潮騒が聞こえる〈BEACHBOYS1997〉

たそがれ時を過ごす場所。Costa del Biento / Sionecafe    2022年、館山の夕日劇場を見においで

小説 1970

1970 〈1〉御茶ノ水

〈この話は、1970年、昭和45年の設定で書かれています〉

1970     〈1〉

 御茶ノ水駅のホームで神田川の流れを眺めていると、右下方を通過する地下鉄丸ノ内線の赤い車両が向こう岸のトンネルの中に消えて行った。赤い車両には波のような白い模様があり、それを見ているうちに、あの時の光景が繰り返し浮かんできた。
1449044662_132492 去年の暮れに凪〈なぎ〉の祖父・保〈たもつ〉が亡くなったが、その7日前に凪は呼ばれて祖父のもとにいた。
「凪、お前に頼みがあるんだが、聞いてくれるか」
「うん、何?」
「実は、私には忘れられない弓道のライバルがいるんだ。その人は竹下という人で大親友でもある。その人にこの手紙を届けてもらいたいんだ」
「いいけど、どうして・・」
「だいぶ長い間、会っていないんだ。知っていた住所に手紙を出しても戻ってきてしまう。電話もつながらないんだ」

「ええ? 何か手掛かりはないの?」
「ああ、前に訪ねたとき、凪の通う中学校のある千代田区の富士見にある坂の所に住んでいたのを覚えてるよ。あとは、若い時は的をはずすことのない上手な弓ひきだった」
「へえ、えっ? それだけ?」
「ああ、元気なうちにどうしても会いたかったんだが、見つからなかったんだ」
「じいちゃん、何とか探してみるよ。探してくるから元気でいてね」
「ああ、凪頼んだぞ」
「うん」

祖父は,父ではなく孫の凪に手紙を託したのだった。祖父は笑顔で凪を見送った。しかし、凪を待つことなく亡くなってしまったのだった。凪の手には祖父から預かった手紙が残った。凪はあの時の祖父の笑顔が、いまでも手に取るように思い出されて仕方がないのだ。丸ノ内線の赤い車両がまた神田川の上の線路を走り抜けて行った。

聖橋を下から見上げてため息をひとつ、丸ノ内線が神田川の上に現れて、東京医科歯科大学のある対岸の地下に再び消えて行くのを数本見送った。ふいに肩をトンと叩かれて振り向いた。
「待った? お待たせ」
そこには、幼なじみのミユキが立っていた。愛嬌のある、いつもと変わらない笑顔がそこにあった。凪は男子校に通っているので、ミユキと会うのは久しぶりだったが、気心知れた仲なので何でも話すことができる。知り合ったばかりの女友達と違って、変な気を使わなくていいのが幼なじみのいいところだ。それでも異性を意識するのがこの頃からなのかもしれない。

男子中高生も女子中高生も雑誌のページのみみにあるペンフレンド募集の投稿を隅々まで見て、これと決めるとドキドキしながらペンフレンドになるために顔も知らない相手に手紙を書いていた。凪もペンフレンドはどんなものかと思い、学生向けの雑誌に「ぼく、男子校に通っています」という言葉と共に住所と名前を書いて投稿してみた。驚いたことに、一週間も経たないうちに50通を超える女子校生からの手紙が届いたのだ。

「私、男子校って興味があります。ペンフレンドになってください」「女子校に通っています。いろいろお話を聞きたいです」「私、ご近所みたいです。友達になりませんか」と、凪にとってはこなしきれない手紙の数だった。手紙をくれた人みんなと話をしてみたいと思うのだが、そんな時間もない。凪はすべての手紙に返事を書き、丁寧に謝った。たしかにグズグズしていると、期待を持たれて、かえってみんなに迷惑をかけることになるのだ。それでも内緒で興味を引かれた女子校に通う人と、しばらくのあいだ文通を続けたが、あまり長続きはしなかった。やはり、お互いに繰り返す毎日があるので歯車がずれると手紙に書く内容もなくなってしまう。お互いに写真を見たいと書くと、自分より美人だったり、カッコ良かったりする友人の写真を送ってしまったりして結果的に関係が壊れることも多かったようだ。

ラジオからは、ザ・リガニーズの「海は恋してる」、フォーク・クルセイダーズの「何のために」、ソルティ―シュガーの「走れ、コータロー」など、多くのカレッジ・フォークが流れていた。フォークギターとウッドベースを持って、ブラザースフォーやPPM〈ピーター、ポール&マリー〉のコピーをする大学生ライブも見受けられるようになった。また、漫画「あしたのジョー」の矢吹ジョーのライバル、力石徹が漫画の中で死亡したが、ファンが集まり、実際に力石の追悼式が行われていた。学生運動が停滞し、過激派などによる暴力の激化をよそに見て、学生たちにはやさしさが感じられる平和な時代のはじまりなのかもしれない。

〈つづく〉

1970 〈2〉日航機よど号

御茶ノ水駅の聖橋口の改札を出ると、凪とミユキは本郷通りを淡路町に向かって坂を下っていった。ニコライ堂の裏手を見上げる位置に、地下鉄千代田線の新御茶ノ水駅への離れた入口ができた。坂道に出来た幅広い空間に入ると、長いエスカレーターまでの踊り場にカウンター席だけの小さなコーヒーショップがある。ここが凪の見つけた、中学生としてはちょっぴり背伸びの店だった。オレンジジュースとホットドッグを注文して、カウンターの奥から詰めて座った。昭和45年、ふたりとも中学2年の春を迎えていた。地下鉄千代田線は、1969年の12月に北千住から大手町間が開業したばかりの新しい地下鉄路線だ。車両には緑のラインが入っている。御茶ノ水駅口から地下鉄に向かうと、丸ノ内線よりもはるか地下に造られた千代田線のホームに向かう長い長いエスカレーターが続く。ニコライ堂裏手の駅入り口は静かな穴場のような居心地の良い場所だった。
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「じつはさあ、じいちゃんが暮れに亡くなったんだけど、じいちゃんから頼まれたことがあるんだ。じいちゃんには、弓道のライバルで親友がいたらしいんだ。竹下という人なんだけど、その人への手紙を預かっちゃたんだ。父さんではなく、僕から手渡して欲しいと言われたんだ。大事な手紙みたいなんで僕も渡さなきゃと思ってる。ミユキちゃん、その人を探すのを手伝ってくれないかな?」
「いいわよ。早く見つかるといいね」
「サンキュ、じいちゃんは亡くなる前にどうしても会いたかったらしいんだけど、電話もつながらないし、知り合いに聞いても分からなかったみたいなんだ。飯田橋の富士見の坂の所に住んでいたらしいんだけど、引っ越しちゃったのかなあ」

カウンターに置かれたオレンジジュースのグラスに紙封を切って取り出したストローを入れながら、ミユキは目を輝かせて言った。
「よし、じゃあまず千代田区富士見辺りの坂道を調べて、地道に聞き込みかなあ」
「おいおい、テレビの見過ぎかよ。刑事ドラマみたいで楽しそうだね」
「うん、こういうのけっこう好きかも」
オーブントースターのチンという音がして、ふたりの目の前に運ばれたホットドックが湯気を立てていた。共同活動を得てやる気に充ちたミユキは、ケチャップと少しのマスタードをしぼり、ひと口かぶりついた。
「わあ、おいしい。あ、これってもちろん凪のおごりだよね」
「え? まいっか」
凪はいつものように、ホットドッグを包丁で少し斜めに二等分してもらい、ケチャップとマスタードを同じ長さにしぼり出して、食べ慣れたこの店のホットドッグを口にした。
「なぎ~ィ、切ってもらったの? そういう裏技があるなら早く言ってよ。すいませ~ん、私のホットドッグも半分に切ってください」
カウンターの中の店長は、笑ってミユキのひと口欠けたホットドッグを半分に切ってくれた。ちゃっかりした話しやすいミユキと一緒にいることに心安らぐ凪だった。その日の夜、ミユキは千代田区富士見にある坂道を、地図からチェックしてくれたようだ。世の中は三月に起こった日航機よど号事件の余韻と、開幕した大阪万博の賑わいで落ち着かない1970年、昭和45年の春だった。

日航機よど号事件に触れておこう。3月31日、羽田空港発板付空港行きの日本航空351便〈よど号〉が、富士山上空を飛行中に日本刀、けん銃、爆弾とみられるものを持った赤軍派を名乗る9人によってハイジャックされた。犯人グループは北朝鮮へ亡命するために飛行機を北朝鮮に向かうよう要求していた。よど号は板付空港と韓国の金浦空港へ着陸し、乗員乗客を順次開放したが、人質となっていた乗客の身代わりに搭乗をかって出た山村新治郎運輸政務次官を乗せて4月3日、北朝鮮の美林飛行場に着陸し、犯人グループはそのまま亡命した。これは日本で初めてのハイジャック事件となった。金浦空港では、韓国兵が朝鮮人民軍兵士の服装で平壌到着歓迎のプラカードで偽装工作をしたが、犯人グループに見破られてしまった。乗客の代わりに人質となった山村新治郎運輸政務次官は度胸が据わっていてかっこいいとニュース視聴者の立場からは賛辞が上がっていた。凪の父親は、山村氏はこれで男を上げたと千葉県選出の山村氏を同郷ということもあって誉めていた。中学生の凪はテレビの画像にしがみついて、何が起こっているのかと夢中になっていたのだった。
   〈続く〉

1970 〈3〉目白通りから

日曜日の午後、凪は地下鉄東西線の九段下の駅にいた。まずは祖父の話にあった富士見にある坂の近辺で、竹下氏のことを知っている人を探してみようと思ったからだ。ミユキの作ってくれた坂道の地図を見ながら、小さな冒険が始まった。

九段下駅に近い三つの坂道は、九段下駅のある目白通りから富士見に向かって上る坂道である。富士見というのは、各地にもあるように富士山を見ることができる高台を意味しているのだろう。ミユキの地図には、坂に関するコメントが添えられていた。よくできた地図だと、その才能に感謝する凪だった。

靖国通りをのぼる坂を九段坂という。正面には靖国神社の大きな鳥居が見える。江戸時代のはじめにできた坂道で、飯田町があるので古くは飯田坂とも呼ばれていた。宝永のころ、坂に御用屋敷が九段になった長屋として建てられ、この坂も九段坂となった。当時の九段坂は今よりもずっと急な坂で石段もあり、車馬は通行ができなかったようだ。母が歌っていた「九段の母」の歌詞で、子供の頃から親しんだ坂道だ。ここはお濠とビルに囲まれていて民家は見当たらない。

1213768883_959962九段坂より目白通りを少し飯田橋方向に行くと、地下鉄の駅の横に中坂がある。1697年以降の図にはこの中坂が書き込まれているが、それ以前は武家地となっていた。中坂は九段坂と冬青木坂の中間にあることから中坂と名付けられたが、以前は飯田喜兵衛の居住することから、ここも飯田坂と呼ばれたこともあった。ここには民家が数軒並んでいる。凪は竹下という家の存在や弓道をする竹下という人を知らないかと尋ねたが、この坂では知る人はいなかった。

さらに少し飯田橋方向に行くと、ホテルグランドパレスの手前に冬青木坂〈もちのきざか〉がある。グランドパレスは金大中事件があったホテルだ。1973年8月8日、大韓民国の民主活動家および政治家で、のちに大統領となる金大中が、韓国中央情報部 (KCIA) により日本の東京都千代田区のホテルグランドパレス2212号室から拉致されて、船で連れ去られ、ソウルで軟禁状態に置かれ、5日後にソウル市内の自宅前で発見された事件である。このホテルの横を上っていく冬青木坂は、かつて坂の傍らに常盤木があり、見た目には冬青木坂と見間違える木だったことから冬青木坂となったようだ。丙午の災いで木は焼けてしまったが、この地の磯野氏の家記にはそのように記されているという。坂の途中から左手には和洋九段女子中学高校の校舎が道沿いに連なっている。この坂にも数軒の民家があるが、竹下氏の情報を得ることができなかった。

1213768027_985497冬青木坂は、凪が毎日上り続ける中学への通学路だ。祖父は凪の通う中学が富士見にあると知っていて、竹下氏への手紙を託したのだが、探して歩くことは中学二年の凪にとっては精神的な負担が大きかったようだ。でも、祖父は何故父や母ではなく自分に頼んだんだろうと凪は不思議に思っていた。冬青木坂を上り切った右の角に、素敵な洋館がある。1935年に安田財閥創始者の孫にあたる安田岩次郎の邸宅として建てられたが、1944年にフィリピンに売却されて「The  Kudan」と呼ばれて大使公邸として使用されている。門にはフィリピン大使館という金属板が取り付けられている。凪はこの建物の前で。ミユキの作った地図を開いて坂道を確認していた。
    〈続く〉

1970 〈4〉フィリピン大使公邸

「凪、何してるんだ?」
声をかけてきたのは、G中学1年の時、つまりこの春までのクラス担任だった教師の石田大二郎だった。生徒からは石チンと呼ばれていた。名前で呼びかけられたのは理由があって、凪も姓が石田なので、入学当初から名前で呼ばれていた経緯がある。仲間からは石チンと区別して石ポンと呼ばれていた。
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「あ、先生。ちょっと調べごとで・・」
「ここのフィリピン大使公邸かい? ここは以前は安田財閥の邸宅だったんだよ。ここには幼少期のオノ・ヨーコが3年間住んでいたのは知ってる?」
「あ、そうなんですか。そういえば上の校庭で昼休みにサッカーしてて、ボールを道路に蹴りだしちゃったことがあって、通行人に取ってもらおうと塀の上から見た時、ボールを取ってくれたのがジョン・レノンとオノ・ヨーコさんだったんですよ」
「ああ、雑誌でみたけど、オノさんが自分の住んでたこの建物をジョン・レノンに見せたくて、ここに来てたらしいな。オノさんは安田財閥のひとなんだなあ」

「先生は、これからどこに行かれるんですか」
「ああ、そこのアジャンタで知人と待ち合わせなんだ」
「おいしいカレーですよね。うらやましいな」
「じゃあ、時間がないから行くけど、気をつけてな」
「はい」
石田は手を振って、和洋学園の校舎のあいだの道路を通り抜けていった。フィリピン大使公邸の向かいに凪の通うG学園がある。振り向くと古い赤レンガの塀が続いている。ここにある通用門がかつての正門だったが、あの文豪夏目漱石が自ら子供たちのために入学願書を取りに来たということだ。
突然、その通用門から声をかけられた。
1213768045_71131「凪、何してんの?」
「おお、永嶋〈王、長嶋〉」
と、一本足打法の真似をして答えるのが、永嶋に対するギャグだった。
「いつものギャグ、ありがとね」

「永嶋は今日部活だったの?」
「うん、もう終わったから帰るとこ。腹減ったなあ」
「きょうは日曜だから、学食休みだよね」

「そうなんだよ。あ、またいつもの瀬戸カレーの話か。凪はホントにあれ好きだよな。学食の瀬戸さんも覚えてくれていて、おまえが食券買う前からカレーをよそって待ってるもんな。昼と放課後の1日2食は瀬戸カレーだろ」
「うん、時々朝も食べるよ」
「お前のエネルギーは瀬戸カレーか?」
「そうかもなあ」
「凪さ、もしよかったら大野屋つきあってくれない」
「あ、いいね」
凪も空腹だったので付き合うことになった。九段中学の前を通り、坂を下っていった。坂を下りたところを右折すると大野屋がある。ここは僕らの秘密基地だった。中でおいなりさんや団子を食べながら、近所のおじさんたちと大相撲を見るのが楽しみだった。放課後に瀬戸カレーを食べた後でも、ここのおいなりさんは食べられた。この日もテレビの周りには人が集まっていて祖父の友人探しはここまでとなった。この5月場所千秋楽の北の富士の優勝を、永嶋と一緒に見ることができた。時代は巨人・大鵬・玉子焼きだ。3月15日から開幕した大阪の万博にも行って、太陽の塔や月の石を見たい凪だったが、祖父の友人に手紙を渡すことが先決だと決めて、来週の日曜日も坂の探索をしようと思っていた。

日本万国博覧会について触れておこう。3月15日から9月13日までの183日間、大阪府吹田市の千里丘陵で開催された。「人類の進歩と調和」をテーマに77か国が参加した。アジアで初めて開催されたイベントで、岡本太郎氏の太陽の塔、アポロ12号が持ち帰った月の石を展示したアメリカ館やソ連館など、行列ができるほどの混雑となった。大阪万博EXPO70と呼ばれた。戦後日本が高度経済成長を経て、アメリカに次ぐ経済大国になった象徴的なイベントとなった。
   〈続く〉
   ※ 文中のアジャンタは、現在は四ツ谷に移転している

1970 〈5〉餃子会館

再び日曜日の朝がやってきた。ラジオのニッポン放送のロイ・ジェームスの「西銀座歌謡ベストテン」で凪は目を覚ました。現在の日本で一番有名な宝くじ売り場のあたりにサテライトスタジオがあって、そこからの生放送でした。内山田洋とクールファイブの「逢わずに愛して」が流れている。去年〈1969年〉友人の父の勤めるTBSを見学した時、リハーサル中の内山田さんが寄ってきた。
「君たち、長崎海星だろ?」と聞かれたことを思い出した。凪の通っていたG学園は、長崎海星とは姉妹校なので、おそらく制服が似ていたのだろう。クールファイブのメンバーはこの制服が懐かしかったのだろう。

さて祖父の友人探索2日目、ミユキも来るというので、飯田橋の駅前から一本裏通りのビルの一階にある餃子会館磐梯山で午前11時に待ち合わせた。店の前で合流して早めの昼食となった。この店は男性は時間内に100個餃子を食べきれば無料となり、賞金1万円がもらえる。女性は50個で無料となり、賞金5千円が出る。記録達成者は店内に名前が貼られている。日本医科大学病院が近くにあるため、看護師さん〈当時は看護婦〉数人の名前があった。
「ミユキちゃん、挑戦してみる?」
「ううん、これから人と会うかもしれないし、やめとくよ」
「ああ、そうだね。昼食餃子にしてごめんね」

「餃子でごめんねえ」と、極真会館で空手を習っている店員さんが会話に入ってきた。
「あ、すいません。そんなつもりで言ったわけじゃないんで・・。彼女にここのおいしい餃子を食べてもらいたくて連れてきたんです」
「わかってるよ、少年。いつもありがとな」
店員さんは、拳をにぎってポーズを決めて笑顔を見せた。
img_0 (19)「お兄さんは空手を習っているんですか」
「おうよ、池袋の極真会館で修行してるよ」
「極真って、大山倍達さんですよね」
「おう、大山総裁はアニメの『空手バカ一代』のモデルだからな」
「大山さんが千葉の清澄山で山籠もりで空手修行して、山を下りてからは館山に住んだんですよね」
「オッ、少年詳しいね」
「大山さんが牛と闘ったのが、館山の八幡海岸で、見学者の中に僕の父がいたんです」
「本当か、すごいじゃねえか。少年の父は伝説の場面を目撃したのか」
「はい」
「そうそう、本部の合宿は館山だもんな」
「はい、安房自然村ですね」
思わず話が盛り上がってしまったが、美味しい餃子ライスを餃子二皿で食べ終わった。

   〈続く〉

1970 〈6〉飯田橋

餃子会館を後にしたふたりは、飯田橋駅の線路沿いの道を歩き、警察病院の前までやって来た。

ふと、鰻を焼くにおいが漂ってきた。日本歯科大学の体育館の横に、老舗のうなぎ屋さんがある。凪も飯田橋から歩くとき、鰻をさばいている光景をよく目にしていた。とてもいい匂いだが、餃子を食べたばかりの二人には食欲を誘うものではなかった。ミユキの作った地図を見て、富士見の坂の位置を確認していた。
「先週は目白通り側の坂を調べたから、今日は富士見の反対側の坂に行ってみようか」
「うん、早稲田通り沿いの日本歯科大学の裏手に3か所だけど坂があるみたいね」
「じゃあ、そこから行ってみよう」

地図を頼りに歩いて行くと、飯田橋駅の外濠に近いところから日本歯科大学の裏手に向かって下って行く坂道があった。ここは江戸時代からある坂で、幽霊坂と言われている。何とも不気味な名前の坂道である。坂に面してる何軒かの家人に竹下という家があったか、竹下という弓道をする人を知らないかと尋ねて歩いたが、得られる証言はなかった。この坂を下って行くと、左手に早稲田通りから繋がった日本歯科大学の裏通りから下ってくる坂道がある。この坂も、何と同じく幽霊坂と呼ばれている。これで二つ目の幽霊坂を見つけたことになった。この坂の住人にも数軒聞いて回ったが、竹下氏の情報は得られなかった。

さらに、その坂道を左に見て少し進み、日本歯科大学の真後ろまで来ると、左手から曲がって下ってくる坂道があった。この坂もまた、幽霊坂と呼ばれていた。この三つ目の幽霊坂はは江戸時代は坂道ではなく、のちの法政大学の敷地内だった。昭和30年代に開削されて住宅地となったらしい。それならば、何故この新しい坂道まで幽霊坂と名付けられたのだろうかという疑問が残った。新しい住民たちは好き好んでこんな気味の悪い名前の坂にはしないだろう。この坂の住人達も竹下氏の情報は持っていなかった。しかし、驚いたのはこの狭い地域に三つの幽霊坂があったことだ。

1213768930_917547「ねえ、凪。いま私たちがいる所って、三つの幽霊坂に挟まれているよね。ここって、出るのかなあ」
「まさかあ、そんなとこに家を建てて住まないでしょ。それぞれの坂にきっと意味があるんだよ、きっと・・」
「きっとォ?」
「何でこんなに幽霊坂があるのか、図書館に行って調べてみるよ。民家もたくさんあるから、とりあえず、じいちゃんの親友のことを聞いてみようよ」

と、言いながらも足早にその場を離れていった。そして、ふたりは手分けをして民家を訪ねて弓道をする竹下氏の情報を聞いて回った。ふたりが中学生であったために、住民の方たちも警戒せずに親切に話してくれたようだ。ここで1件だけ情報があった。この幽霊坂からは少し離れるが、竹下という家があったということだ。十年ほど前に北千住に引っ越したという。ご近所の方が年賀状のやり取りがあると言うことで、住所も分かった。これはひとつうれしい情報を得ることができた。
    〈続く〉

1970 〈7〉千代田区図書館

二人はこの道をまっすぐ進んで、白百合学園の見える通りまで出てきた。この辺りで一つ残っていた坂道が、この右手にある富士見坂だ。この坂を靖国神社に沿って市ヶ谷方面に下っていくと、三輪田学園の角を左折して靖国通りに上がっていく一口坂〈いもあらいざか〉と合流している。ここは祖父の竹下家を訪問した話からは少し外れるので、竹下という名前の家があるかどうかだけ調べたが、得られる情報はなかった。

1393472160_3038416「ミユキちゃん、まだ時間があるし、ちょっと図書館へ行ってみようか?」
「うん、幽霊坂って気になるもんね」
ふたりは日本武道館の前の靖国通りを、九段下の駅に向かって下って行った。目白通りとの交差点を右に曲がり、九段会館の前を通って、その並びにある千代田区役所の建物の上階にある千代田区図書館を目指した。凪の学校は千代田区で、この図書館をよく利用していて勝手が分かっているので、すぐに富士見の「幽霊坂」を調べることができた。

文久二年〈1862年〉の東都番町大絵図によると、三つの幽霊坂の辺りは牛込御門と田安門の小役人の密集地となっている。そして、幽霊坂の答えに導かれた。最初に見つけた幽霊坂と二番目に左手に見つけた幽霊坂の二つは、江戸時代に名付けられている。幽霊が出る坂なのではなく、目立たない場所にあるゴミ捨て場だったようだ。危険だったり不潔だったりするこの場所に、子供たちが近づかないように幽霊坂と呼んだらしい。三番目に見つけた幽霊坂は新しく、前出のようなゴミ捨て場ではなくて、私道であったため、人が出入りすることを禁止するために幽霊坂と名付けているようだ。いずれにしても、人を近づけないように「魔除け」のような役割でついた坂の名前だったようだ。

「へえ、そうなんだ。よかったぁ、幽霊が出る坂じゃなくて」
「ミユキちゃん、背中に何かついてるよ~」
「キャー!」
図書館中にミユキの悲鳴が響いた。図書館内の人たちが一斉に、迷惑そうにこちらを睨んでいる。
「すいません、すいません」
「ごめんなさ~い」
ふたりは周りの人にペコペコ謝りながら、逃げるように図書館を出た。

1393472010_2950300「も~う、図書館で驚かせなくてもいいじゃない」
「ホント、ごめんね」
「あ~あ、恥ずかしかった。もう図書館に行けないよ」
「ごめんね。亞砂呂のチーズケーキをおごるから許して」
「亞砂呂のチーズケーキ? なら許してあげる」




交差点から神保町方面に向かって数軒先にある亞砂呂は、凪の母のお気に入りのお店だった。母親と九段下に来るときはいつも寄ったお店だったので、お馴染みのお店だ。チーズケーキを食べながら、話題はテレビ番組の話になった。凪はこの年に放映が始まった「柔道一直線」の話で、桜木健一演じる一条直也の実現不可能な技の話と、近藤正臣さんが足でピアノを弾く話、吉沢京子さんが可愛いと言う話を立て続けにしたが、ミユキはあまり興味を示さなかった。ミユキは岡崎友紀と石立鉄男の「奥様は18歳」の話だった。そういえば、クラスでは岡崎友紀派と吉沢京子派に人気を二分していた。

「ところでさあ、『不幸の手紙』って知ってる?」
「なにそれ?」
「私のところへ来たのよ。死神からの手紙で、あなたのところで止めると必ず不幸が訪れるって書いてあるの」
「へえ、面倒な手紙だね。やめたくてもやめると気持ち悪いよね」
「そうなの、でも字が丸いから、書いた友人は分かったんだ」

「それで、ミユキちゃんは書いたの?」
「宛名を書かずに出したよ。もちろん差出しの名前も書いてないよ」
「ナイス! でも郵便局はどんな対応になるんだろうね?」
「捨てておしまいじゃない? わたしは切手代を損しちゃったけどね」
「まったく迷惑な手紙だね」
「全国的に広まっちゃったみたいなの。誰かがやめないといけないのよね」
「不幸の手紙って、度胸試しみたいな手紙だと思えば何でもないね」
凪は、怖がりながらも、笑って言い放った。

「ねえ凪、坂の近くってひと通り調べたけど、情報は一件だけね」
「うん」
「おじいさまから弓道の話は聞いたことはあるの?」
「じいちゃんは、仕事を引退してからは弓ばかりだったなあ。弓道は七段教士だったよ」
「その竹下さんのことは、どんなふうに聞いているの?」
「じいちゃんが若い時、東京の道場に来た時に知り合ったらしくて、それ以来ライバルで親友だって言ってたよ」
「そんな竹下さんに伝えたかったことが手紙にあるのね。頑張って探さなきゃね」
「うん、来週は北千住に行ってくるよ」

     〈続く〉

1970 〈8〉北千住

日曜日、門前仲町から大手町で千代田線に乗り換えて北千住に向かった。湯島、根津、千駄木、西日暮里、町屋と、地上の情緒のある街並みが想像できる路線だ。

北千住の地下鉄駅は真新しかった。階段を地上へ向かって上り切ると、北千住駅の西口に出た。右後ろを振り返ると、ギターを抱えた流しが歩いていそうな飲食店の街並みが見える。北千住の駅は多くの路線が通るため、構造的には橋上駅だが、まるで防空壕のような半地下を掘ったような東口への歩道通路がある。自転車を抱えたおばさんと、少しかがみながら東口へと向かった。東口に出ると、左手には駅へ上る長い階段がみえる。これはすごい、じいちゃんの家に行ったときに連れていかれた洲崎神社の階段を思い出した。
角の店に、カップヌードルという新発売の商品が置いてあり、目立つ旗が立っていた。お湯を注いで3分でラーメンができるとある。そんなことができるのかと、両親への土産で購入した。左手に高い煙突が見えていて、まだ銭湯が混みあう下町のイメージだった。
北千住
駅前から直線で続く旭町商店街を行く。左にレコード店を見て、足立高校の通用門があった。ここで富士見から引っ越してきた竹下氏の家を、地図で確認した。旭町商店街を行くとやがて突き当たりに書店があった。ここを左折していくと公園があり、二組がキャッチボールができるブルペンのような網で囲まれた施設を含む公園だった。

確かこの辺だったと、凪は地図を見返した。公園の前に民家のおばさんの小さなおでん屋さんがある。ちくわぶをひとつ購入して、食べながら聞くと、洗濯屋さんの向こうの家を指さした。そこへ行くと竹下という表札の家を見つけた。
「ここかな、竹下さんか、まちがいない」
凪は玄関の戸をノックした。
「は~い、どなたですか」
「あ、石田といいます」
戸が開き、中から初老の眼鏡をかけたご主人がでてきた。
「はい、なんでしょうか?」
「あ、ぼく、祖父の友人を探していて、祖父をご存じないかと思い、訪ねてきました」
「なぜ私なのかな?」
「祖父の友人は、飯田橋の坂のところに住んでいたのですが、連絡が取れなくなったらしいんです」
「ああ、確かに以前は飯田橋駅の近くに住んでいました。君のおじいさんは何という名前なのかな」
「はい、石田 保といいます。実は12月に亡くなって、祖父の友人の竹下さんにと手紙を預かったんです。もし、竹下さんが祖父と弓道のライバル関係ならば間違いないと思うのですが」

「ああ、おじいさんは弓道をされるのですね」
「はい」
「うん、残念だが私は弓道をしません。弓をひかないし、石田という人にも心当たりがないんだなあ」
「え、そうですかあ」
「残念だが、人違いだね」
「そうでしたか。突然訪ねてきて、変な奴だと思われたでしょう」
「いや、君は一所懸命だし、早く見つかるといいね」
「ありがとうございます。失礼しました」
富士見の坂で、唯一得られた情報は、人まちがいに終わった。重い足を感じながら、先ほどの書店の前まで戻ってきた。ここで凪は去年発刊されて人気のある少年ジャンプの今週号を購入した。ジャンプには本宮ひろ志の「男一匹ガキ大将」と永井豪の「ハレンチ学園」が連載されていた。この二つの漫画は凪に多大な影響を与えていた。特に「男一匹ガキ大将」は主人公の戸川万吉が久保銀次とともに、日本国中を回り、各地域にいる男たちを探す旅が佳境に入っていた。祖父の友人探しの唯一の手掛かりが人まちがいに終わり落胆していたが、仲間を発掘して旅をする万吉に励まされる凪だった。その日を最後に、この旅は暗礁に乗り上げてしまったようだ。次の日、凪は朝から目がチカチカしていた。光化学スモッグのせいなのかもしれない。杉並区の高校生が光化学スモッグのせいで倒れたというニュースが床屋のラジオから聞こえてきた。
     〈続く〉

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ビリー工作キット昭和シリーズ
ぼくらの夏は終わらない 1997年夏の月9ドラマ「ビーチボーイズ」に酔いしれる。館山市布良でロケ。
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