城山景色2大正の関東大震災前までは、城山からの景色には館山湾に浮かぶ鷹の島<手前>と沖に霞む沖ノ島があります。佐々木信綱が「同胞の島」と碑に読んでいます。桟橋からは一日に数便の定期船が島に通っていたと聞きます。
そして大正の関東大震災が起こります。この地震でこれら島との間の土地が隆起して浅瀬になります。宮城地区の人はここを利用して宮城海苔の養殖を始めました。青山学院の水泳部の合宿所も赤山付近の小学校跡地にありました。鷹の島
さて、浅瀬を埋め立てして航空隊基地が昭和初期に開所しますが海が遠くなった青学は撤退します。埋め立てにより鷹の島陸地に組み込まれて島ではなくなりましたが、沖ノ島は砂地で繋がりました。