夢の中の女性

ロンドンの街を歩いていると、凪は父親の持っていたCDのビートルズ、ローリングストーンズ、そしてクイーンの曲が流れている気がしていた。
1116この街にはやっぱりよく似合う。古くからの街並みや、そこに流れる空気はビートルズのLet it be、ローリングストーンズのサディスファクション、そしてハムステッドではクイーンのボヘミアンラプソディ。凪は最近の曲が嫌いな訳ではないのだが、なぜか父から借りて聞いていたCDの曲のイメージが、実際に立っているロンドンの地に流れる空気感によくマッチしていると思えた。そして、いつも聞いているエジソンライトハウスのLove Growsは歌詞も覚えてしまって、最近では鼻歌で歌っていることもある。

「涼、これ聞いてみて」

「なに?へえ、明るくていい曲じゃない。でも、詞にもあるけどローズマリーはどこに行っちゃったんだろうね」

顔を見合わせて、ふたりは大笑いした。

1970年の曲で、イギリス出身のエジソンライトハウスというバンドの曲なんだ」

「ええ?本当?よく知ってるねえ」

「親父の持ってたCDなんだよ。ロンドンぽいでしょ?」

「そうだね。このころの曲っていいよね。ウォーターボーイズで使われたルベッツのシュガーベイビーラブとかシルヴィーバルタンのあなたのとりこも1970年代でしょ。きっと探せば、このころの曲はいい曲がいっぱいあるよね。実は俺もこのころの曲が好きで、ビートルズのLet it beやミッシェルポルナレフのシェリーに口づけは好きなんだよね」

「本当?全部親父のCDにある曲だよ」

「俺たちの共通点が分かったというところで、そろそろ帰ろうか」

ティールームを出たふたりは霧の中を、地下鉄の駅に向かった。

 

1118ハムステッドへ帰る地下鉄ノーザン線の中で、日系の顔立ちのお年寄りの御婦人が対面に座っていた。凪が気が付いてその人を見ると、優しい笑顔でこちらを見ている。凪は少し照れながら軽く会釈をした。ハムステッドで凪と涼が降りると、婦人は凪が見えなくなるまで笑顔で軽く右手を振っていた。異国の地にいる凪だが、何故かこころが安らぎ、何もかも不安がなくなる一瞬だった。ハムステッド駅のリフトに乗っているときに思い出した。凪が2歳の時に亡くなった父方の祖母の写真が自宅の仏壇にあったけど、さっきの御婦人が祖母にそっくりだった。いや、祖母本人に思えて仕方がない。そんなことはあるわけないと思いつつ、ハムステッドの通りを歩いていた。このとき、凪のホームシックはすっかり消えていた。その夜、凪は夢を見た。

ひとりで波打ち際でタカラガイを拾っている。凪が顔を上げると、そこには美しい女性が立っていた。凪は心惹かれてたちまち恋に落ちた。「こんにちは」と凪が話しかけると、女性は何も言わずに微笑んだ。そして、海の中へ入っていく。「どこへ行くの?待って・・・」凪は女性を追いかけて海の中へ入っていく。女性には逃げ水のように追いつくことができない。「待って。君は誰?」・・・凪はそこで目が覚めた。「あの女性は誰だったのだろう。胸がどきどきした。また会いたい」そう思った凪は目を閉じたが、もう眠ることはできなかった。その愛くるしい笑顔ははっきりと凪の記憶に刻まれた。

2日後、また夢の中にあの女性が現れた。凪はまた声をかけた。「また会えたね。君の名前は?」女性の唇は動いているが、凪には声が聞こえてこない。そこで目が覚めた。目覚めた凪は夢のことをはっきりと覚えていた。女性の唇が「じゅんこ」と動いていたと思い返していた。しかし、夢に出てくるあの場所はどこなんだろう、見たことのある海だが、どうも浜の様子が違うと、凪は目を閉じて夢を思い起こしていた。凪は夢の中に2度も現れた女性に夢中になっていた。その容姿は凪が理想とする女性だった。

そしてその3日後、再び夢の中にあの女性「じゅんこ」が現れた。見覚えのない街中に彼女は立っていた。凪を見つけると、ゆっくりと歩み寄ってきた。そして、凪の目を見つめて呟いた。「早く迎えに来て」…そこで目が覚めた。彼女はどこかで凪を待っているということなのだろうか。こんなにもはっきりと、すべてを覚えている夢は初めてだった。何か夢を見ても、起きるとどんな夢かを思い出せないのだが、この夢は違っていた。すべてを思い出すことができる。そして、あの忘れられない「じゅんこ」という女性の顔も所作もすべてが明確だった。凪の記憶の中には、会ったこともない夢の中の女性像がはっきりと刻み込まれてしまったようだ。そして、日本に帰れば会うことができる家族、夢の中でしか逢ったことのない女性、どうしても逢いたい衝動に駆られている凪だった。

日曜日、陶芸スクールの生徒たちが帰った後、スーザンは日本の話が聞きたいと凪を呼んだ。午後の4時ころだけど、スーザンは丁度ティータイムだと言い、紅茶を入れてくれた。ちなみに英国では午後4時のティータイムが習慣となっている。日本でおやつと言えば午後3時なのだが、アフタヌーンティーの本場イギリスでは午後4時なのである。スーザンに聞くと、イギリスでは夕食が夜8時から9時と遅いため、午後4時が昼と夕食の合間となる時間だという。図書館で調べると、午後4時にティータイムを取る英国の習慣は1860年から1870年頃のビクトリア朝時代にできたものらしい。アールグレイの紅茶を注ぎながら、スーザンは凪の両親について聞いてきた。

「凪の両親は留学について反対はしなかった?」

「ええ、父はぼくの年代には冒険は必要だと賛成してくれました。母は少し心配してたけど、母も中学から親元を離れて東京で暮らしていたので、笑顔で送り出してくれました」

「凪はホームシックになっていない?」

「はい、でも母は今頃寂しがっていると思います」

「ご両親はどんなお仕事を?」

「父は歯科医師です。母は専業主婦です」

「凪は歯科医師にならないの?」

「はい、父からは自分がやりたいことを見つけて、自分らしく生きなさいと言われているので、ぼくは英語を身につけて空港で働きたいと思っています」

「そう、それは素晴らしいわね。凪の夢が叶うといいわね。うちは娘二人だから、それぞれ夢もあったけど、姉は大学で知り合った人と結婚したし、妹はIT関係の会社にいたんだけど、結婚してアメリカにいるの」

「ボビーはさみしくないですか?」

「そうねえ、娘たちはたまに帰ってきて顔を見せてくれるのよ。でもボビーは息子が欲しかったんだと思うのよ。学生時代はフットボール〈日本ではサッカー〉をしていたので、息子ができたら一緒にボールを蹴りたいと言っていたし、息子と一緒にアーセナルやイングランド代表チームの応援に行くのが夢だったんだって。でもふたりとも娘だったし、フットボールにはあまり興味がなかったので、そういう意味ではさみしかったかもしれないわね」

「ぼくも高校の時はサッカーをやっていたし、ボビーと応援に行けるといいなあ」

「ほんと?それは喜ぶわ。ボビーに話してあげて!」

「はい、喜んで」

スーザンとも気軽に会話ができるようになり、凪の英語も自信が持てるようになってきた。

1115その夜、ボビーが帰宅すると、待っていたように凪はフットボールの話を持ち掛けた。ボビーは喜んで1966年にイングランドでワールドカップがあった話をしてくれた。ここハムステッドは、当時イングランドを代表するスタジアムだったウェンブリースタジアムがそう遠くない距離にあり、決勝のイングランド対西ドイツの試合を父親と観戦したことを凪に話してくれた。延長戦を制したのは地元イングランドだった。この時ハットトリックを達成したフォワードのジョフ・ハーストの決勝点は現在でもゴールバーにはじかれてノーゴールを主張する人もいるが、ボビーはあれは間違いなくゴールだと熱く語っていた。

このときイングランドのゴールを死守したゴードン・バンクス、ジャッキーとボビーのチャールトン兄弟、代表メンバーはボビーにとってのヒーローに違いない。そして何よりも1970年のメキシコ大会でもキャプテンを務めたボビーと同姓同名のボビー・ムーアの存在だった。ボビーは、熱く熱くボビー・ムーアの話をしてくれた。あたかも自分がワールドカップに出場したかのように、臨場感たっぷりに凪への話は続いた。凪がいることで、ムーア家の夜の会話は賑やかになっていった。この時の会話が、凪の英語力の上達につながっていたのは間違いない。学生時代に読んだサッカーの本に出てきた天才ドリブラー、ジョージ・ベストはマンチェスターユナイテッドのスター選手だったことを思い出した。

bes「ボビー、ジョージ・ベストって知ってる?」

「おお、ベストか、よく知ってるよ。赤い悪魔と呼ばれるマンチェスターユナイテッドの人気選手だよ」

「ベストは最高のドリブラーなのに、どうしてイングランド代表に入らなかったの?」

「ああ、ベストは英国なんだが、イングランドではなく北アイルランドの出身だから北アイルランド代表なんだ。同じマンUのデニス・ローもいい選手だが、残念ながらスコットランド代表なんだよ」

それを聞いて、なぜイングランド代表にベストがいないのかという長年の疑問が解けた凪だった。イギリスは、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランド、それぞれが独立して代表チームを持っているのだ。水野涼が話していたグレートブリテン及び北アイルランド連合王国という国名が凪の記憶に蘇っていた。

 

凪の留学はあっという間の出来事だった。逢いたくてもすぐには会えない時間と距離が、家族と凪を隔てていた。凪はこれから日本の家に帰るということに、大きな安心感を抱いていた。これからも凪は人生の冒険を続けていくことになるのだが、辛いことがあっても楽しいことがあっても、自分の帰る家があるということが、次の冒険につながっていくということを強く感じていた。冒険に出たときも、元気になって帰って行く。帰るために冒険をしているんだということに気づいていた。子供はいつか親の元を離れていく。昭和の頃は3世代が同じ家の中で住み、親と子はいつまでも離れずにいた。平成の頃は個を尊重するがあまり、家族がそれぞれ離れる時代になった。令和の時代は個を尊重しつつも「共生の時代」と言われるが、いつの時代も親離れ子離れというところに旅立ちの原点がある。

       〈 つづく 〉