餃子会館を後にしたふたりは、飯田橋駅の線路沿いの道を歩き、警察病院の前までやって来た。

ふと、鰻を焼くにおいが漂ってきた。日本歯科大学の体育館の横に、老舗のうなぎ屋さんがある。凪も飯田橋から歩くとき、鰻をさばいている光景をよく目にしていた。とてもいい匂いだが、餃子を食べたばかりの二人には食欲を誘うものではなかった。ミユキの作った地図を見て、富士見の坂の位置を確認していた。
「先週は目白通り側の坂を調べたから、今日は富士見の反対側の坂に行ってみようか」
「うん、早稲田通り沿いの日本歯科大学の裏手に3か所だけど坂があるみたいね」
「じゃあ、そこから行ってみよう」

地図を頼りに歩いて行くと、飯田橋駅の外濠に近いところから日本歯科大学の裏手に向かって下って行く坂道があった。ここは江戸時代からある坂で、幽霊坂と言われている。何とも不気味な名前の坂道である。坂に面してる何軒かの家人に竹下という家があったか、竹下という弓道をする人を知らないかと尋ねて歩いたが、得られる証言はなかった。この坂を下って行くと、左手に早稲田通りから繋がった日本歯科大学の裏通りから下ってくる坂道がある。この坂も、何と同じく幽霊坂と呼ばれている。これで二つ目の幽霊坂を見つけたことになった。この坂の住人にも数軒聞いて回ったが、竹下氏の情報は得られなかった。

さらに、その坂道を左に見て少し進み、日本歯科大学の真後ろまで来ると、左手から曲がって下ってくる坂道があった。この坂もまた、幽霊坂と呼ばれていた。この三つ目の幽霊坂はは江戸時代は坂道ではなく、のちの法政大学の敷地内だった。昭和30年代に開削されて住宅地となったらしい。それならば、何故この新しい坂道まで幽霊坂と名付けられたのだろうかという疑問が残った。新しい住民たちは好き好んでこんな気味の悪い名前の坂にはしないだろう。この坂の住人達も竹下氏の情報は持っていなかった。しかし、驚いたのはこの狭い地域に三つの幽霊坂があったことだ。

1213768930_917547「ねえ、凪。いま私たちがいる所って、三つの幽霊坂に挟まれているよね。ここって、出るのかなあ」
「まさかあ、そんなとこに家を建てて住まないでしょ。それぞれの坂にきっと意味があるんだよ、きっと・・」
「きっとォ?」
「何でこんなに幽霊坂があるのか、図書館に行って調べてみるよ。民家もたくさんあるから、とりあえず、じいちゃんの親友のことを聞いてみようよ」

と、言いながらも足早にその場を離れていった。そして、ふたりは手分けをして民家を訪ねて弓道をする竹下氏の情報を聞いて回った。ふたりが中学生であったために、住民の方たちも警戒せずに親切に話してくれたようだ。ここで1件だけ情報があった。この幽霊坂からは少し離れるが、竹下という家があったということだ。十年ほど前に北千住に引っ越したという。ご近所の方が年賀状のやり取りがあると言うことで、住所も分かった。これはひとつうれしい情報を得ることができた。
    〈続く〉