ハイゲート墓地


 
凪がハムステッドを留学先に選んだのは、ハムステッドの街がロンドンの中でも最も綺麗で落ち着いた街で、英語研修のできる語学学校があったからだ。この学校で紹介されたホームステイ先がムーア家だったことも、凪には恵まれた環境だった。

 ある日、ボビーが凪を連れていきたいところがあると誘ってくれた。そこは、ムーア家から車で20分ほどの距離にあるハイゲート墓地だった。ビクトリア時代に人口が増加したため、墓地不足を解決するために、市民が散策できるガーデンを兼用した8つのセメタリ―がロンドン市内に作られたが、ここは1839年につくられたその3番目の墓地である。1970年に起こった吸血鬼騒動でも名前が知られている。1969年の12月ころから、「墓地で灰色の物体を見た」「背の高い帽子の男を見た」「白い服の女性を見た」という情報が寄せられ、バンパイアハンターを自称するショーン・マンチェスター氏が、「1970年3月13日の金曜日に吸血鬼退治をする」と宣言したことから騒ぎとなった事件があった。そのときは棺が納められた建物の扉を開けることができずに未遂に終わったが、彼はその後13年間吸血鬼を追い続けて、ついに杭で刺し殺したと著書には書いてある。オカルト好きの都市伝説としてこの墓地は名を知られている。

日本でも偉人の墓を訪ねるのは観光資源となっているが、英国ではここをアトラクションと捉えているところが面白い。ボビーは大きなモニュメントの前でこう説明してくれた。


marks「この墓はカール・マルクスの墓だよ。資本論を書いているので、凪も知っているだろう?」

「ぼくはあまり詳しくはないけど、マルクスの名前だけは知っているよ」
「では、ここはどうだい?」

ボビーは古い石造りの建物を指さしていた。
建物の中は薄暗く、入場料の必要な建物だった。見るからに不気味である。ボビーに背中を押されて中へ進むと、洞窟のような小部屋が並んでいて、蓋の空いた棺のようなものが見えた。「昔、この墓地で吸血鬼狩りが行われたんだ。ひとつずつ棺を壊して、棺の中に吸血鬼が隠れていないかと調べたので、棺が壊れているんだよ」
hygate凪は不気味な空気を感じて身震いをした。ボビーはさらに続ける。

「その時は吸血鬼は見つからなかったらしいけど、ほら、そこの棺の中に、吸血鬼がいまも隠れているかもしれんよ」

凪はボビーの指さす暗い部屋の奥の棺を振り返ると、中からドラキュラが飛び出てくるような恐怖にかられ、足早にその場を離れた。ボビーは凪の後ろから吸血鬼を真似てか「オー、オー!」という声をあげながら、凪を怖がらせていた。凪は一気に建物の外まで走り出てきた。外の空気は建物の中の澱んだ空気と違って澄んでいて、安心できて気持ちがいいと感じた。ここは洞穴のような暗さで、怪しげな空気で覆われている。1970年代のオカルトブーム映画の舞台としては最適なロケーションだった。


ボビーは脅かせたことを謝り、帰りに近くのパブでボリュームたっぷりのローストビーフをご馳走してくれた。その時ボビーは有名な行進曲「威風堂々」の作曲で知られるエドワード・エルガー卿の話をしてくれた。この曲が好きだった凪には、エルガーが暮らしてきた同じ街に自分が居ることが誇らしかった。ボビーもこのハムステッドの街が自慢だったのだろう。凪にはそんな街のことを知って欲しいと誘ってくれたんだと理解して、ボビーに感謝の気持ちを伝えた。この時からボビーと凪は親子のような関係を築けたのかもしれない。

週末の陶芸教室の日にはボビーの助手として、通ってくる子供たちのお世話をするようになった。部屋の中に簡易的な陶芸の窯が用意されていて、子供たちが皿やカップの形を作ると、この円形の金属の窯のふたを開けて中に並べて入れる。数日して子供たちは陶器の出来上がりを楽しみにやってくる。ボビーは出来上がった子供たちの作品を、ひとつずつ良いところと、こうしたほうがいいよという助言を与えながら、ひとりずつ子供たちの努力と作品を誉める。凪はこのときのボビーの姿が好きで、日本にいる父親の姿と重ねてみる思いがした。