駅5
館山駅に蒸気機関車が入線してきます。


震災後、今の駅舎
<平成11年までの木造駅舎>
ができたんですが。。。



島田
:大正13年の4月頃だったと思いますけど、新しい駅ができるまで、
いまのバス乗り場がある所に仮庁舎があって、そこでやってた。
私が入った頃は「マッチ箱」って呼んでた客車だった。ひとつの客車が
6つ位の部屋に分かれてまして、それぞれドアがついていた。
カギは外側から掛けたので、駅員は列車が着くとカギを一つずつ開ける。
発車する時はカギを一つずつ掛ける。これが大変だったですね。
ひとつの客車に36人位乗れたかな、それが3両編成位。
電気はなくガス灯がついてましたね。すぐボギー車っていう客車に変わりましたけど。

小原:連環連結機っていってね。連結するのに列車と列車の間に入って手でかけるんです。

島田:太った人だったら、連結の仕事できなかったでしょうね。事故も多かったですよ。
うっかりすると列車と列車の間に挟まれちゃう。

ーーこの旧式の連環連結機が現在のゲンコツ型をした自動連結機に変わったのは
大正14年7月1日。全国一斉に全列車の連結機を、たった一日にして交換した。
わが国の鉄道史上では記念すべき日であった。館山駅構内でも連結作業事故死がある。
島田:私も命拾いしたことがあった。連結作業終わっていないのに見込みで貨車を
動かしちゃった。枕木の上に伏せて助かった。今のようにブレーキがあんなに下まで
出てなかったから、、車両の下と地面までの隙間があった。いまなら服か何かひっかけて
巻き込まれちゃってますよ。

島田:いまは駅長も駅員も同じ服を着て、友達と話すように話をするけど、私らの頃は
駅長とは口なんてききませんでした。用があったとしても、まず助役にいってそれからだから。
小原:あまり口きかなかったね。軍隊式だったからね。駅員同士でも口きかなかったしね。

大正13年10月31日 館山駅頭にて天長節祝日撮影<このメンバーのほかに実務中の22人>
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