仲町にあった旅館池田荘は、令和元年に南房総を襲った台風の来る直前に廃業解体しました。昭和の時代は弓道場で声をあげることにおおらかだったけど、警察に電話する近所の若い女性も出てきて、伝統の弓道合宿が出来なくなったのが原因ですが、深夜に塀を乗り越えてきて弓道場のあづちをスコップで掘り返していく輩まで現れての営業妨害までする状態でした。弓道場は昭和40年代からあるのに、平成になってから周りの住人がうるさいと我慢できなくなってきたんですね。。。日本の名だたる弓道範士から愛された弓道場はこうして姿を消しました。
さて、ここは大正期に松岡楼~松岡旅館として古くからの老舗の旅館でした。
(以下は、また旅倶楽部さんの記事から)
昭和20年の2月16日、館山基地に駐屯していた茂原の第252海軍航空隊所属の零戦が松岡旅館裏に墜落した。第903海軍航空隊の記録によると、館山基地に着陸しようとした零戦2機が湾内の輸送船から銃撃を受け、南の山の対空基地からも撃たれて一機が墜落したということ。早朝から館山基地や関東の飛行場への米軍空母艦載機による最初の奇襲攻撃があった日で、この零戦は味方の誤射による墜落なのか。正面広間の屋根が瓦ではなくなっているので、その影響かもしれませんね。

(以下は、また旅倶楽部さんの記事から)


2番目の画像を見ると、門の脇にあった高野槙がまだありませんねえ
とても立派な木だったので印象に残っていますよ
sionecafe
が
しました