CIMG1581昭和40年代のタムタム館山誌の
インタビュー記事「駅前回顧録」の
トップを飾るのは、安房屋のおじいさん、
佐久間徳松さん。明治25年生まれ。

駅ができる前は、
この辺に店なんか一軒もなかった。
ここいらは漁師の家が何軒かあった。
その頃は魚が捕れたからね。
魚は買って食べるんじゃなく、
もらって食べるもんだった。



CIMG1580 - コピー (2)ーーーお菓子の安房屋は戦前、徳松さんが印刷屋もやっていた。ここに越してきたのは大正8年前後、駅前の住人の中では最長老。
六軒町や銀座通りは以前は田園地帯だった。丸通を作ろうというので田園を潰した。その田園の真中に弁天様があって、丸通で潰した。そいで丸通の社長になると死んじゃう。また変わると死んじゃう。とうとう社長のなり手がいなくなっちゃって、仕方なく弁天様をもう一回祀った。いま宮城の頼忠か、あそこに弁天様祀ってある。
ーーーこの弁天様、頼忠寺へ移される前は日東交通の前にある
黄色いビルの建っている所にあった。頼忠寺へ移したのが戦時中。二転三転した弁天様なのである。駅前にあったときは、毎月25日に縁日が開かれていた。それから観音様が日東交通社屋の所にあった。これも終戦後、中村公園の所に移され、戦災者記念堂と名を変えている。