凪とミユキは、二合半坂の急坂を下りてきた。どこかで宮下家を聞こうと思ったが、ここには凪たちの秘密基地があるではないか。そう、永嶋と相撲を見るあの大野屋だ。ふたりは大野屋の暖簾をくぐった。
「あれ? 石田君、きょうはデート?」
「いえ、きょうは教えていただきたいことがあって来ました」
「あら、なに?」
「この辺で宮下さんていう家を知りませんか? 祖父の友人をさがしているんだけど」
「宮下さん、うちの斜め前だよ。それともう一軒、石田君も制服を作ったことのある洋服屋さんも宮下さん、この辺りではその2軒かなあ」
「ありがとうございます。じゃあ、行ってみようか?」
凪はミユキの方を見た。

1340811580_6455779「凪、私みたらし団子食べたい」
「そうだよ、せっかく来たんだから食べてってよ」
「じゃあ、みたらし団子といつものおいなりさん下さい」
「は~い」
昼が近かったので、ミユキも空腹だったのだろう。もしかすると、昼時に訪ねるのはどうかと気を配ったための言葉だったのかもしれない。ミユキは大人のように気配りができる娘だった。

この大野屋での食事は、ミユキが凪たちの秘密基地のメンバーになったということを意味する。
「私、お雑煮も食べていいかな?」
「あ、僕も食べたい。すいません、あとお雑煮ふたつお願いします」
いやいや、もうすっかり秘密基地のメンバーになったようだ。大野屋のお姉さんに聞いてみた。

「宮下さんの家に、弓道をする女性がいませんか?」
「洋服屋さんにはいないわね。うちの前の宮下さんの奥さんもやってないと思うけど、おばあさんは弓をやってたって聞いたことはあるよ」
「ほんとですか? あ、ちなみにおばあさんの名前は何ていうんですか?」
「えっとね、そうそう、宮下純子さんだったかな」
それを聞いたミユキは、凪と目を合わせて力強くうなづいた。
「間違いなさそうだね。あとは宮下さんがじいちゃんのことを知っているかどうかだね」
「大丈夫、間違いないと思うわ」
ふたりは季節外れのお雑煮を食べているが、ここのお餅は美味しいということを共有することができた。何かがあったときはきっとお雑煮を食べに来るだろうと思っていた。

大野屋で聞いた情報から宮下家の前に来た凪は、気合を入れて玄関のチャイムを鳴らした。そして「こんにちは」という凪の声が響いた。
「は~い」
玄関の扉がゆっくりと開けられ、白髪混じりの御婦人が顔を出した。
「どちらさまですか?」
「はじめまして、弓道でお世話になっている館山の石田の使いで来ました孫の凪といいます。宮下純子さんは御在宅でしょうか」
「母は留守ですけど、どうぞお上がりください」
「あ、ありがとうございます」
そこへ、大野屋を出たミユキが手土産の和菓子を抱えてやってきた。
「ごめんなさい、間に合ってよかったわ」
「お連れですか? お話を聞きたいので、どうぞ」
「おじゃまします」
部屋に通された凪とミユキは手土産を渡して座した。

「僕は館山の祖父の代理で来ました。祖父はこちらの純子さんとは弓道のライバルで親友だと話してくれました。実は去年の暮れに亡くなりまして、純子さん宛てに手紙を預かっているんです。それで訪ねてきました」
「そうですか、おじいさまは母の弓道のお友達でしたか。母は私たち姉妹を産んでからすぐに父を病気で亡くしました。それからは大好きな弓道から離れて、仕事をして私たちを育ててくれました。でも夜になると、弓をひいていた頃の写真を見て泣いていましたから、寂しかったんですね。弓への愛着もあったでしょうから」
「祖父も亡くなる前にお会いしたかったらしいのですが、連絡がつかなかったそうです。それが心残りで僕に手紙を託したんだと思います」

「今日は館山からですか?」
「いえ、僕は坂の上のG学園に通っているので東京です。祖父もそれで僕に頼んだんだと思います」
「あら、すぐそこですねえ」
「あ、純子さんがお留守でしたら、出直してきましょうか?」
「いえ、じつは母は館山にいるんですよ」
「ええ?本当ですか。でも、なぜ?」
「あ、ごめんなさい。母は高齢で足を骨折してから介護が必要になり、望んで館山の病院施設を選んだんですよ」
「それなら、祖父は直接お会いすることもできたんですね。残念です」
「そうですね。私も今お話を聞いて、母の輝いた時代に友人でいてくれた石田さんのいる館山を選んだのかなと納得できるところもあります」
ミユキはじっと会話を聞いていて、静かに涙を流していた。

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「祖父と一緒に弓を競い合っていた時が、楽しかったんでしょうねえ」

「はい、私は弓はやりませんが、母が弓懸〈ゆがけ〉を大事に持っているのを知っています。館山の施設にも、持って行っていると思います。母が元気なうちに弓をひかせてあげたかったと、いまも後悔しているんです」

「そうですか。僕は来月館山に行くので、純子さんとお会いして祖父の手紙をお渡しします。それから、祖父のことも聞いてみたいと思います」
「母も喜ぶと思います。ありがとう。きょうは話が聞けてよかったわ」

     〈続く〉