SIONE文庫




ヤジローは当時の音韻からアンジロー、洋風にアンジェロともいわれる。彼はフランシスコ・ザビエルの通訳者、神概念や聖句などの翻訳者として活躍し、西日本地域で布教・宣教活動に従事した。彼の出自や本名などについては研究者によって区々である。一説では豪族禰寝氏庶流池端氏の可能性が指摘されている。ザビエル離日後のヤジロウについては、ルイス・フロイスなどの証言があるものの、彼がいかなる人生を送り、どこで亡くなったかは不確かである。
ヤジロウは薩摩国あるいは大隅国(鹿児島)の出身である。彼自身やザビエルの書簡によれば、若い頃に殺人を犯し、薩摩や大隅に来航していたポルトガル船に乗ってマラッカに逃れた。その罪を告白するために、ザビエルを訪ねたという。二人を引き合わせたのは、天文15年(1546年)に薩摩半島最南部の山川にやって来たポルトガル船船長のジョルジュ・アルヴァレスである。船長はマラッカへ帰る際、ヤジロウを乗船させ、ザビエルを紹介した。
ヤジロウはもとは貿易に従事していたと考えられている。フロイスの『日本史』では海賊であったと書かれている。ザビエルの導きでゴアに送られたヤジロウは、1548年の聖霊降臨祭にボン・ジェス教会で、日本人として初めて洗礼を受けた。洗礼により彼は「パウロ・デ・サンタ・フェ」の霊名を授かった。その後、彼は同地の聖パウロ学院でキリスト神学を学んだ。
ヤジロウはザビエルから、日本でキリスト教の布教をした場合を問われ、スムーズに進むだろうと答えた。ヤジロウの人柄と彼の話す日本の様子を聞き、ザビエルは日本での活動を決意した。ヤジロウはザビエルに従いゴアを離れ、鹿児島に上陸。ここに日本におけるキリスト教布教の第一歩を記した。
その後のヤジロウの生涯については不詳である。上記の記述によればザビエルの離日後、ヤジロウは布教活動から離れて海賊の生業に戻り、最後は中国近辺で殺害されたという。また、フェルナン・メンデス・ピントの『東洋遍歴記』、ジョアン・ロドリゲスの『日本教会史』によれば仏僧らの迫害を受けて出国を余儀なくされ、中国付近で海賊に殺害されたという。
門前仲町に住んでいたので、あの頃撮りためた写真から作った切り絵です。
門仲から旧商船大学の正門前から月島への橋、相生橋が表紙です。




都鳥でしょうか?
いざこととわん




池上季実子さんも出ていましたね♪
清洲橋~高速道路を背負った隅田川大橋

フランスのセーヌ川との友好河川を
記念してつくられた中央大橋

小学校の頃見た映画で、
ゴジラが上陸したのは勝どき橋あたり

架けられた築地大橋
来年は全開放で開催されるといいですね。





