二人はこの道をまっすぐ進んで、白百合学園の見える通りまで出てきた。この辺りで一つ残っていた坂道が、この右手にある富士見坂だ。この坂を靖国神社に沿って市ヶ谷方面に下っていくと、三輪田学園の角を左折して靖国通りに上がっていく一口坂〈いもあらいざか〉と合流している。ここは祖父の竹下家を訪問した話からは少し外れるので、竹下という名前の家があるかどうかだけ調べたが、得られる情報はなかった。

1393472160_3038416「ミユキちゃん、まだ時間があるし、ちょっと図書館へ行ってみようか?」
「うん、幽霊坂って気になるもんね」
ふたりは日本武道館の前の靖国通りを、九段下の駅に向かって下って行った。目白通りとの交差点を右に曲がり、九段会館の前を通って、その並びにある千代田区役所の建物の上階にある千代田区図書館を目指した。凪の学校は千代田区で、この図書館をよく利用していて勝手が分かっているので、すぐに富士見の「幽霊坂」を調べることができた。

文久二年〈1862年〉の東都番町大絵図によると、三つの幽霊坂の辺りは牛込御門と田安門の小役人の密集地となっている。そして、幽霊坂の答えに導かれた。最初に見つけた幽霊坂と二番目に左手に見つけた幽霊坂の二つは、江戸時代に名付けられている。幽霊が出る坂なのではなく、目立たない場所にあるゴミ捨て場だったようだ。危険だったり不潔だったりするこの場所に、子供たちが近づかないように幽霊坂と呼んだらしい。三番目に見つけた幽霊坂は新しく、前出のようなゴミ捨て場ではなくて、私道であったため、人が出入りすることを禁止するために幽霊坂と名付けているようだ。いずれにしても、人を近づけないように「魔除け」のような役割でついた坂の名前だったようだ。

「へえ、そうなんだ。よかったぁ、幽霊が出る坂じゃなくて」
「ミユキちゃん、背中に何かついてるよ~」
「キャー!」
図書館中にミユキの悲鳴が響いた。図書館内の人たちが一斉に、迷惑そうにこちらを睨んでいる。
「すいません、すいません」
「ごめんなさ~い」
ふたりは周りの人にペコペコ謝りながら、逃げるように図書館を出た。

1393472010_2950300「も~う、図書館で驚かせなくてもいいじゃない」
「ホント、ごめんね」
「あ~あ、恥ずかしかった。もう図書館に行けないよ」
「ごめんね。亞砂呂のチーズケーキをおごるから許して」
「亞砂呂のチーズケーキ? なら許してあげる」




交差点から神保町方面に向かって数軒先にある亞砂呂は、凪の母のお気に入りのお店だった。母親と九段下に来るときはいつも寄ったお店だったので、お馴染みのお店だ。チーズケーキを食べながら、話題はテレビ番組の話になった。凪はこの年に放映が始まった「柔道一直線」の話で、桜木健一演じる一条直也の実現不可能な技の話と、近藤正臣さんが足でピアノを弾く話、吉沢京子さんが可愛いと言う話を立て続けにしたが、ミユキはあまり興味を示さなかった。ミユキは岡崎友紀と石立鉄男の「奥様は18歳」の話だった。そういえば、クラスでは岡崎友紀派と吉沢京子派に人気を二分していた。

「ところでさあ、『不幸の手紙』って知ってる?」
「なにそれ?」
「私のところへ来たのよ。死神からの手紙で、あなたのところで止めると必ず不幸が訪れるって書いてあるの」
「へえ、面倒な手紙だね。やめたくてもやめると気持ち悪いよね」
「そうなの、でも字が丸いから、書いた友人は分かったんだ」

「それで、ミユキちゃんは書いたの?」
「宛名を書かずに出したよ。もちろん差出しの名前も書いてないよ」
「ナイス! でも郵便局はどんな対応になるんだろうね?」
「捨てておしまいじゃない? わたしは切手代を損しちゃったけどね」
「まったく迷惑な手紙だね」
「全国的に広まっちゃったみたいなの。誰かがやめないといけないのよね」
「不幸の手紙って、度胸試しみたいな手紙だと思えば何でもないね」
凪は、怖がりながらも、笑って言い放った。

「ねえ凪、坂の近くってひと通り調べたけど、情報は一件だけね」
「うん」
「おじいさまから弓道の話は聞いたことはあるの?」
「じいちゃんは、仕事を引退してからは弓ばかりだったなあ。弓道は七段教士だったよ」
「その竹下さんのことは、どんなふうに聞いているの?」
「じいちゃんが若い時、東京の道場に来た時に知り合ったらしくて、それ以来ライバルで親友だって言ってたよ」
「そんな竹下さんに伝えたかったことが手紙にあるのね。頑張って探さなきゃね」
「うん、来週は北千住に行ってくるよ」

     〈続く〉