CIMG1590戦後の駅前マーケットについて、
下妻書店の店主が語っています。

終戦直後の館山駅前には、
「闇市」みたいなものがあった。
昭和21年の3,4月頃、駅前の
自転車置き場の所にできた戦災者マーケットは
1年もすると消えてしまったが
、前後して今度は今の自動車区のある所にでき、
それも取り壊しになると、日東バスの所に移った。
しもづま書店の下妻厚吉さんも、
そのマーケットに店を出していた一人。

マーケットは露天商、テキヤが取り仕切っていて、店を出すためには
テキヤの親分さんに挨拶に行かねばならなかった。

私がマーケットに店を出すときは、W氏って人に挨拶に行った。
マーケットでは、テキヤの隠語で「コチャモ」って呼んでたオモチャ売ってた。
「タカマチ」っていうんだけど祭りがあると出かけてっては売ってた。
マーケットだけで商売してる人もいましたけどね。かなりの店があったね。
いまから思えば香港のスラム街みたいなもんだけど、館山病院のところの
豚舎亭もいた、黒恵屋の人はスルメイカか何か売ってた、海岸に舞鶴って飲み屋
あんでしょう、あそこの親父もいた。確か俺のマーケットの隣だったなあ。
30軒か40軒くらいあったと思ったけど。

日東バスの所に第2のマーケット街をつくった。新しくできたと言っても、
今から見れば豚小屋みたいなもんじゃあない。だけど、そこに住んでた人もいた。
自分で手をかけて。。。戦後、街の商店が遍塞してたわけよね。新興マーケットの
連中はバイタリティーがあるから、闇なんか持ってきて売ってたから繁盛してたわけよ。
いろんな闇物資かき集めてきちゃあ売ってたから。けど、街の方の商店の方が底力が
あるからだんだん復興してきた。それに比例してこっちのほうがひっそりしてきて、
昭和24,25年頃かな、自然消滅しちゃった。繫盛というほどのこともなかったけど、
何とかみんな生活できた。

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