どうする?

「ピーヒョロー、ピーヒョロー」

105遠くでトンビが鳴いている。波の音が近く感じる。舟は鷹の島にある造船所の浜に打ち上げられていた。ここは、館山航空隊水上班滑走台跡であり、鷹の島の造船所の敷地内にある人工の浜だ。あのとき、ここから米軍占領軍本隊が上陸して来た場所だ。凪は館山港の家影からその様子を見ていたことを昨日のように思い出していた。いえいえ、ほんとに昨日のことだったんです。

あの戦争は何だったんだろう。昭和は組織の時代、平成は個の時代、そして令和は共生の時代と言われる。個を認めつつも共に協力して生きようという時代。戦争を見てきた凪と純子の役割をこの時代が求めているのかもしれない。人生には無駄なことはひとつもない。あの体験さえも、凪の生きる方向性を指すためのパーツとなっている。純子の生きるベクトルはいろいろな可能性を秘めている。

打ち上げられた浜には、戦争は感じられなかった。しかし凪にとっては、米軍の館山上陸は数日前の出来事だった。ここは凪のいたもとの時代のようだ。目を開けた凪は明るい日差しの中、純子の姿を探した。純子は小舟に横たわっていた。純子も無事にタイムスリップできたようだ。凪は純子に話しかけた。

「純子さん、大丈夫?」

「ん?んんん」

目を覚ました純子が少し微笑んだ。どうやら無事に純子と一緒に帰って来れたようだ。時空のひずみを超えてきた純子も、あの眩暈には驚いたようだ。周りの様子を見て、純子も様子が違うことに気が付いたようだ。

「ここは造船所の私有地だよ。この舟でどこから来たの?」

突然作業服の男から声をかけられた。海辺の滑走斜面に打ち上げられた舟を見つけて、何事かと寄ってきてくれたようだ。

「あ、すいません。舟が流されてここに打ち上げられたようなんです」

「それは災難だったね。でも無事に打ち上げられてよかったね」

「ここは?」

「千葉県館山市の造船所の敷地の浜だよ。どこから流されてきたの?」

「多分、布良の浜だったと思います」

「布良?よく湾内に流れてきたね、普通なら沖へ沖へ流されちゃうんだよ。無事でよかったなあ」

「ありがとうございます」

「流されていたので確認したいのですが、カレンダーで言うと、きょうは何年の何月ですか?」

男は手帳を見ながら言った。

「令和元年の9月だよ。おかしなことを言うなあ、大丈夫かい?」

「あ、大丈夫です。ありがとうございました」

造船所の男は、凪たちの乗ってきた舟を珍しそうに見ていた。

「このカッターみたいな舟は珍しいね。子供の頃はよく見たけど、いまこんな舟は見たことないな」

「この舟差し上げますので、処分してもらえますか?」


「本当?おれはこういう船が大好きなんだよ。それで、造船所に勤めているんだけどね。ありがとう、もらっちゃっていいの?」

「はい、僕らにはもう必要なくなりましたから、かえって助かります」

そう言って、凪は純子の手を取って舟を出た。二人とも不思議と衣服が濡れていなかった。造船所の男に礼を言って、造船所の門を出た。そこは鷹の島で、航空隊基地と港の海に挟まれて、道路が街へと続いている。凪たちが打ち上げられた場所は、米軍が上陸して来たあの浜だったのだ。

「純子さん、ここが70年後の館山です。平和な時代になっています」

「凪さん、わたしだんだん不安になってきました」

「大丈夫です。僕があなたを守ります。僕を信じて」

初めて感じる70年後の渚の空気、純子はゆっくり深呼吸をした。甘い潮風が胸にいっぱい入ってくる。そして、胸にあった辛かった日々のくすんだ呼気が少しずつ少しずつ出ていくような爽やかな気持ちになった。張りつめていた眉間の張りが解けて、柔らかな表情が純子に戻ってきた。

「海の色が・・・・・きれい」

純子は波打ち際で海に手を浸した。そして、子供のように輝いた目を凪の方に向けてきた。「来てよかった」と、その口元は呟いていた。十七歳と言えば、この時代では青春を謳歌している高校生だと凪は気づいた。凪は、純子を大事に思って守っていくんだと心に決めていた。ふと、振り向くと鷹の島の弁財天が見えた。平安時代に祀られたと伝えられ、歴史的には「高の島」だが、いまは「鷹の島」で通用している。純子の伯父が漁師で外洋に出るときは、この弁財天で参拝をしてから出かける。船神さまとして信仰していたのだ。純子はそれを思い出し、この時代での自分の新しい船出だと思い、凪に話しかけた。戦時中は「航空神社」として特攻に出る人たちがお参りに来ていた。



1330838704_2118107「凪さん、弁天様でお参りしてもいいですか?」

「うん、ぼくも感謝してお参りしようかな」

ふたりは、数段の階段を上り、小さいけれども港を見渡せる小高い境内に立った。弁財天の祠に頭を下げた。境内には山に沿って梅の木が並んで植えられ、中央の広場には早咲きの桜の木が植えられていた。

「あれ、ここに梅と桜の木があったかなあ?」

「おそらく、あの時代にはなかったと思うよ。毎年2月ころには、紅梅と白梅の咲き乱れる中で、桃色の河津桜が誇らしげに咲くんだよ」

「へえ、見て見たいなあ。そういえば、お花のことなんてしばらく考えたこともなかったわ。あの時はお花づくりが禁止されていたから・・・」

「うん、来年は一緒に見に来ようね。春にはソメイヨシノもきれいだし、つつじも咲くから、城山公園もいいね」

凪は港の向こうに見える城山を指さした。

「あれ?城山の頂上のお城は・・なに?」

「里見の館山城を模した博物館だよ」

「素敵ですね。私が見ていたのは、城山頂上に設置された防空砲台だったの」

「ああ、あのとき頂上には敵機を攻撃する防空高角砲台があったのかあ。ぼくはその中腹あたりで純子さんのお兄さんと洞穴の中でお話をしていましたよ」

「まあ、そうだったんですか。兄と・・・」

「ぼくはあなたを大事にします。僕を信じてついてきて下さい」

「はい」