館山を走る

留学した時は同じ時空間の中に家族がいて、飛行機と電車や車を使って十数時間を介せ

ば家族とも会えたのだが、今度は時空を超えて自分が居る。どうあがいても元の時代には戻れないと思うと家族の懐かしい顔が思い浮かんでくる。いま凪は独りぼっちなのだ。

少し落ち着いた凪は、赤山地下壕で聞いた話を思い返していた。「米艦ミズーリが東京湾を目指している」「米軍が館山に上陸してくる」「最後まで戦い抜く」、戦争なのか、この状況からするといま居るこの空間は日本が終戦を迎える頃に違いない。すると、凪のいた空間から70数年前ということになる。この年には、まだ両親は生まれていない。10代の祖父が家にいるのかもしれない。明日、とにかく家に行ってみようと思った。自分を証明できるものを何も持たない凪が思いつくことは少なかった。普通なら、こういうことはチャンスと捉えていろいろ経験するのがいいのだろうが、そんな余裕はないのだ。人生は考える人間にとっては喜劇だが、感じる人間にとっては悲劇であるという言葉が何かの本に書かれていたが、凪はその中間にあるようだ。実際にこの時代に投げ込まれた突然性は、何も考えず何も感じないままで、本能のまま行動せざるを得ない状況をつくり出している。何より凪は、誰かと会話したい欲求から家を目指すことにした。

 

maxresdefault掩体壕の中は、8月ということで蒸し暑かった。風通しが悪く澱んだ空気とゼロ戦の油のにおいが体に染みついてきた。朝早く目を覚ましたので、さっそく家に向かった。凪の実家は城山の下の仲町にあった。家には10代の祖父がいるかもしれないが、それ以外のことは想像もできなかった。令和の時代とはだいぶ違う街並みだ。道路も舗装されていない砂利道だ。宮城から赤山の裏を抜け城山まで走った。城山を超えて、大きな銀杏の木がある「おちかんさま」という広場まで来て息をついた。ここは平成の時代には上仲公園となっている。そこを左折して、凪は家の前までやってきた。

木造の古い建物が建っている。表札に池田とあるので間違いはないのだろう。裏のガラス戸が開いて、面影がある若い祖父が出てきた。タオルを濡らして体を拭いている。年の変わらない祖父に何を話しかければいいのだろう。でも、他人ではないんだと割り切って、思い切り話しかけてみた。

「おはようございます」

「おはよう。あれ?どなただっけ」

「凪といいます。親戚を訪ねてきましたが見つからなくて」

「それは大変だね。暑いから水を一杯飲んでいかないか」

「ありがとうございます。いただきます」

「よう、入れよ」

「おじゃまします」

凪は、この時代の祖父に導かれて祖父の家に入った。ちゃぶ台にコップで水を渡された。

「親戚の人って何て人なの?」

「池田といいます」

「え、うちも池田だよ。でも、うちじゃないよな」

「ど、どうかなあ。。。」

凪は嘘のつけない性格なので、答えに戸惑った。

「ところで、池田さんは結婚されてないんですか?」

「ああ、まだしてないよ」

ということは、まだ祖母とは結婚していないということだ。

「こんな時代だからなあ」

「こんな時代?」

「去年、この戦争でおやじが亡くなってるんだ」

「そうだったんですか」

と、仏壇に飾られた写真をみて、凪は驚いた。あの老人だ。間違いなく羽田空港でバスの中であった、あごひげのある、あの不思議な老人だった。あの老人は祖父の父親、つまり凪にとってはひい爺さん、曾祖父にあたる人である。祖父の話だと、この戦争で亡くなっているということだった。この写真の凪の曾祖父が、本当にあの時の老人ならば、あれは幽霊だったのだろうか。ここで長居をしたい凪だったが、自分の居場所はここにはなく、コップの水を飲み干した。そしてお礼を言って家を出た。凪の実家は大正期からの旅館だが、子供の頃凪が祖父から聞いた話ではゼロ戦が屋根に墜落したということなので、戦争がいま身近にあると感じる瞬間だった。見たところ、まだ屋根は壊れていないようだった。

ダウンロード (1)行くあてを失った凪は、幼いころからの遊び場だった城山に向かった。城山には上る道がふたてに分かれていて、左手から上るとすぐに門があり上方に幼稚園があった。凪の時代には孔雀園になっていたため、この時代の様子を眺めながら坂道を上って行った。すると、坂下の背後から声をかけられた。





「よう、もうすぐ米軍が館山に上陸してくるらしいぞ。こんなところでふらふらしてないで家に帰れ」

どこかで見たことのある顔だと思ったら、同級生の石井の祖父だ。石井の家で聞いたことのある声だったが、10代で若い石井の祖父だった。

「でも、帰る家がないんです」

「え、戦争で家を焼かれたのか?まあいい、俺と一緒に来い」

凪は行くあてもないので、石井の祖父と思われる若者と一緒に城山を上って行った。

幼稚園を右手に見て、さらに頂上を目指して上る坂道の曲がり角で二人の足が止まった。

「ここだよ」

石井の若い祖父は、そこから左に道を外れていくと、横道を2メートルほど上がり、地面の板を開けて穴の中へ入っていった。

「おう、入れよ。遠慮はいらん」

凪もそれに続いて穴に入った。穴の側壁は城山の上る道に面していて、いくつかの小さな穴が開けられている。山に上って来る人を確認できる。この穴は、米軍が上陸してくるという噂を聞いた石井の祖父が隠れる場所として掘ったものだった。畳一畳分の広さがあり、横にもなれて比較的快適なスペースだった。米軍がいつ上陸してくるか分からないというので、この日は石井の祖父と行動を共にして、ここで一晩を過ごすことにした。石井の祖父はろうそくを灯し、水筒の水を凪に手渡した。

「飲めよ」

「ありがとうございます」

「お前、どこから来たんだ?」

「自分でもよく分からないんです」

「覚えてないのか?かわいそうに、辛い目にあったんだな」

石井の祖父は、凪のことを自分なりに理解してくれたようだ。

「じゃあ、帰る家も行く場所もないのか?」

「はい」

「記憶を失うほど、怖かったんだな。戦争とはそういうものだ」

「あ、はい」

「おまえさあ、行くところもないんだったら、街中の木村屋旅館で、しばらく働かないか?たしか人手が足りないって言ってたよ」

「本当ですか?紹介してもらえるんですか」

「ああ、俺の妹が木村屋旅館で働いているから、あした訪ねてみろよ」

「はい、助かります。ありがとうございます」

石井の祖父は凪の居場所も心配してくれた。行く当てのない凪は、そうしようと思った。


     〈 つづく 〉