほどでも・・・。そんなに上げちゃってくれても、何も出ないよ」

二人は夢中になって話していた。そこがロンドンではなく、東京であるかのようだった。彼らの世代にはどこに行っても物おじしない環境が出来ていたようだ。
「涼、これ聞いてみて」

「なに?へえ、明るくていい曲じゃない。でも、詞にもあるけどローズマリーはどこに行っちゃったんだろうね」
「えっ? そこ?」

顔を見合わせて、ふたりは大笑いした。

1970年の曲で、英国出身のエジソンライトハウスというバンドの曲なんだ」

「ええ?本当?よく知ってるねえ」

「親父の持ってたCDなんだよ。ロンドンぽいでしょ?」

「そうだね。このころの曲っていいよね。ウォーターボーイズで使われたルベッツのシュガーベイビーラブとかシルヴィーバルタンのあなたのとりこも1970年代でしょ。きっと探せば、このころの曲はいい曲がいっぱいあるよね。実は俺もこのころの曲が好きで、ビートルズのLet it beやミッシェルポルナレフのシェリーに口づけは好きなんだよね」

「本当?全部親父のCDにある曲だよ」

「俺たちの共通点が分かったというところで、そろそろ帰ろうか」
DUKEの店を出たふたりは薄い霧の中を、地下鉄の駅に向かった。

ハムステッドへ帰る地下鉄ノーザン線の中で、日系の顔立ちのお年寄りの御婦人が対面に座っていた。凪が気が付いてその人を見ると、優しい笑顔でこちらを見ている。凪は少し照れながら軽く会釈をした。そんな凪を見て、涼は不思議そうに誰に会釈をしているんだろうと凪の様子をうかがっていた。ご老人なのに可愛い笑顔で凪の方を見ている。ハムステッドで凪と涼が降りると、婦人は凪が見えなくなるまで笑顔で軽く右手を振っていた。異国の地にいる凪だが、何故かこころが安らぎ、何もかも不安がなくなる一瞬だった。
 ハムステッド駅のリフトに乗っているときに思い出した。凪が2歳の時に亡くなった父方の祖母の写真が自宅の仏壇にあったけど、さっきの御婦人が祖母にそっくりだった。いや、祖母本人に思えて仕方がない。そんなことはあるわけないと思いながら、高速リフトを降りてハムステッドの通りを歩いていた。このとき、凪のホームシックはなぜかすっかり消えていた。



5話 Hampstead 4

 夢の中の女性

 その夜、凪は夢を見た。ひとりで波打ち際でタカラガイを拾っている。凪が顔を上げると、そこには美しい女性が立っていた。凪は心惹かれてたちまち恋に落ちた。
「こんにちは」
と凪が話しかけると、女性は何も言わずに微笑んだ。そして、悲しい泣きそうな顔をして海の中へ入っていく。
「どこへ行くの?待って・・・」
凪は女性を追いかけて海の中へ入っていく。女性には、逃げ水のように追いつくことができない。
「待って。君は誰?」・・・凪はそこで目が覚めた。額から汗が流れた。そしてなつかしい人や愛しい人にあったような気持ちがこみ上げてきて、涙があふれてきた。

「あの女性は誰だったのだろう。胸がどきどきした。また会いたい」

そう呟いて凪は目を閉じたが、もう眠ることはできなかった。その愛くるしい笑顔、悲しそうな顔は、はっきりと凪の記憶に刻まれた。


2日後、また夢の中にあの女性が現れた。凪はまた声をかけた。
「また会えたね。君の名前は?」
女性の唇は動いているが、凪には声が聞こえてこない。そこで目が覚めた。目覚めた凪は夢のことをはっきりと覚えていた。女性の唇が「じゅんこ」と動いていたと思い返していた。しかし、夢に出てくるあの場所はどこなんだろう、見たことのある海だが、どうも浜の様子が違うと、凪は目を閉じて夢を思い起こしていた。凪は夢の中に2度も現れた女性に夢中になっていた。その容姿は凪が夢中になる女性だった。

そしてその3日後、再び夢の中にあの女性「じゅんこ」が現れた。見覚えのない街中に彼女は立っていた。凪を見つけると、ゆっくりと歩み寄ってきた。そして、凪の目をまっすぐ見つめて呟いた。

「早く迎えに来て」

確かにその女性はそう言っていた。凪には聞きたいことがたくさんあった。

「君はだれ?」「どこにいるの?」「ぼくはどうすればいいの?」

凪は疑問をたたみかけていったが、女性は微笑んで姿が遠ざかって行ってしまう。

「待って、まだ話したいことがたくさんあるんだ。待って・・・」

女性の前に見知らぬ男が立ちふさがり、凪に迫ってきた。

「わあっ!」

そこで目が覚めた。額に汗が流れてきた。彼女の夢を見るたびに、胸がキュンとして悲しくて、寂しくて涙があふれてくる。彼女はどこかで凪を待っているということなのだろうか。こんなにもはっきりと、すべてを覚えている夢は今までに経験のなかったことだった。何か夢を見ても、目が覚めるとどんな夢かを思い出せないのだけれど、この夢は違っていた。すべてを思い出すことができる。そして、あの忘れられない「じゅんこ」という女性の顔も所作も、すべてを明確に覚えている。凪の記憶の中には、会ったこともない夢の中の女性像がはっきりと刻み込まれてしまったようだ。そして、家族は日本に帰れば会うことができるが、夢の中でしか逢ったことのない女性はどこに行けば会えるのだろうか、どうしても逢いたい衝動に駆られている凪だった。


日曜日、陶芸スクールの生徒たちが帰った後、ボビーは友人との待ち合わせでハイドパークへ出かけて行った。学生時代の友人たちと久しぶりに逢うようだ。スーザンは日本の話が聞きたいと凪を呼んだ。午後の4時頃だけど、スーザンは丁度ティータイムだと言い、紅茶を入れてくれた。ちなみに英国では午後4時のティータイムが習慣となっている。日本でおやつと言えば午後3時なのだが、アフタヌーンティーの本場イギリスでは午後4時なのである。スーザンに聞くと、イギリスでは夕食が夜8時から9時と遅いため、午後4時が昼と夕食の合間となる時間だという。図書館で調べると、午後4時にティータイムを取る英国の習慣は、1860年から1870年頃のビクトリア朝時代にできたものらしい。アールグレイの紅茶を注ぎながら、スーザンは凪の両親について聞いてきた。

「凪の両親は留学について反対はしなかった?」

「ええ、父はぼくの年代には冒険は必要だと賛成してくれました。母は少し心配してたけど笑顔で送り出してくれました」
「凪はホームシックになっていない?」

「いいえ、でも母は今頃寂しがっていると思います。母は家を出るときに、ここで待っているから、思い切り楽しんでおいで。ここに両親がいると思えば、できる冒険も増えると思うよ、って話してくれました」

「へえ、日本人の言葉って深い意味があるのね。聞き逃してしまうと、人生の損だわ」

「その言葉のおかげで、僕は頑張れるんだと思います」

「そう、うちは娘二人だから、それぞれ夢もあったけど、姉は大学で知り合った人と結婚したし、妹はⅠT系の会社にいたんだけど、結婚してアメリカにいるの」

「ボビーはさみしくないですか?」

「そうねえ、娘たちはたまに帰ってきて顔を見せてくれるのよ。でもボビーは息子が欲しかったんだと思うのよ。学生時代はフットボール〈日本ではサッカー〉をしていたので、息子ができたら一緒にボールを蹴りたいと言っていたし、息子と一緒にアーセナルやイングランド代表チームの応援に行くのが夢だったんだって。でもふたりとも娘だったし、フットボールにはあまり興味がなかったので、そういう意味ではさみしかったかもしれないわね」

「ぼくも高校の時はフットボールをやっていたし、ボビーと応援に行けるといいなあ」

「ほんと?それは喜ぶわ。彼に話してあげて!」

「はい、喜んで」


6話 Hampstead 5

       胸いっぱいの帰国

スーザンとも気軽に会話ができるようになり、凪の英語も自信が持てるようになってきた。その夜、ボビーが帰宅すると、待っていたように凪はフットボールの話を持ち掛けた。ボビーは喜んで1966年にイングランドでワールドカップがあった話をしてくれた。ここハムステッドは、当時イングランドを代表するスタジアムだったウェンブリースタジアムがそう遠くない距離にあり、決勝のイングランド対西ドイツの試合を父親と観戦したことを凪に話してくれた。

mu-a延長戦を制したのは地元イングランドだった。この時ハットトリックを達成したフォワードのジョフ・ハーストの決勝点は、現在でもゴールバーにはじかれてノーゴールを主張する人もいるが、ボビーはあれは間違いなくゴールだと熱く語っていた。
凪がいることで、ムーア家の夜の会話は賑やかになっていった。この時の会話が、凪の英語力の上達につながっていたのは間違いない。

「凪のような息子が出来て、私はうれしいよ。よくロンドンに来てくれたね」

「ありがとう、僕もムーア家に来られて幸せです。ねえ、ボビー、僕がいる間に僕をフットボールの試合に連れて行ってもらえませんか?」

「ああ、いいとも。凪はどこのチームのファンなんだい?」

「マンチェスターユナイテッドです。でも、アーセナルのベンゲル監督は、日本の名古屋グランパスの監督をしていて素晴らしい監督だし、アーセナルも好きなんです」

「そうか、私はアーセナルのサポーターなんだよ」

その夜からは、毎日のようにボビーと凪のサッカー談義は続き、スーザンは親子のようだと、見ていて微笑ましかったようだ。

凪の留学はあっという間の出来事だった。逢いたくてもすぐには会えない時間と距離が、家族と凪を隔てていたが、これから日本の家に帰るということに大きな安心感を抱いていた。これからも凪は人生の冒険を続けていくことになるのだが、辛いことがあっても楽しいことがあっても、自分の帰る家があるということが、次の冒険につながっていくということを強く感じていた。冒険に出たときも、元気になって帰って行く。帰るために冒険をしているんだということに気づいていた。
子供はいつか親の元を離れていく。昭和の頃は三世代が同じ家の中で住み、親と子はいつまでも離れずにいた。平成の頃は個を尊重するがあまり、家族がそれぞれ離れる時代になった。令和の時代は個を尊重しつつも「共生の時代」と言われるが、いつの時代も親離れ子離れというところに旅立ちの原点がある。
11312凪はボビーとスーザンに別れを告げたが、ボビーとはあれから何度もフットボールを観に行って、それが習慣になっていた。ボビーは初めて息子ができたよ
うに喜んでくれていた。それだけに別れはつらかった。本当の父親のように、凪を旅に出すような感情に包まれた空港での別れだった。

「ボビー、僕はまた戻って来るよ。またフットボールに連れて行ってね」

凪は遠ざかる英国の地を、飛行機の窓から見て呟いていた。




7話  TATEYAMA

Part3.TATEYAMA
        2年ぶりの帰宅

高速館山道を南下していたバスは富浦インターを降りて、館山バイパスを館山駅に向かって街灯の中を走っていた。スピードを緩めたバスが、とんかつ屋の角を右折した頃、凪は目を覚ました。八幡神社を左折する頃にはバスを降りる準備に取り掛かっていた。バスは終点、館山駅東口ロータリーに向かって交差点を右折した。
 
昭和のころは木造の趣きのある駅舎で、戦時中にはエリートの集まる砲術学校や洲崎航空隊があり、兵員輸送のために整備された駅前ロータリーだが、その中心には大きな椰子の木が植えられている。戦時中と比べればかなり大きな木に成長している。
 
戦後、館山駅は市民の生活の中心的な存在で、千葉や東京への交通手段として賑わい、都会からの海水浴客の玄関口として駅前には人があふれていた。昭和四十年代の海水浴全盛の頃は、準急は両国駅が始発だった。夏休みに入り、帰省しようと両国駅で総武線のホームを下り、通路を潜ると、房総弁の飛び交う房総線のホームに出る。房総線のホームには館山行きの準急が待っている。ディ―ゼル車両のモワッとする独特な匂いを感じる。乗車しようとすると入り口にも人があふれていて満員電車のようだ、両国駅から館山駅まで車両の通路や手洗い場まで乗客があふれていて、館山まで2時間半のぎゅうぎゅう詰め状態で座ることもできない。木更津駅のホームを走る駅弁屋さんから買うことのできる浜屋のバーベキュー弁当も、夏休みは諦める。館山に着いても降車客で歩道橋が混雑していて、館山駅の改札もなかなか出られない状況があった。駅前からは小さな個人商店がひしめくように四方に連なっていて、市内には5軒の映画館を有し、館山銀座と呼ばれる賑やかな街をつくり出していた。

平成の時代になると街の郊外に大型店舗ができ始めて車社会による町へと変貌を遂げていった。駅の交通手段も高速館山道やアクアラインができて電車から高速バスへと移行していき、特急電車は廃止され、各駅停車の電車が減本されて運行される地方の町へと次なる変化が起きている。電車には数えることができるほどの乗客しかいない。ほとんどは通学する学生のようだ。上り下りの待ち合わせの線路を持っていた内房線の駅は、駅舎側の線路を撤去して、ホームと駅舎を結ぶ歩道橋も解体撤去して、高齢者や身障者対応の駅に変わっていく。車がなければ生活に支障がでるような街づくりは、いつかまた変化を求められるのだろう。熱海から来た観光客は熱海の町と比較して、拠点が点在していて町なかの移動手段が不便だと言う。レンタカーでも借りないと、どこにも行けない。人口の高齢化によって車中心の生活者が移動難民となるのは見えている。南房総の町づくりは医療機関の充実を中心に、そこに派生する医療人育成の学校、ここに関係する就職と労働力、都会からの通院のためのマンション、医療機関を中心にした町づくりで十万人の地方都市が作れるという発想が現実味を帯びてくるのかもしれない。

1228377631_580821凪の乗った高速バスは館山駅ロータリーに入ってきた。バスが停車して乗客は降り始めた。凪は謎の老人が座っていた席を確認して細い通路を出口に向かった。バスのステップを降りて、2年ぶりの館山の地に足を下した。懐かしい潮風が吹いている。

「凪!おかえり」

「あっ、ただいま」

振り返ると父が車で迎えに来ていた。久しぶりに見る父だった。2年ぶりに会う父には少し照れくささを感じていた。家族が待っていてくれる安心感からか凪はホッとしていた。長い間緊張していた糸がほぐれたような感覚だった。足早に父の車に乗り込んだ凪は、父に尋ねた。

「母さんは・・、家族は変わりない?」

「うん、みんな元気だよ。凪も元気そうでよかった。さあ、帰ろう。母さんが家で夕食を作って待ってるよ」

凪は羽田でのあの老人の言葉が家族のことではなかったということに安堵した。この日は凪が無事に帰ってきたことに、父も母も安心したからか笑顔の絶えない夜だった。2年間の溜まった話も、饒舌になっている凪から2時間にわたって語られた。ムーア家からもらってきた紅茶を家族で飲んだ。久しぶりの自分の部屋に帰って来て、この夜、凪は慣れたベッドで深い眠りについた。

1278504887_104368窓から差し込む太陽がまぶしい。2年ぶりの館山の朝、久しぶりにビーチコーミングに出かけることにした。中学時代はタカラガイを拾いに週末はいつも早朝の海に出かけていった。ここ館山は沖縄と並んで、50数種類のタカラガイが打ち上げられる場所なのだ。凪もタカラガイのコレクションは宝物だった。6時過ぎに栄の浦海岸に到着した凪は、足早に浜に駆け下りた。ここから続く三つの小さな入り江にタカラガイが多く打ちあがっているのだ2番目の入り江で、竹棒を持った男とすれ違った。男は凪に話しかけてきた。

「耳かい?」

「いえ、ぼくはタカラガイです」

「そうか」

この男の言う「耳」とは、イルカの耳骨の化石のことで布袋石〈ほていいし〉と呼ばれている。形が七福神の布袋様に似ていることから、そう呼ばれている。この辺りでは縁起物として財布に入れたり、ネックレスとして身につける。耳骨はイルカの骨の中で一番硬く、砂の中で化石になったものが浜に打ち上ってくるのだ。テレビ番組でアイドル歌手がネックレスにしていて、インタビューで紹介したことからブームになり、東京では1万円で取引されているらしい。小遣い稼ぎで浜歩きをしている男が増えた。気がつくと顔なじみの女性が奥の浜から林を抜けてきた。

「あ、ひさしぶりねえ」

「おはようございます。しばらく留学していたんです」

「へえ、じゃあ、おかえり・・かな?」

「はい、また歩きますよ。よろしくお願いします」

「オッケー!わたし仕事の時間だから行くね、また今度話聞かせてね」

女性は、凪が小学生のころからタカラガイを拾っているのを知っているビーチ仲間だった。彼女は仕事前に海を歩いて運動がてらタカラガイを拾いに来ている。久しぶりの凪は夢中になってタカラガイを探していた。オミナエシダカラ、コモンダカラ、ハナマルユキ、この日はたくさん打ち上げられていた。凪の好きなキイロダカラも数個拾うことができた。キイロダカラは昔、中国ではお金として使用されていたという話もある透明感のあるきれいなタカラガイだ。スーパーの名前の入った半透明の袋の中には、もうすでに十数個のタカラガイが入っている。



8話 TATEYAMA 2

 館山航空隊基地 

 奥の浜まで歩いてきた時、張りつめた空気を感じた。明らかに今までの入り江にあった空気とは違っていた。ふと、ひとの気配を感じて右斜め上を見上げた。以前にも同じ気配を感じたことがあったと気づいた。山の中腹あたりの、浜を見下ろす道路に人影が見えた。

「あの人だ!」

そう、羽田で会ったあの老人だった。あの時のあごひげのある老人のことは、忘れてはいなかった。あの時の老人の言葉は、いまも凪の時間の中で、台風の残した傷跡のように心の中で渦巻いていた。凪のいる浜を見下ろしていたが、老人はすぐに姿が見えなくなった。ほんの一瞬の出来事であったが、間違いなくあの老人だった。凪は見間違えであって欲しいと思った。まだ何者なのかもわからない謎の老人である。浜を歩き、駐車場に戻ろうとした凪の携帯が鳴った。ビクッとしたが、同級生の石井からの電話だった。

「凪か、今夜お前のおかえり会をやるから、7時にいつものところな」

「ああ、わかった。ありがとね」

凪の仲間たちが留学から帰ったお祝いをしてくれるようだ。石井は高校を出てすぐに、市役所に勤めたので、地元に根を張った生活を築き始めていた。そんな石井が幹事をしてくれるらしい。地元に残っている仲の良い同級生は数人しかいない。大学や専門学校に進学した者が多く、東京、横浜、千葉市に住んでいるものが多い。

1238916590_2000695栄の浦から館山の街まで電動自転車に乗って帰ってきた凪は、自衛隊の角を海に向かって左折した。坂道を下ってきて港を右に見ると、大きな、馬鹿でかい赤レンガの建物がある。ここは何の倉庫なのだろうと、子供の頃からの疑問があった。
ここから先は以前は海だった場所だ。浅瀬では宮城海苔と呼ばれる美味しい海苔を養殖していたエリアだった。鷹の島と沖ノ島は館山湾に浮かぶ二つの同胞の島だった。それぞれの島へは、北条海岸の汽船場乗り場から定期便が通っていたというのどかな場所だった。

夕方になって凪は北条海岸を歩いている。海に沿って遊歩道が駐車場から八幡のシーサイドホテル前まで続いている。ここを歩く人は多い。ここ館山で、毎年行われる若潮マラソンやトライアスロンを目指す人たちはランニングを、また病気のリハビリとして朝晩歩く老人も多い。夏の間は、建ち並んだ海の家の利用者で混みあうために、運動を控えるようだ。
この遊歩道から海に向かって作られた数段の段差が、劇場の観客席のように見える。夕日の時刻には、カメラを持った人たちがこの辺りに集まる。鏡のように静かな館山湾をはさんで富士山の姿が見えるが、夕陽はその山影に沈んでいく。その美しさは絶品だ。この席で夕日を眺める人たちは、静かに息をのんで夕陽が沈むまでの時間を共有するのだ。そこは館山湾の夕日劇場と言っても良いほど人を惹きつけている。八幡のシーサイドホテル前の海岸は、昭和の頃は孤高の空手家、大山倍達氏がドキュメント映画撮影のため牛と闘った極真空手の伝説の場所となっている。
 凪はゆっくりとこの遊歩道を歩いていた。曇り空で、さっきまで雲に隠れていた太陽が光を発して姿を現わした。言葉もなく海を見つめていると、夕陽は辺りをオレンジ色に染めて正面に降りてきた。それと同時に富士山の姿が見えてきた。富士山は館山湾の正面に相模灘をはさんで見えている。北条海岸から見ると、湾の北端に丹沢山系、南端には伊豆半島の天城山が影絵のように、夕日に浮かび上がってきた。

館山湾から見る夕陽は伊豆半島の山影に沈んでゆく。水平線には沈まないが、富士山の山影に沈む夕陽はカメラマンの狙う絶好の景色となる。陽が沈んでしまうまでの数分間を、さざ波の音を聞きながら眺める夕日劇場は館山の醍醐味なのだ。たくさんの人たちが海岸にいるのに、この時間だけは声が聞こえない。みんな美しい夕日に見とれているのだ。静かな時の中で、心が洗われるような一日の終わりのエンドロールがながれるようだ。

1381973891923年〈大正12年〉の関東大震災の時の約2mといわれる地盤隆起によって、笠名海岸と沖ノ島、鷹の島を結ぶ一帯が浅瀬になった所を利用して、3年間の浚渫や埋め立て工事を行い、1930年〈昭和5年〉、海軍5番目の実践航空部隊として館山海軍航空隊は開隊した。西風を強く受ける地形は、航空母艦の短い甲板を飛び立つ訓練に最適だったため、「陸の空母」と呼ばれたそうだ。
東日本の近距離哨戒、近距離対艦迎撃のために設置されて、東京湾を担当する海軍航空隊の重要基地であり、横須賀鎮守府に所属する艦載機や水上飛行機、飛行艇が運用されていた。1941年のハワイ真珠湾を攻撃した戦闘機乗りも、ここで操縦訓練を受けていたという。かつて、最強の零戦パイロットと謳われた岩本徹三中尉も在籍していたという。

ビリー工作キット昭和シリーズ
ぼくらの夏は終わらない 1997年夏の月9ドラマ「ビーチボーイズ」に酔いしれる。館山市布良でロケ。
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