門前仲町に戻ってきた凪とミユキは、深川不動尊の参道のあげまんを食べながら心を落ち着かせていた。
あげまんの隣の煎餅屋のごまたっぷりのお煎餅も凪の好物だった。
1450238480_148830「ミユキちゃん、大丈夫?」
「うん、なんかショックだったなあ・・・、
 んん? このお饅頭の天ぷら、おいしいねえ」
「ごませんべいもあるでよ。買ってこようか?」
「ああ? あのコマーシャルは『ハヤシもあるでよ』でしょ。
 おなかいっぱい、胸いっぱいよ。凪のおじいさんの気持ちも、
 竹下さんの気持ちも分かる気がする。竹下さんの家の事情も
 あるんだと思うけど、お嫁に行くのは辛かっただろうなあ」

「じいちゃんが、もし竹下さんにひとこと言っていれば
 何か変わったと思う?」
「弓道のライバル意識の方が強かったのかもしれないから、
 声はかけ辛かったのかなあ」
「ミユキちゃんは、じいちゃんと竹下さんの恋愛に期待しているのかなあ」
「うん。だって、だってだって・・・」
「女性という部分にも、もちろん惹かれる要素はあると思うけど。じいちゃんは言葉だけではなくて、弓で会話が成立する唯一の親友だと感じていたんだと思うんだ。だから、言葉も弓もすべて失ったような空虚感に襲われたんじゃないかと思うんだ」
「うん、いままで張りつめていたものが、急に空っぽになった喪失感って、どんなだろう?」
1374332414_69702「竹下さんも、自分を抑えて親の言うことを聞いたってことでしょ? 
今だったら、言えることもあるんじゃない」
「じいちゃんと竹下さんの時代は、まだ女性にはいろいろな縛りがあって、ああしたい、こうしたいっていう欲求や望みなんかも諦めなきゃいけないことも多かったのかもしれないね」
「私、凪のおじいさまとお話ししてみたかったなあ」

「来週館山に行くけど、その時に竹下さんに会いに行ってみるよ。それで、じいちゃんの手紙を渡してくる。宇野先生の話を聞いて、この手紙が大事なものなんだって分かったような気がする」
「わあ、私も行く。絶対行くよ。竹下さんにも会ってみたい」
「うん、じゃあさ、ミユキちゃん、弓を持っておいでよ。せっかくだから、じいちゃんの道場で弓をひいてみない」
「オッケー、楽しみだなあ」

miyu1年がかりで探し求めた竹下さんのいる施設を、ふたりで訪ねることにした。家に帰ると、テレビのニュースが、文豪の三島由紀夫氏が割腹自殺をしたとショッキングな出来事を伝えていた。1969年の五社監督の映画「人斬り」のなかで、勝新太郎演じる土佐の人斬り以蔵こと岡田以蔵とともに、腕の立つ薩摩の田中新兵衛を演じた三島由紀夫が割腹自殺の迫真の演技を魅せたのも記憶に新しい。映画から1年後に、本当に割腹自殺をすることを誰が予測できただろうか。映画「人斬り」は是非ご覧下さい。
misima
11月25日、自衛隊市ヶ谷駐屯地で文豪の三島由紀夫が割腹自殺したというニュースが駆け巡った。中学生の凪の目にも、三島が楯の会の制服を着て、玄関上のベランダから自衛隊員を前に、クーデターを求める演説をする画像が目に焼き付いて離れなかった。このベランダのある建物は、極東国際軍事裁判、いわゆる東京裁判が行われた建物でもあり、昭和12年6月に陸軍士官学校本部として建造され、一号館と言われていた。三島は総監室を占拠して楯の会のメンバーに総監を拘束させて、部屋の一番左の窓からバルコニーに出た。拡声器を使用しなかった三島の声が自衛隊員たちに届いたかどうかは分からないが、演説が終わると部屋に戻り、拘束された総監の目の前で割腹自殺に及んだという。三島が映画の中で見せた魅力的な男っぷりが蘇り、この光景は凪の中の記憶に深く刻み込まれた。