CIMG1583今回は数年前まではあった
松田屋さんの松井正一さん。
駅開業時は小学2年だった。
明治40年生まれ。

南町の安藤病院の所にうちの店があった。
駅ができると同時に今の場所に支店を出したんですよ。
本、文具、夏場だけ土産物やってた。
あの頃は商売が初歩の頃でねえ。みんなよろずやみたいにやってたけど。ラジオを入れたのが大正13年、古かったですねえ。駅前の清風楼に泊まってたラジオの技師が家へやってくれって言ってきて、試験放送のじぶんだなあ、ラッパのラジオでね。いろんな人が聞きに来た。
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うらに馬小屋があって馬が糞したやつを掃除して歩いたりしたんだけどね。舗装じゃなかったし、雨が降ればぬかる道だった。
ーーー松田屋さんは夏だけ喫茶店をやっていた。アイスクリームが看板だったとか。
大正の地震以降でしょうねえ。うちのおふくろが凝り屋だったから
神田の今川小路に風月堂があった。そっからコック呼んでね。
その時分の館山の避暑客っていうのは中流以上の人が多かったから
こっちには旨いもんがないっていうんで。
長須賀の明治乳業の工場があり、あそこまで生クリーム取りに行った。ちゃんと玉子入れて、バニラとかチョコとかエッセンス入れて、昔のアイスクリームの方がうまかった。
私は楽器の方を主にやってた。八幡の祭りの時なんか、大正琴がよく売れた。
岩波文庫は知識層や学生が来る夏だけ置いていた。
改造文庫、円本っていってたけど、これがよく売れた。

昭和5年頃からレコードも扱ってた。鏡軒なんか蓄音機置いたから。
ポータブル蓄音機ってコロンビアから35円で、かなり売ったですね。
うれたレコード・・・「東京行進曲」これがかなり流行った。
「君恋し」「酒は涙かため息か」「影を慕いて」などね。

戦時中、高梨肉屋<今の補聴器屋さんのある建物>の2階が物品交換所でね。
「森の石松」のレコード一枚持っててね、それ出して酒一升ととっかえてきたら
飲んでみたら水っぽいやつでさ、アハハ。いろんなことがあったよね。