隅田川に架かる永代橋は、中学3年から十数年門前仲町の富岡に住んでいたので一番渡った橋だし、地下を通る地下鉄東西線は通学で毎日利用した線です。永代橋には都電の線路が敷かれていて、門仲から日曜日には日本橋のデパートまで都電で永代橋を渡っていました。あれも70年代でした。
永代橋by.  sionecafe

WIKIによると、
 「永代橋」という名称は、架橋された江戸対岸に元あった中洲永代島(現在の江東区富岡。ここには既に永代寺が創建されている)にちなむ。江戸幕府が末永く代々続くようにという後から附けられた慶賀名という俗説もある。

1702年、12月の赤穂浪士の両国の吉良屋敷の討ち入りのあと泉岳寺に向かう時に永代橋を渡った。
明治維新を迎える頃には老朽化していたため、代替となる橋を下流に新たに作る計画が立案された。1897年明治30年)、道路橋としては日本初の鉄橋として鋼鉄製のトラス橋が、東京市側は日本橋川を挟んで対岸の現在の場所に再架橋され、それまでの旧い永代橋は廃止された。頑丈な構造から、1904年(明治37年)には東京市街鉄道(後の東京都電)による路面電車も敷設された(1972年昭和47年)11月に廃止)。

大正期までに隅田川には5つの鉄橋が架橋されていたが、その多くが橋底の基部や橋板に木材を使用していた。このため、大正12年の関東大震災では永代橋、厩橋吾妻橋が炎上し、巻き込まれた避難民は多数が焼死、あるいは溺死した。両国橋新大橋も木材を使用した構造だったが、焼失を免れて避難路として機能した。

1926年(大正15年)に震災復興事業により隅田川の9橋の再架橋が決まり、現在の橋梁が再架橋された。「震災復興事業の華」と謳われた清洲橋に対して、「帝都東京の門」と言われたこの橋はドイツの ライン川に架かっていたルーデンドルフ鉄道橋(レマゲン鉄橋)をモデルにし、現存最古のタイドアーチ橋かつ日本で最初に径間長100 mを超えた橋でもある。2007年(平成19年)6月18日、永代橋は都道府県の道路橋として初めて同じ隅田川に架かる勝鬨橋清洲橋と共に国の重要文化財(建造物)に指定された。