CIMG1592小原さんは明治36年生まれ、
大正10年館山駅の駅手として
国鉄に入った。

連結手、天轍手、操車掛など
駅構内の仕事をしてきた。

昭和32年、
からだを悪くして退職するまで、
勤務は館山駅。




CIMG1593一方の島田さんは明治40年生まれ、
入省したのは小原さんより
2年遅く大正12年12月、
構内係で昭和38年定年退職まで
勤務は館山駅。








駅0小原:大正12年の関東大震災で館山駅は倒壊した。震災前の駅舎は瓦屋根の平屋で入って右側が待合室、左側が切符売り場と手荷物小荷物を扱う所があった。






入った当時は駅夫って言いましたが、その後駅手って名前が変わった。「夫」っていうのがいけないっていうので、「手」にしたんだろうね。私が入った時は鉄道院だったですね。

島田:私が入った頃は「駅手」だったなあ。そして鉄道省だった。

小原:荷扱夫が半纏着てたの覚えてる。貨物列車の荷を扱う。
だいたい丸通がやるんだけど、荷扱夫、線路工夫も半纏着てたなあ。

島田:背中に機関車の動輪が書いてあった。

小原:震災で駅が潰れるのは見なかった。アケで駅の西に官舎があって
寝ていた。地震が起きても体がゴロゴロして起きて戸なんか開けられない。
静まって戸を開けて見たら潰れちゃってた。官舎は潰れなかったけど、
壁は落ちちゃった。海岸へ行くところの線路見たら地が割れちゃって、
枕木と線路がハシゴみたいになってた。
ナルセの筋向いに久太楼っていう旅館があって、そっから火事が出たけど、
駅前は火事は出なかった。大珍宝ではいつでも七輪がカンカンしてたけど
地震だって言ったら、揺れが大きかったから、七輪真っ逆さまになって
火が消えちゃった。それで火事は出なかった。