個人で楽しむための写真集の新刊が出来ました。CANON bookです。
32ページからなるブックです。大正~昭和の館山の光景ですね。
一部を紹介しますね。

表紙当時は人力車の時代です。
大珍宝の森さんの話から。
白浜の岩目館の先々代に森田新太郎って言う人がいた。いま生きていれば<昭和40年代>120歳くらいになるかなあ。博打を打たない大親分だった。駅前の店によく来たけど、白髪頭の身丈6尺もある大きな人だった。千倉に一力っていう博打うちの親分がいる。その人に縄張りゆずって堅気になった。大正3年の5月に、3日3晩寝ずにお祭りやって、親分譲りの式をやったそうです。
その親分を清水次郎長に例えると、うちのおとっつぁんは、一の子分だったから大政みたいなもんだ。縄張り譲っちゃって家にも帰れない。どこにも行けない子分が5060人残った。うちのおとっつあん勝次郎って言うんだかんね。親分に「おい、勝っつあん、おめえがこの子分たち引きとって面倒みてやれ」って頼まれた。それじゃあ駅ができるから、人力車でもやれば、って人力車始めて、みんな車夫になった。うちのおとっつあんは人力車の組合長になった。
。。。僕の知ってる岩目館の社長も「森田新太郎さん」だったような記憶があります。偉大なおじいさまの名前を継いだのかな?館山の人力車のルーツが分かりますね。

六軒町大正時代の六軒町の通りですね。










弓道大正13年、三浦平之介を師範に
安房弓道倶楽部が結成された。
六軒町の旦那衆が中心のメンバーだった。
僕の祖父は蒸気機関車の運転手でしたが、
国鉄職員として倶楽部に参加していた。






街中大正時代のもの。
下町の現在の千葉銀行ATMの場所から、
城山方向の写真。

右は、北条の千葉銀行の交差点ですが、
正面の5階建ての建物は
いとう屋デパートの懐かしい姿ですね。
これは昭和の写真ですね。



映画館そして、キネマ通りにあった映画館、
銀映、竹映、北条キネマの3館。
右上は仲町の館山劇場。
大正時代に新宿にあった北条文庫。