潮騒が聞こえる〈BEACHBOYS1997〉

たそがれ時を過ごす場所。Costa del Biento / Sionecafe    2022年、館山の夕日劇場を見においで

小説 1970

1970 〈9〉それぞれの弓道

凪の父親は内科医で、都内の大学病院に勤務している。門前仲町に家を借りて住んではいるが、いつかは実家のある館山に戻るつもりでいる。祖母は3年前に亡くなり、祖父も高齢だったので、東京と館山を行き来する家族だった。
1363516899_2622212凪は中学受験でG学園に入学した。
祖父も両親も弓道部への入部をすすめていたので、弓道部を探したが弓道部はなかった。
過去には歌舞伎役者で笛吹童子の東千代之介さんが、在学中に弓道部を作ったという話を聞いたが、それは凪が生まれる前の、はるか昔の話だった。


凪は祖父の道場で早稲田大学の稲垣範士の教えを受けていて、祖父も両親も凪が弓道を続けることを望んでいたが、クラブ活動で続けることはできなくなった。祖父は家に弓道場があるのだから、ここで弓道を続けていて、大学に入ったらまた弓道部でやればいいと話していた。中学生の凪は。弓道の本当の良さを、まだ理解してはいなかった。祖父も父も自らの経験から、人間の成長には弓道は大切なことを教えてくれると諭していた。しかし、凪のこれまでの経験からは、弓をひく大人たちから様々な指摘をされてきた面倒くささがあった。弓道とゴルフに関しては、人の所作にいちいち口をはさんでくる人が多いのはなぜだろうか。
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ミユキは杉並の東田町の出身だ。中野から西田町行きの関東バスにのり、東田町か東洋幼稚園前で下車して、五日市街道を5分ほど入ったところに家がある。バスが中野から出て青梅街道に出ると、地下鉄丸の内線の東高円寺のえきがある。ここには広大な敷地に蚕糸試験場という施設があるが、ミユキには薄暗い大きな建物があるというイメージがあり、何をしているところなのだろうかという疑問はいまだに持っている。
ミユキの使うバス停の隣の成宗バス停から毎朝乗ってくる常田富士夫さんとは顔なじみだった。常田さんは米倉斉加年さんたちと劇団青年劇場を結成して、「巨泉・前武のゲバゲバ90分」で人気があった。ミユキの母と凪の母が大学の同級生ということで、ふたりは幼なじみとして、親しい仲となっていた。ミユキは中学に入ると、先輩から支部道場を紹介されて弓道を始めた。女子大生の先輩が弓をひく姿は本当に美しかった。弓道八節というが、どこをとっても流れる水のように美しかった。ミユキはいつか自分もこんな弓をひきたいとあこがれを持って修行に励んでいた。高校は弓道部のある学校に行くと心に決めていた。

凪の祖父は、千葉県館山市の実家に弓道場を開いて住んでいた。そんな祖父も亡くなり、家の片付けと掃除に夏休みを利用して凪は母とともに館山の実家に訪れていた。
弓道場で祖父の持ち物を片付けていた凪は、棚の上の年賀状を手に取った。そしてその中に偶然だったが、竹下氏に関しての大きなヒントを見つけた。年賀状の中に、飯田橋の山田弓具店という文字から、途切れていた祖父の親友探しの歯車がカラカラと回りだしたようだ。もし、富士見周辺に竹下氏が住んでいて、しかも弓道をしているとすれば、そこから見つけることができるんじゃないか。
「母さん、じいちゃんは弓のことで山田弓具店とよく連絡を取っていたけど、山田弓具店ってどこにあるの?」
「そうねえ、九段下の駅から近かったと思うよ」
「ほんと?ビンゴだ」
調べると、九段下のホテルグランドパレスの数軒先の並びの目白通り沿いにあることが分かった。そこで聞けば、竹下氏のことが分かるかもしれない。凪は胸が躍るようだった。

その日の夜、このことをミユキに興奮気味に連絡を取った。
「ミユキちゃん、あさって東京に帰るから、次の日曜日行ってみようと思うんだ」
「じゃあ、私も行く」

      〈続く〉
※東高円寺の蚕糸試験場
明治時代から蚕糸業という日本の重要産業をけん引してきた農林省蚕糸試験場があった。堀に囲まれた大きな施設だった。建物が残っていれば、富岡製糸場のような名所になっていたかもしれない。東京の人口過密を解消する政策で、約70年間、高円寺を拠点としてきた蚕糸試験場は1980年〈昭和55年〉に、茨城県つくば市へ機能を移転。歴史ある建物も5年後に解体されて、跡地は蚕糸の森公園と杉並第十小学校になっている。ミユキの母は明るい人なので、凪の母が遊びに行ったとき、バスの運転手が「次は蚕糸〈さんし〉試験場前~」と言うとすぐに当時大人気の桂三枝〈さんし〉さんの真似で「いらっしゃい~、オヨヨ」と言って母を笑わせていたそうだ。

1970 〈10〉千代田区富士見

日曜日の朝、家族と朝食をとり、テレビで母の好きな「兼高かおる世界の旅」と父の好きな「ミユキ野球教室」を父と一緒に見てから九段下に向かった。九段下の駅にはもうミユキが待っていた。
「待った?おまたせ」
「あれ? どこかで聞いたことある。それって私の口癖じゃん」
ふたりは笑いながら、目白通りをホテルグランドパレスに向かって歩いて行った。ホテルの前を通り過ぎると歩道橋があり、左手の店の入口の上に弓道の的が描かれている。ここが山田弓具店だ。
「凪、ここみたいだね」
「うん、ちょっとドキドキするけど、行くよ」
ミユキは黙って頷いた。店内は広くはなく、所狭しと弓や矢が並んでいた。幸いほかに客はいなかったので、凪は思い切って店主に話しかけてみた。
「すいません。あ、初めまして。館山の石田保の孫の凪といいます」
「え? 石田先生のお孫さんですか。いつも先生にはお世話になっています」

まだ祖父が亡くなったことを知らないようだ。
「実は、暮れに祖父が亡くなったんです」
「ええ?先生お亡くなりになったんですか、そうですか」
「はい、それでその時に、祖父からあることを頼まれて、人を探しているんです。祖父の弓のライバルで親友だった竹下さんというかたをご存じないでしょうか?」
「竹下さん?男性の方ですか?」
「祖父からは弓道のライバルで大親友だって聞いています」
「竹下さんですか、先生とライバルと言うと、高段者だと思いますが・・・」

「竹下さんを訪問した時に、富士見にある坂の辺りだったって聞いているんですけど」
「そうなると、私と同じ弓道会支部だと思うけど、竹下さんという人はいないなあ」
「そうですか」
凪は情報を絶たれたようで落ち込んでいた。
「でも、竹下さんって男性なの? 女性だったら心当たりがあるんだけど・・・」
「え、本当ですか?」
1322020609_926457凪はうっかりしていた。弓のライバルだということで、女性という考えはまったくなかったのだが、この時代、弓道は女性も嗜むし、竹下氏が女性であっても不思議ではないのだ。
「竹下純子さんというかたがいて、弓を始めたころに深川の道場にいたんだけど、おそらく、石田先生とはその頃知り合っていたんじゃないのかなあ。それならば、竹下さんという姓だったと思いますよ」

「でも、富士見の坂の近くに住んでいた竹下さんとの矛盾が・・・」
「その竹下さんは、親の勧めで富士見の宮下さんというかたと結婚されたんですよ。でもご病気でご主人を亡くして、そのまま富士見に住んでいらしたので、先生が訪ねたのはその頃じゃないですかねえ」
「結婚したことを祖父が知らなければ、祖父は竹下さんと呼びますよね」
「弓のライバルだったのは、深川の道場での修業時代だったのかもしれませんね」
「それで、その宮下さんのお宅って、どこにあるんですか?」
「富士見の二合半坂の下にあるんですよ」
「二合半坂って、どこにあるんですか?」
「この上のG学園と九段中学のある坂ですよ」
「あ、ありがとうございます。祖父から頼まれたものがあるので、すぐに行ってみます」

礼を述べて、ふたりはホテルグランドパレスの横にある冬青木坂を上がって行った。坂を上り切ったところにあるフィリピン大使館の角を右折すると、凪の学校の通用門の前を通り、九段中学の前を通り、G学園小学校の前を通り、シャミナーデ学園の前を下って行く急な坂道となっているが、ここを二合半坂という。名前の由来は諸説あるが、ここからは日光山は西側に見える富士山の半分の高さに見え、この坂からは日光山が半分しか見えないので五合の半分で二合半坂となったという説。坂があまりに急坂なので、一合の酒を飲んでも二合半飲んだように酔ってしまうというところから命名されたという説などがある。灯台下暗しという言葉があるが,よく知っているこの坂が探し求めたさかだったとは。

    〈続く〉

1970 〈11〉秘密基地

凪とミユキは、二合半坂の急坂を下りてきた。どこかで宮下家を聞こうと思ったが、ここには凪たちの秘密基地があるではないか。そう、永嶋と相撲を見るあの大野屋だ。ふたりは大野屋の暖簾をくぐった。
「あれ? 石田君、きょうはデート?」
「いえ、きょうは教えていただきたいことがあって来ました」
「あら、なに?」
「この辺で宮下さんていう家を知りませんか? 祖父の友人をさがしているんだけど」
「宮下さん、うちの斜め前だよ。それともう一軒、石田君も制服を作ったことのある洋服屋さんも宮下さん、この辺りではその2軒かなあ」
「ありがとうございます。じゃあ、行ってみようか?」
凪はミユキの方を見た。

1340811580_6455779「凪、私みたらし団子食べたい」
「そうだよ、せっかく来たんだから食べてってよ」
「じゃあ、みたらし団子といつものおいなりさん下さい」
「は~い」
昼が近かったので、ミユキも空腹だったのだろう。もしかすると、昼時に訪ねるのはどうかと気を配ったための言葉だったのかもしれない。ミユキは大人のように気配りができる娘だった。

この大野屋での食事は、ミユキが凪たちの秘密基地のメンバーになったということを意味する。
「私、お雑煮も食べていいかな?」
「あ、僕も食べたい。すいません、あとお雑煮ふたつお願いします」
いやいや、もうすっかり秘密基地のメンバーになったようだ。大野屋のお姉さんに聞いてみた。

「宮下さんの家に、弓道をする女性がいませんか?」
「洋服屋さんにはいないわね。うちの前の宮下さんの奥さんもやってないと思うけど、おばあさんは弓をやってたって聞いたことはあるよ」
「ほんとですか? あ、ちなみにおばあさんの名前は何ていうんですか?」
「えっとね、そうそう、宮下純子さんだったかな」
それを聞いたミユキは、凪と目を合わせて力強くうなづいた。
「間違いなさそうだね。あとは宮下さんがじいちゃんのことを知っているかどうかだね」
「大丈夫、間違いないと思うわ」
ふたりは季節外れのお雑煮を食べているが、ここのお餅は美味しいということを共有することができた。何かがあったときはきっとお雑煮を食べに来るだろうと思っていた。

大野屋で聞いた情報から宮下家の前に来た凪は、気合を入れて玄関のチャイムを鳴らした。そして「こんにちは」という凪の声が響いた。
「は~い」
玄関の扉がゆっくりと開けられ、白髪混じりの御婦人が顔を出した。
「どちらさまですか?」
「はじめまして、弓道でお世話になっている館山の石田の使いで来ました孫の凪といいます。宮下純子さんは御在宅でしょうか」
「母は留守ですけど、どうぞお上がりください」
「あ、ありがとうございます」
そこへ、大野屋を出たミユキが手土産の和菓子を抱えてやってきた。
「ごめんなさい、間に合ってよかったわ」
「お連れですか? お話を聞きたいので、どうぞ」
「おじゃまします」
部屋に通された凪とミユキは手土産を渡して座した。

「僕は館山の祖父の代理で来ました。祖父はこちらの純子さんとは弓道のライバルで親友だと話してくれました。実は去年の暮れに亡くなりまして、純子さん宛てに手紙を預かっているんです。それで訪ねてきました」
「そうですか、おじいさまは母の弓道のお友達でしたか。母は私たち姉妹を産んでからすぐに父を病気で亡くしました。それからは大好きな弓道から離れて、仕事をして私たちを育ててくれました。でも夜になると、弓をひいていた頃の写真を見て泣いていましたから、寂しかったんですね。弓への愛着もあったでしょうから」
「祖父も亡くなる前にお会いしたかったらしいのですが、連絡がつかなかったそうです。それが心残りで僕に手紙を託したんだと思います」

「今日は館山からですか?」
「いえ、僕は坂の上のG学園に通っているので東京です。祖父もそれで僕に頼んだんだと思います」
「あら、すぐそこですねえ」
「あ、純子さんがお留守でしたら、出直してきましょうか?」
「いえ、じつは母は館山にいるんですよ」
「ええ?本当ですか。でも、なぜ?」
「あ、ごめんなさい。母は高齢で足を骨折してから介護が必要になり、望んで館山の病院施設を選んだんですよ」
「それなら、祖父は直接お会いすることもできたんですね。残念です」
「そうですね。私も今お話を聞いて、母の輝いた時代に友人でいてくれた石田さんのいる館山を選んだのかなと納得できるところもあります」
ミユキはじっと会話を聞いていて、静かに涙を流していた。

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「祖父と一緒に弓を競い合っていた時が、楽しかったんでしょうねえ」

「はい、私は弓はやりませんが、母が弓懸〈ゆがけ〉を大事に持っているのを知っています。館山の施設にも、持って行っていると思います。母が元気なうちに弓をひかせてあげたかったと、いまも後悔しているんです」

「そうですか。僕は来月館山に行くので、純子さんとお会いして祖父の手紙をお渡しします。それから、祖父のことも聞いてみたいと思います」
「母も喜ぶと思います。ありがとう。きょうは話が聞けてよかったわ」

     〈続く〉

1970  〈12〉いちご白書

宮下家を後にした凪とミユキは、二合半坂の途中で道路脇に腰かけていた。
「ミユキちゃん、来週の日曜日に深川の道場に行ってみようと思うんだ。宮下さんのお話を聞いていたら、じいちゃんと純子さんたちが修行していた頃のことを知りたくなってきたよ」

「うん、なんか寂しいよね。純子さんの一生って、話したくても話せない切なさを感じちゃう。男と女ではまだ偏見のあった時代だから、結婚だって思ってもいない選択肢だったんだと思う。自分の自由になるときって楽しいし、すぐに時間が経っちゃうでしょ。それは人生を通してもきっとそうなんだと思う。楽しい時があれば、辛い時もある。それは半分ずつだって思っていたけど、辛い時の方がずっとずっと多い気がする」
「そうだね。いま僕たちは、すごく自由なときを過ごしていて、あっ、もちろん勉強とか人との関係とか嫌なこともあるけど、じいちゃんの時代と比べれば、自分で選んで決めることができるし、ミユキちゃんの言う人生の中での楽しい時を過ごしているのかもしれないね」

「私はいま弓道を習っているけど、思う通りに引けないこともあって悩んでいるんだ。弓道は相手がいないから敵は自分の中にあるって言われる。平常心を保って癖のない動作を心掛けているんだけど、それができないんだ。すべては自分に返ってくる。自分との闘いっていうけど、それは贅沢な悩みだったんだね。純子さんは、それ以前に家族に対して の責任感や不安を重圧として受け止めてきて、自分と向き合う時間なんて無かったんだと思う」
「うん、まだウーマンリブなんて言葉もないし、自分で決められることって少なかったのかもしれないね。そうそう、学校の先生が言ってたけど、今年11月に渋谷で第一回ウーマンリブ大会があるらしいよ」
「毎日が大変な日々で、モーレツに働いてきたんだろうなあ。弓をひいてた時代の写真を見て泣いていたなんて、悲しすぎるよ」

「ところでさあ、コマーシャルでいま『モーレツからビューティフルへ』ってやってるけど、なりふり構わずやるよりも、美しい生きざまってかっこいいと思わない?」
「どうしたの、急に」

「じいちゃんの生き方が、少し好きになった気がするんだ」
「うん、私、来週も一緒に行ってもいい?」
「もちろんさ、ミユキちゃんはもう僕たちの秘密基地にも行ったしね」
「な~に? 秘密基地って・・・」
「そうだなあ、男のロマンってやつ、うん」
「しょってらあ」

imagesこの日の帰りに、ふたりは映画を見た。この年9月19日に公開された映画「いちご白書」は、アメリカ人作家ジェームズ・クネンによるノンフィクションで、コロンビア大学での1966年から1968年までの学生運動が描かれている。ラストシーンでサイモンとリンダは、数百人の学生とともに大学の講堂に立てこもり、包囲する武装警察隊が突入してくる中、床を叩きながらジョン・レノンのGIVE ME A CHANCEを合唱するのだが、催涙ガスが撒かれる中、ひとりまたひとりと床から剥がされ警棒で叩かれ、傷つきながら連れ出されていく。そしてサイモンとリンダも引き離されて衝撃の流血シーンへ。そこで流れるバフィ―・セントメリーのサークルゲーム。映画が終わっても凪とミユキは暫くの間、座席を立ち上がることができなかった。凪は中学受験のとき、東大安田講堂から煙が上り、その周囲を飛ぶヘリコプターの光景を実際に目にしていた。周りの大人たちからは、「あんな大学生にはなるなよ」と言われていた。大学生の人たちは何をしているのだろうと、あの時分からなかったが、「いちご白書」を見て、何か熱い思いがこみ上げてきて、理解はしていないものの、同じ怒りを共有できたようで、少し大人になった気持ちになっていた。

     〈続く〉

1970 〈13〉深川門前仲町

深川の運河をいかだを引いた船がゆく。材木いかだの上で、木場の男が足を組んでいる。永代通りには路面電車が走っている。凪の母は、日本橋東急に買い物に出かけたが、一本前の都電に乗ったのだろう。もう道路中央の都電の駅にはもうその姿はなかった。間もなくして、東西線の門前仲町駅から階段を駆け上がってきたミユキが姿を現わした。
「おはよう、待った? おまたせ」
いつもと変わらず、朝から元気なミユキだった。駅の横に深川不動尊の赤い門があるが、その色に映える白いシャツが爽やかなイメージを与える。深川の道場は凪の住む門前仲町からほど近い場所にある。昨日、父から道場の宇野先生に連絡してもらい、きょうは話が聞けることになった。木場方面に歩き、洲崎の街に出た。東陽一丁目、むかしの深川洲崎弁天町という場所に、遊郭・赤線地帯が存在した。戦後、洲崎パラダイスとして復興して以後13年間遊郭が存在していた地域だ。深川道場はこの近くにあった。

ふたりは道場の宇野先生に挨拶をして、道場の中に案内された。宇野先生は頭髪はなく、一見強面だが、丸い眼鏡と鼻の下のちょび髭があり、人の良さそうな感じの男だった。
1365308351_2169721「宇野先生、祖父はここでどんな修行をしていたんですか」
「うん、私はまだ小学生だったが、君のおじいさんと竹下さんのことはよく覚えているよ。
君の祖父は、保っちゃんと呼ばれていて、ここの道場でも常に的を外さない自信を持った弓ひきだった。道場対抗の試合に出ても、常に優勝してきて商品のメダルを私にくれたよ。弓をひく姿も体幹のしっかりした美しい射形だった。

これからもずっと、保っちゃんの天下だとみんな思っていたんだ。ところがそこに竹下純子という、女性だが的を外さない弓ひきがこの道場にやってきたんだ」
「竹下さんはどこで弓を習っていたんですか?」
「どこだったかなあ、あの頃はあまり女性で弓をひく人は多くなかったから、どこでひいていたとしても、女性には居づらい環境だったと思うよ。竹下さんは弓が好きだったんだな、いろいろな妨害もあったと思うけど、的を外さない弓ひきにまでなっていたんだから。この道場にも的を外さない保っちゃんがいたからな、ふたりはものすごいライバル意識で火花を散らしていたよ。よその道場なら、うますぎる竹下さんは居場所がなくなるんだろうけど、保っちゃんは、男だろうが女だろうが関係ない。竹下さんの弓を認めていて尊敬していたよ。その上で勝負を挑んでいたんだな。大会に行っても二人とも的を外さなかったんだ。それで競射といって、的の中心に近い方を優勝と決めていたんだが、おたがい譲らず交互に優勝していたよ。大会はふたりに独占されていたんだな。まあ、ふたりは競って極限まで心も体も鍛えていたよ。弓としては譲るところはなかったな」

凪もミユキも言葉を失っていた。それほど、宇野先生の話はふたりにとっては刺激的だった。祖父と竹下氏の輝きだす瞬間を聞いている気がしていた。
「保っちゃんも竹下さんも、道場の中ではひとこともしゃべらずに弓をひいていた。それでもお互いを意識していたので、ちょっとした動きや所作を見逃さずに勉強して、お互いを手本に自分の射に吸収していたんだな。お互いがお互いに習っていたと言ってもいいんじゃないかな。だから、竹下さんが風邪をひいて体調が悪い時も、その射から理解して保っちゃんは帰りに風邪薬を渡していたよ。言葉なんて無くても、お互いがお互いを理解してしまっていたんだろうな。私たちには到底できない境地にいたと思うよ」
「祖父は竹下さんを、単なるライバルというよりも、むしろ尊敬していたんですね」
「きっとそうだな。それから、こんなこともあったよ。女性の竹下さんが大会で優勝しているのを妬む人たちもいた。それで、女性を大会から追い出そうとしていたのを聞き知った保っちゃんが、乗り込んで行って、その話を潰したんだ。それで、これからも二人で競い合って弓を極めて行けると修行に励んでいたんだが、竹下さんの父親がが急に亡くなってね。急遽、親同士が決めていた相手と結婚することになったんだ。保っちゃんは、竹下さんの父親が亡くなったことは知っていたけど結婚の話はそれ以降も知らなかったと思うよ」
「竹下さんには、親の決めたいいなづけがいたんですか」
1316314410_1541075「そうなんだよ。保っちゃんも竹下さんも、ふたりとも男だ女だは関係なく、弓道の真の探究者だったんだ。しかし、お互いに心内が読めるほどの大親友になっていたと言えるんだろうなあ。竹下さんは保っちゃんの気持ちを思って陰で泣いていたよ。女性である竹下さんの前に起こるいろいろな障害を取り除いてくれたのも保っちゃんだし、これからも保っちゃんと大好きな弓道を続けていけると思っていたと私は思うよ。
だけどね、母親から何を言われたかは私は知らないが、ある日竹下さんが突然道場から居なくなってしまったんだ。保っちゃんは竹下さんが何か悩んでいたのは知っていたから、いつか相談に乗ろうと考えていたらしい。でも、言えなかったんだなあ。保っちゃんはその後、ひとりになっちゃったんだな。気持ちの張りを失っているのが見ているだけでもよく分かったよ。しばらくして、弓道に対する意欲も薄れてきて、寂しく館山に帰って行ったよ」
「そうだったんですかあ、じいちゃん・・・」
凪の背中後方から、ミユキのすすり泣く声が聞こえてきた。

    〈続く〉

1970 〈14〉三島由紀夫

門前仲町に戻ってきた凪とミユキは、深川不動尊の参道のあげまんを食べながら心を落ち着かせていた。
あげまんの隣の煎餅屋のごまたっぷりのお煎餅も凪の好物だった。
1450238480_148830「ミユキちゃん、大丈夫?」
「うん、なんかショックだったなあ・・・、
 んん? このお饅頭の天ぷら、おいしいねえ」
「ごませんべいもあるでよ。買ってこようか?」
「ああ? あのコマーシャルは『ハヤシもあるでよ』でしょ。
 おなかいっぱい、胸いっぱいよ。凪のおじいさんの気持ちも、
 竹下さんの気持ちも分かる気がする。竹下さんの家の事情も
 あるんだと思うけど、お嫁に行くのは辛かっただろうなあ」

「じいちゃんが、もし竹下さんにひとこと言っていれば
 何か変わったと思う?」
「弓道のライバル意識の方が強かったのかもしれないから、
 声はかけ辛かったのかなあ」
「ミユキちゃんは、じいちゃんと竹下さんの恋愛に期待しているのかなあ」
「うん。だって、だってだって・・・」
「女性という部分にも、もちろん惹かれる要素はあると思うけど。じいちゃんは言葉だけではなくて、弓で会話が成立する唯一の親友だと感じていたんだと思うんだ。だから、言葉も弓もすべて失ったような空虚感に襲われたんじゃないかと思うんだ」
「うん、いままで張りつめていたものが、急に空っぽになった喪失感って、どんなだろう?」
1374332414_69702「竹下さんも、自分を抑えて親の言うことを聞いたってことでしょ? 
今だったら、言えることもあるんじゃない」
「じいちゃんと竹下さんの時代は、まだ女性にはいろいろな縛りがあって、ああしたい、こうしたいっていう欲求や望みなんかも諦めなきゃいけないことも多かったのかもしれないね」
「私、凪のおじいさまとお話ししてみたかったなあ」

「来週館山に行くけど、その時に竹下さんに会いに行ってみるよ。それで、じいちゃんの手紙を渡してくる。宇野先生の話を聞いて、この手紙が大事なものなんだって分かったような気がする」
「わあ、私も行く。絶対行くよ。竹下さんにも会ってみたい」
「うん、じゃあさ、ミユキちゃん、弓を持っておいでよ。せっかくだから、じいちゃんの道場で弓をひいてみない」
「オッケー、楽しみだなあ」

miyu1年がかりで探し求めた竹下さんのいる施設を、ふたりで訪ねることにした。家に帰ると、テレビのニュースが、文豪の三島由紀夫氏が割腹自殺をしたとショッキングな出来事を伝えていた。1969年の五社監督の映画「人斬り」のなかで、勝新太郎演じる土佐の人斬り以蔵こと岡田以蔵とともに、腕の立つ薩摩の田中新兵衛を演じた三島由紀夫が割腹自殺の迫真の演技を魅せたのも記憶に新しい。映画から1年後に、本当に割腹自殺をすることを誰が予測できただろうか。映画「人斬り」は是非ご覧下さい。
misima
11月25日、自衛隊市ヶ谷駐屯地で文豪の三島由紀夫が割腹自殺したというニュースが駆け巡った。中学生の凪の目にも、三島が楯の会の制服を着て、玄関上のベランダから自衛隊員を前に、クーデターを求める演説をする画像が目に焼き付いて離れなかった。このベランダのある建物は、極東国際軍事裁判、いわゆる東京裁判が行われた建物でもあり、昭和12年6月に陸軍士官学校本部として建造され、一号館と言われていた。三島は総監室を占拠して楯の会のメンバーに総監を拘束させて、部屋の一番左の窓からバルコニーに出た。拡声器を使用しなかった三島の声が自衛隊員たちに届いたかどうかは分からないが、演説が終わると部屋に戻り、拘束された総監の目の前で割腹自殺に及んだという。三島が映画の中で見せた魅力的な男っぷりが蘇り、この光景は凪の中の記憶に深く刻み込まれた。

1970 〈15〉千葉県館山市

館山は房総半島の南端に位置し、冬でも花が咲いている温暖な地だ。

ここ館山における本格的な現代弓道は、大正13年の弓道倶楽部の結成に始まる。元関宿藩の日置流竹林派の弓道師範であった三浦平之介を指導者としたが、明治4年の廃藩置県によって職を失い館山に来ていたようだ。これに師事した若者たちの中に凪の祖父、保がいた。祖父は弓道に魅せられてこの地に道場を開くに至っていた。

武道は日本人の「ものの考え方」や「行動の仕方」が内在する運動として取り組まれている。そこには日本人の世代に引き継がれる調和があった。弓道は「礼の道」「仁の道」である。
1365812015_1901490礼に始まり礼に終わるのが
「弓の道」、射は己自身を正しく
する道であり、もし失敗しても他人を怨まない道であると教えられる。「射は己自身の中に正しきを
求めるものである。己正しければ、心「こころ清しき」。
弓を射るということは、的に矢を
的中させることを求めるのではなく誠を尽くして発せられた矢が、おのずからなる結果として的中することを求めて行射しているのである。

矢を発して当たらなければ、他を怨むようなことなく、これを己に求めてよく反省せよと教示されていて、弓道は儒教を基礎とした道徳の修養道であることが分かる。

弓道には日本人が慣れ親しんだものの考え方がや行動の仕方があり、さらに体の健康ばかりでなく、心の健康にもつながる要素を持っている。祖父の長い人生の中で、ただひとつの心残りとなっているのが、深川道場でのライバルであり親友でもある竹下純子さんだった。館山湾を見下ろす丘の上に建つ施設に、探し求めた竹下さんがいる。目の前に迫った白い建物がその施設である。施設の前で、ミユキの足が止まった。
「凪、ちょっと待って。私何だかドキドキする」
「僕もそうなんだ。少し休んで、深呼吸してから行こうか」
玄関のベンチで気持ちを落ち着かせてから、祖父からの手紙を左手に持っていることを確認して、凪は立ち上がった。それを見て、ミユキも立ち上がり、あとにつづいた。受付で部屋を確認して、廊下を奥に進んだ。
「凪、この奥に竹下さんがいるんだね」
「もうすぐ会えるね」

凪とミユキはある部屋の前に立っていた。ふたりは目を合わせて心を決めて頷いた。
「失礼します」
ノックして扉を開けると、部屋の奥で車いすに座った細身の婦人が、窓の外の海を眺めていた。何かを考えているようで、凪たちには気がついていないようだ。凪は竹下さんの背中越しに声をかけた。
1396933597_2589010「宮下純子さんですか?」
「はい」
「はじめまして、僕は石田保の孫の凪といいます」
凪の声を聞いた婦人は振り返り、優しい眼差しで凪を見つめていた。
「保さんのお孫さん」
「はい」
小さな上品な声で囁く、きれいな御婦人だった。


「おじい様はお元気ですか?」
「じつは、去年の暮れに亡くなりました」
「えっ?えっ? 保さん亡くなったんですか?」
「はい」
婦人は肩を落として、下を向いてしまった。そして、しばらくの間沈黙がつづいた。静かに目を閉じた婦人は何かをつぶやいているようだったが、凪たちに聞こえることはなかった。
様子を見ながら、婦人の背筋が伸びたのを確認してから凪は話しかけた。
「祖父はどうしてもあなたに逢いたくて、連絡を取ったのですが分からなかったようです。それが最期まで気がかりだったようです。それで、あなたに渡して欲しいと僕が手紙を預かっています」
「そうですか。私も保さんに会いたくて、ここを選びました。ここにいれば、いつか保さんに会えるかもしれないと思っていました。そう、亡くなったんですね、保さん・・・」

「はい、祖父はあなたのことを竹下さんといっていました。祖父の記憶の中では、竹下さんなんですね。竹下純子さん、じいちゃんからのこの手紙、確かにお渡しします」
「ありがとう」
手紙を手渡すとき、婦人が涙をこぼしているのに気づき、凪も目頭が熱くなった。細い指だった。手紙を大事そうに両手で包み込み、小さく頷いた婦人は、凪にゆっくりと頭を下げてから手紙の封を開いた。その手は小刻みに震えていた。

  〈続き〉

1970 〈16〉祖父の手紙

竹下さんは、そっと手紙を開き、じいちゃんの手紙を読んでいた。
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『竹下さん、お元気でしょうか。
 ずいぶんと長い年月が経ってしまいました。私が過ごしたのと、同じ年月があなたにもあったんでしょうね。私の生きてきた弓道人生をあなたにも見てほしかった。それが私の生きてきたあかしだと、この年になって思うようになりました。

 あの深川の道場で初めてお会いした時、あなたの弓の才能には驚かされました。そして、永遠のライバルだと感じました。これからずっと弓道を通じて高みを目指していけると思っていました。ところが、あなたのお父上がお亡くなりになると、突然私の前から居なくなってしまいました。あの前日の夜の十二射、初めてあなたが的を三本外しました。心配事や悩みがあったのでしょうか、涙を流して弓をひいているように感じました。あのとき、あなたは弓道に別れを告げていたのかもしれませんね。私はそれを気にしていながらも、聞いてあげられなかったことを今も後悔しています。あなたと目指していた全日本の優勝も果たせないままでいます。私は竹下さんのために何ができたんだろうか。

 あなたが居なくなった道場は、夢から覚めたように何もなかった。大事な存在を失ってしまったことで目的も明日も見えなくなり、虚しい日々が待っていました。ふたりして競い合っていた時が、幸せな時間でした。孤独な道場にいたたまれなくなって館山に帰って来てしまいました。それでもあなたに会いたくて、富士見の坂のところでお会いしましたね。弓から離れてしまったあなたの無念さが伝わってきて私もつらかった。また一緒に弓をひこうと言った時、あなたは目を閉じて首を横にふりましたね。あれだけの弓をひく竹下さんが、弓を続けられないなんて悔しくてたまりませんでした。
1154829212_1158525 この年になるまで弓道を続けてきましたが、弓を続けられなくなった竹下さんの分まで頑張ろうと続けてきました。あの当時、私たちの間にはあまり会話はありませんでしたが、あなたの思いは射の様子でいつも感じ取っていました。
 いまだから話せることもあるのではないかと考える毎日です。竹下さんとお話してこれまでのことを聞いてみたい、弓を離れなければならなかった胸の内を、悔しさを、弓のライバルだった私になら話すことができるんじゃないかと思います。あの時何もしてあげられなかったけど、あなたの話を聞くことで、背負っている肩の荷を少しでも下ろしてあげられたらと考えています。私はもう、そう長くは生きられないようです。懸命に探してみましたが、まるで夢だったようにあなたはどこにもいなかった。

 もう一度会いたい。私の命があるうちに・・・』

静かな時間の中に、竹下さんのすすり泣く声だけが聞こえていた。

       〈続く〉

ビリー工作キット昭和シリーズ
ぼくらの夏は終わらない 1997年夏の月9ドラマ「ビーチボーイズ」に酔いしれる。館山市布良でロケ。
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